1985/05/08 朝日新聞朝刊
国連中心主義(国連・40年の光と影:18)
国連広場の一角に、国連事務局と姿形がそっくりのノッポビルが2つ。各国の代表部や外交官が入る雑居ビルである。日本代表部はその1つ、ハドソン川に面した建物の2階にある。
○日本への期待増す
ここに黒田瑞夫大使以下、館員30人。代表団の数ではソ連、米、中国、キューバなどに次いで7番目。
「日本では最近、国連に対する関心がやや薄れているといわれるが、加盟国や事務局のわが国への支持や期待感は逆に年々高まっている。80番目の加盟国として国連入りして以来、来年で30年。これまでの地道な努力が実りつつあるといえる」
初代の加瀬俊一氏から数えて10代目。黒田大使はこう言う。
日本の国連加盟は1956年12月18日の総会で実現した。
全会一致で加盟が認められた直後に、つえをつきながら壇上に立った重光外相(当時)は「わが国は極東の1国であると同時に、欧米の文化、産業を習得しており、国連において“東西の懸け橋”となり得るのではないか」と述べ、喝采(かっさい)を浴びた。彼はまた日本国憲法の前文を引用し、日本国民の信条は国連憲章の理念と合致するものである事も強調した。
「敗戦国として国際社会から隔離されていた日本が国際舞台へ復帰する契機になったのが国連加盟。わが国はそれ以来、一貫して国連中心外交を展開し今日に至っている。国連支持という事は、言い直せば平和志向の外交を守るという事である」と黒田大使。
――国連中心主義といっても、自衛隊の海外派兵には憲法上の問題があり、国連の平和維持活動に協力するには大きな制約があるのではないか。
○人口比では20番目
「日本のような国際社会に大きな影響力を持つ国が、国連軍に加わってほしいとの声は事務局や加盟国の一部にもある。だが、自衛隊の派遣については日本国内の国民的合意が出来ておらず、現段階では医師や専門家の参加にとどめるべきだと思う。代わりに財政と人材の両面で国連に十分寄与出来る」
――日本の国連への分担金は、加盟当初100万ドル足らずだったのが84年には6400万ドルで、専門機関への分担金を加えると約1億6000万ドル。このほかに自発的な拠出金が約2億4000万ドル。つまり年間4億ドルほどを国連に出している。これで十分ではないか。
「総額では日本は米国に次いで世界2位の大型出資国だが、人口1人当たりでは北欧、西欧、米、産油国の一部より下で、20番目ぐらい。日本の経済力からみて、もう少し財政的に寄与出来ると思う」
――わが国はひところ安保理加盟国を増やし、日本が加われるよう運動していたが・・・。
「安保理拡大にはソ連だけではなく英、仏が強硬に反対しており、実現の可能性が現状ではほとんどない。現実的に対応していかなければなるまい」
――国連憲章には日本と西独を指すとみられる“敵国条項”(53、107条)がある。地域的取り決めや地域的機構による強制行動は、安保理の許可が必要とされているが、憲章の原署名国に対する敵国による侵略防止の時は例外とされている。
「これは日本にとっては決して愉快な条項ではない。だがこの削除は憲章改正につながり、ソ連などが猛反対することは目に見えている。事態が好転するまで待つしかないだろう」
○支持基盤はアジア
――国連での日本の支持基盤はどこにあるのか。
「集票能力が各地域に広がっていることは国際司法裁判所判事、経済社会理事会議長の選挙などで明らかである。日本は特定のグループの代表国ではなく、これが国連活動のマイナスになっていることは間違いないが、あくまでも支持基盤はアジアに築くべきだろう。なかでも東南アジア諸国連合(ASEAN)との関連強化が肝心だ。このほかにアフリカ票の開拓も必要だし、中南米、南太平洋、西アジア、アラブとの結びつきも強めねばならない」
――78年11月、安保理非常任理事国選挙でバングラデシュに敗れている。
「日本は当時、南と北の仲立ちが出来ると自認していたが、それだけの実力は伴っていなかった。米国の国連離れの影響もあって日本での国連熱が冷めているいま、国連で日本の支持基盤が広がっているのは皮肉な現象といえるかもしれない」
(ニューヨーク=久保田特派員)
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