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1992/10/22 朝日新聞朝刊
最大の和平創出作戦 苦情処理から憲法作成も(国連物語:19)
14日、プノンペン市郊外のポチェントン空港。真上からの陽光が駐機場のコンクリートに照り返し、詰めかけた100人近い報道陣は、わずかな日陰で次々と到着する飛行機を待った。
自衛隊施設部隊を乗せた5機の国連輸送機が飛来する。合間をぬって、国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)の明石康特別代表がニューヨークから到着、シアヌーク殿下も北京から慌ただしく帰国した。
報道陣にもみくちゃにされながら明石氏は、前日採択されたポル・ポト派を非難する安保理決議に「大変満足だ」と話した。
同じ日、プノンペン市内にあるUNTAC地方行政監視事務所では、担当官の井上健氏が、新たな難題に頭を悩ませていた。
軍の施設に住んでいた360余家族に、退去命令が出た。大半は武装解除された兵士の家族だ。抵抗の意思を示す住民もいて、緊迫した状況が続く。
前日、1人の兵士のもめ事が決着したばかり。28歳の兵士が、憲兵に家財をそっくり持って行かれた。上官が護衛兵をその家に住まわせようというのだ。兵士の家屋証明書が無効だったため、家財だけは返させて一件落着した。事務所を開いた6月以来、こうした一般市民からの訴えは200件を超える。同様の事務所は各州単位にできた。一方、古都シエムレアプで先月開かれた最高国民評議会(SNC)会合。明石代表は新憲法の検討項目リストを各派の代表に示していった。「制憲議会ができてから3カ月で憲法をつくるのは大変だ。今から検討されてはどうか」
市民の苦情受け付けから憲法作成まで。要員の規模や任務の多彩さから「史上最大」と呼ばれるUNTACの活動のほんの一面だ。
「日本の戦後でいうと、明石さんがマッカーサーで、シアヌーク殿下が天皇。プノンペン政権は吉田内閣。マッカーサーと天皇はいいが、当時の日本と違い、行政がしっかりしていない」と、カンボジアの外交筋はいう。もう一つ、当時の日本との違いがある。ポト派の抵抗だ。
明石氏が帰国した日の未明、カンボジア中部で国道にかかる橋2つが爆破された。UNTACはポル・ポト派を非難したが、同派は犯行を否定した。
安保理決議は、今月いっぱい日本とタイが同派の説得工作を行うよう要請。来月中旬をメドに、次の対策を練ることを明示した。和平創出に向けた国連最大の作戦は、秒刻みで決断の時期に向かっている。
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