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私はこう考える【国連について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1985/03/25 朝日新聞朝刊
苦難の国連加盟 一時は「永世中立案」も(第8回公開外交文書)
 
 独立を回復した日本にとって、外交的悲願の一つは国際連合への加盟だった。その実現は昭和三十一年まで待たなければならなかったが、公開された外交文書では、国連を通じて日本の安全保障を実現しようとした終戦直後の加盟の狙いが、独立のころにはすっかり薄れた様子が浮き彫りになっている。また、ソ連の拒否権行使で加盟の見込みが立たない中で、日本政府は準加盟構想など、懸命の模索を試みていた。
 「新日本ハ進ンデ国際連合ノ成員タルコトヲ求メ・・・永世中立国化ニ依ツテ将来ノ国際紛争ニ巻キ込マレザルノ方途ヲモ講ズベキデアル」
 昭和二十一年四月二十六日、外務省総務局総務課長だった大野勝巳は「新日本ノ国是ト国際連合加入問題私見」を執筆。五月九日に開かれた外務省の主要課長ら七人で構成した政策審議委員会に、たたき台として提出した。敗戦で武力放棄した日本が、安全保障の道を永世中立と国連参加に求める内容だ。
 〈証言〉大野勝巳・外務省顧問 「二十一年の私見は、外務省内にあった空気を総務課長として取りまとめたものであり、全くの個人的見解ではない。当時、省内には再軍備ができないなら永世中立しかない、という消極的な気持ちもあったが、それ以上に、日本が国連による理想主義的な生き方に先べんをつけよう、という積極的な考えもあった。こうした理想論は、冷戦の深刻化で影をひそめたが、今も生きているはずだ」
 しかし、その後の米ソ冷戦の深刻化、朝鮮戦争の発生によって、政府部内では、こうした理想論の影は急速に薄くなった。日本は多数講和に踏み切り、米国との安全保障条約を結んだ。これに伴って、国連加盟の意味づけも変わった。二十六年十一月、外務省がまとめた「平和条約調印後の外交政策審議要綱――国際連合に関する外交」では、それが鮮明にうかがえる。
 「わが国は米国との間に安全保障条約を調印し、平和条約発効後のわが国の安全は、右の条約の実施により保障される体制を確立し得た。・・・国際連合に対して特にわが国の安全保障について要求をなすべき理由もなければ必要もない」
 二十七年六月、日本は国連に加盟を申請。しかし、九月の国連安保理で、ソ連の拒否権行使によって葬られた。
 この事態をすでに予測していたグロス米国連代表は二十七年八月二十八日、日本に「準加盟」を持ちかけた。投票権はないが、国連の会議に出席して発言できる、という新しい資格を設け、日本はそれを通じて国際社会に参加してはどうか、という提案だった。外務省は即日、対応をまとめた。
 「東西の対立のため日本の加盟は他の多くの国の加盟申請と同様望みのない今日、国連協力を推進し世界の諸問題に発言権を得、ひいては独立日本の地歩を向上する方途と認められる」(国際協力一課「国連準加盟制度に関する考察」)
 準加盟問題で、政府が注目していたのは、同じ敗戦国イタリアの動向だった。ニューヨーク事務所からの電報(27年11月11日付)は、ギドチ・イタリア国連常駐代表の談話を外務省に伝えている。
 「従来、二、三回米国よりアプローチを受けたが、この制度はイタリアの尊厳を傷つけるのみならず、利点がないとの見解で、初めから問題にしなかった」
 外務省内にも、いったん準加盟の形が実現してしまうと、正式加盟への熱意が薄れ、国際的支援も弱くなってしまうという反対論の巻き返しがあり、日本の準加盟への意欲は次第に衰えた。代わって、米国は国連加盟資格決議案の成立を図った。それは、日本側が裏で強く働きかけた結果だった。
 「米国側に働きかけて日本の加盟資格の承認が何らかの形で行われるよう工作を行っている」(27年12月12日、アジア地域在外公館長会議資料)
 この決議案は、十二月二十一日の国連総会で賛成五十、反対五で採択された。しかし、これは、大多数の国が日本を推していることを示す政治的な意味合いしかなかった。
 手詰まりの中で、国連加盟の実現には日ソ関係打開以外に手段はない、との認識が外務省内に強まった。
 二十八年十二月二十九日、沢田廉三国連代表は、岡崎勝男外相にあて「わが国の国連加盟問題に関する件」と題した三十六ページにわたる詳細な分析を打電した。
 「最大の問題は、ソ連が日本加盟の条件として主張している日本とソ連、中共との関係正常化以前にわが国の加盟に対する反対を撤回するかどうかの問題である。ソ連との間だけでも少なくとも終戦宣言でも成立すると問題は容易になるが、最高外交政策上の課題として慎重検討を要する。国連加盟となるとソ連との関係が現状のままでは、まず不可能ということになろう」
 これ以降の資料は公開されていないが、日本の国連加盟は結局、日ソ共同宣言が発効して国交が正常化した六日後の三十一年十二月十八日に実現した。
 〈証言〉加瀬俊一氏 「国交が回復すれば、ソ連は日本の国連加盟を支持する、という点が、日ソ間の交渉項目の一つだったことは事実だ。一方で、日本は国連加盟を日ソ交渉の人質にさせまいと努力し、1955年段階でソ連側に、日ソ交渉が妥結に至らなくても日本の加盟問題を解決したい、とまでいわせていた。この時は、台湾が外蒙加盟を拒否したあおりで日本の加盟が実現しなかったので、結果的に日ソ国交回復と国連加盟が同時になった」(日本の国連加盟当時の国連代表大使)
<注>文中敬称略、肩書は当時のもの
 
 
 
 
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