1990/07/04 朝日新聞朝刊
国連外交の強化必要に 冷戦後の米ソ方針、見習う時期(経済地球儀)
ドイツ統一の動きの中で、ベルリンの特殊な地位も解消されようとしている。第2次大戦の戦勝国の米、ソ、英、仏が「旧敵国」を共同管理してきた遺制もいずれ消えるはずだ。そうなれば国連憲章107条(いわゆる旧敵国条項)を削除すべきだ、という声も強まるだろう。
同じように条項が適用されている日本の中にもそうした期待が高まっている。最近ではソ連が、北方領土占拠を正当化する理由の1つにこれを持ち出しているため、条項削除にもっと努力せよとの声が国会から上がっている。国連予算の分担率は世界で2番目に多いのだから、国連安全保障理事会の常任理事国として認められるべきだ、との声も強い。
つい少し前まで、とくにレーガン時代は日米ともに国連外交など忘れてしまったかのようだった。国連外交は、反共と市場至上主義のレーガン哲学の第三世界に対する布教活動、といった趣があった。この間、米国の分担金拠出は滞納が続き、それがいまでは5億ドルにのぼる。
以前はソ連が滞納チャンピオンだった。平和維持活動は米国の陰謀とばかり、維持軍派遣にことごとく反対し、費用分担を拒んだ。
そのソ連が、大きく変わりつつある。とりわけ平和維持活動の役割を高く評価するようになった。ソ連軍のアフガニスタンからの撤退、キューバ軍のアンゴラからの引き揚げの国連監視軍派遣を含む平和維持活動を支持した。ペルシャ湾などでの“国連海軍”の哨戒、さらには国連平和維持軍の軍事訓練の請け負い、ソ連軍の維持軍への部分編入などの構想も打ち上げている。軍縮によって要らなくなる武器を平和維持軍に使ってもらおうと、各国代表を招いてモスクワで武器の展覧会を催したほどだ。
“国連海軍構想”に対しては米国の軍事プレゼンスの続く地域では、米国が拒否反応を示すことは明らかだし、武器供与案については、装備標準化を進めようとしている国連が反対するだろう。それでも、大きな変化には違いない。
この背景には、ソ連の海外からの軍事力撤退後に生まれる力の真空地帯で米国が漁夫の利を得るのを防ぎたい、というねらいが込められていると見てよい。それから、国連をはじめ国際的な支援なしには事後処理もできなかったチェルノブイリの教訓もあるかも知れない。
撤退を自ら1国だけでおこなうことの難しさ、それにかかるコストをソ連は痛感しているようだ。ちょうど、ベトナム戦争泥沼の1968年の大統領選挙の際、ハンフリー候補(民主党)が、国連の平和維持機能強化によってインドシナ和平の道を主張したように、「歴史は繰り返している。皮肉な形で」と、国連問題専門家のトマス・ワイス、メリル・ケスラー両氏は最新号の『フォーリン・ポリシー』誌の論文「モスクワの国連政策」で書いている。
米国もようやく重い腰を上げそうである。ブッシュ大統領は国連大使を務めた最初の米大統領だ。ニカラグアでの国連による選挙監視は、米ソが協力して国連外交を進めた事始めだったが、これが成功した。米、ソとも力の外交の限界ははっきりしてきた。足りない部分を国連機能で補おう、という点では双方の利害は重なる。
日本も国連外交の強化が急がれる。旧敵国条項とか安保理常任理事国といった地位とかの問題もさることながら、何のための国連外交か、そしてどこから実績を積み上げていくか、を定めるのが筋だろう。
より多極化し、パワー分散が進む冷戦後の世界の中で、日米という視点。枠組みを超えたもう1つのプリズム、場を持ち、育てること。アジア・太平洋の平和・安全保障の構築(例えば、カンボジア和平)への国連機能の活用。そして昨年11月のナミビアの選挙監視に派遣した民間人による「平和のための協力隊」のような「カネを出すだけでなく汗も流す」活動の拡大――そういったところから、日本のメッセージを送るべきだろう。
(編集委員 船橋洋一)
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