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1986/03/21 朝日新聞朝刊
国連を疑うスイスのこころ(社説)
もし日本で「国連に残っていてよいか」という国民投票をしたら、どんな結果が出るだろう。賛成が圧倒的多数になるのは、まずまちがいない。これまでの世論調査をみても、国連に寄せる日本人の信頼あるいは尊敬は、世界屈指のものだ。そんなわれわれにとってこんど行われたスイスの国民投票は、かなり意表をつくものではなかったか。
「国連加盟は是か非か」という問いに、賛成わずか23.4%、反対76.6%。予想以上の大差で加盟は拒否された。
スイスはまだ国連に入っていなかったのか、と驚いたひとさえいたかもしれない。名の知れた国で加盟していないのは、スイスのほか、バチカンや南北朝鮮くらいだから、驚いてもふしぎとはいえない。しかもスイス政府・議会は加盟をめざしていたのに、国民のほうが否決してしまったのである。
30年前に国連加盟が認められたとき、日本はお祭り騒ぎをした。「敗戦国」を卒業できただけでなく、国連こそ「戦争放棄」を保障してくれると信じたからである。こういう世界平和の機構に、平和国家スイス国民が背をむけたのはなぜだろう。
ひとつは政治的理由。国連に入ればスイスの主権が制約され、集団制裁行動などで「永世中立」の国是が侵される心配がある。もうひとつは、年間2000万フラン(18億円強)以上の分担金をかぶるという経済的理由だ。要するに、得るものより失うものが多い、との国連無用論とさえみえる。
戦後40年を超す国連の歴史を、無意味なものとはだれも思うまい。日本の平和と繁栄にとって、なくてはならぬ国際機構だった。だが、東西、南北の利害や打算にふりまわされ、組織は肥大し官僚化して、不信と幻滅を買っているのもまちがいない。国連の行財政を改革するために「賢人会議」を新設せねばならない事実が、これを裏書きする。
こんどの加盟拒否は、古典的「中立」を守ろうとするスイス国民の本能的な反応だったのだろう。しかし、直接の理由とみえる国連不信は、スイスだけのものではない。さらにいえば、不信感は国連のみならず、多くの国際機関にもむけられているのだ。
たとえば欧州共同体(EC)に対するデンマークの国民投票、グリーンランドの脱退。ユネスコからの米英などの脱退。北大西洋条約機構(NATO)での残留を問うたスペインの国民投票。結果はともかく、そこに流れているのは巨大国際機関への批判である。せんじつめれば、それは組織の決定と各国の主権の力関係、そのなかで自分たちの意思を守れるかという不安だ。
そうした批判には、国家エゴや政略もあるし、加盟拒否や脱退だけが批判の方法ではない。しかし、あらゆる組織と同じように、国際機構も硬直やたるみをまぬがれない。とくに巨額予算を抱える寄り合い所帯の国連には、その危険が大きく、加盟国の監視や批判はぜひ必要だ。
ところが、われわれ日本人は国際機関にたいして敬意をもつあまり、批判を避けがちだった。しかも友好大国が脱退をふくむ非難を始めると、同調して非難にとりかかる醜態がなくはなかった。協力にせよ批判にせよ、われわれはもっと自主性をもちたい。
その点で、スイスの国連加盟拒否はまさしく「わが道をゆく」ものだった。加盟したら中立が失われる、とは必ずしもいえないだろう。同じく永世中立を守る加盟国オーストリアの例もある。しかし、かれらの独自な判断は、われわれにも多くのことを考えさせた。1つの興味深い考えかたとして尊重したい。
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