1986/09/25 朝日新聞朝刊
国連外交の30年(社説)
1956年12月、わが国の国連加盟が認められた時、重光代表(外相)は「日本は国民生活上、今日多くの困難に直面しております。その最も大なるものは、狭小なる領域において過大なる人口を養う問題であります」と演説している。
それから30年。重光代表は恐らく、わが国の国連分担金がソ連(白ロシア、ウクライナを除く)を抜き、2位になるような事態は予想していなかっただろう。
今年の国連総会に出席した倉成外相の一般討論演説の中心は「国連行革」の推進だった。国連財政の現状は、職員の給料遅配の心配までささやかれるほどであり、「国連史上最大の危機」といわれる。大口拠出国になったわが国が国連の行財政改革で積極的な役割を果たそうとするのは当然である。
分担金第1位の米国内では国連離れの動きが出ており、国連が「1国1票」の原則で運営されることを批判、「多数の横暴」「非能率」がまかり通るとして、米議会は負担率を引き下げるカッセバウム法を可決した。このような米国の態度が国連の財政危機に拍車をかけている。米国は同様な理由で、すでにユネスコからは脱退した。
国連40年の歩みが、創設時の理想と期待を裏切ってきたことは事実である。発足間もなく米ソ両大国の協調が崩れたのを始めとして、厳しい国際政治の現実のなかで、地域紛争解決などで憲章が想定したような役割を果たしていないことは認めねばならない。
わが国内でも「いまさら国連中心主義でもあるまい」との空気がある。しかし、わが国は今年の倉成外相の演説で「この30年間、一貫して国連を重視し協力する方針をとってきた」と確認したように、加盟当初の熱気は薄れたものの、国連重視は外交の柱の1つになっている。わが国にとって国連の活動が持つ意味は、他国よりも重い。
また、倉成外相は原爆の被爆地、長崎出身の政治家であることに言及、「核兵器は廃絶さるべきだ」と言い切った。国連は、わが国の主張を内外に明らかにする場としても重要である。83年9月から国連本部1階の中央通路に広島、長崎の原爆被爆の展示が常設されるようになり、世界各地から訪れる見学者に感銘を与えている。毎年、日本の代表が世界唯一の被爆国として核軍縮を言い続けることは、決して無意味ではない。
国連を通じた経済・技術援助に力を入れることは、経済的には大国になったものの、軍事大国にならないと決意しているわが国にはふさわしい。82年の国連軍縮特別総会に出席した鈴木首相は「軍縮によってつくり出される人的・物的余力を経済協力にまわそう」と提唱して、開発途上国から歓迎された。日本の国際的な貢献はそのような形で期待されている。
30年前、重光代表は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などの憲法前文を引用して、日本国民の信条は国連憲章の目的、原則に合致することを強調、同時に日本は「東西のかけ橋」となる決意も明らかにした。第2次大戦の悲惨な教訓に基づく初心は忘れてはなるまい。
国連に過大な期待や幻想を持つことは禁物だろう。だが、デクエヤル国連事務総長は「国連組織は不完全ではあるが、強力かつ持続的な世界の平和と福祉を築く上で、ほとんど無尽蔵とも言える能力を提供し得る」と述べている。国連の危機がいわれる時だけに、わが国の国連中心主義がもつ意味を改めて確認する必要がある。
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