2001/05/15 朝日新聞朝刊
論議は自然なことだ 女性天皇(社説)
皇位継承権を、女子にも認めるように皇室典範を見直そう、という機運が広がりそうになってきた。
自民党幹事長の山崎拓氏が最近の著書で呼びかけたのがひとつのきっかけだろう。小泉純一郎首相は「いいと思う」と語り、民主党の鳩山由紀夫代表も「議論を行うべきだ」と、応じる構えを見せている。皇太子妃雅子さまに懐妊の兆しがあることが、論議を促しているのかもしれない。
宮内庁は「男系の世襲を基本とするのが古くからの伝統」として、改正論議を退けてきた。政府・与党内から「女性天皇」に道を開こう、という考えが出てきたのは大きな変化である。天皇制維持のために、などと力むことではない。女子の皇位継承を可能にするのは自然なことだ。
戦前の旧皇室典範は、憲法と同格の「皇室の家法」だった。戦後は国会で改正できるようになったが、内容には戦前色が色濃く残る。より開かれた皇室に向けて、象徴天皇制にふさわしい皇室典範のあり方とは何かを、大いに議論したらよい。
旧典範は1889(明治22)年、明治憲法発布と同時に発表された。その検討過程では、女性天皇も考えられていた。当時の宮内省が起草した「皇室制規」案では、認めていた。しかし、時の政府の頭脳と目された官僚の井上毅(こわし)の強い反対で消えてしまった経緯がある。
過去に女性天皇はいたが臨時のことだ、女性に選挙権がないのに最高の権威を許すと矛盾する、などが当時の反対理由である。「男尊女卑」の時代でもあった。
戦後の新憲法制定の際にも、国会では女性天皇を認めるべきだ、との声が出た。当時の政府は「将来の検討課題」として含みを残しつつも、「男系男子」という旧典範の枠組みを擁護した。
歴史を振り返ると、女性の天皇は10代8人いる。推古天皇の治世は36年の長きにわたった。仏教を興隆させ、遣隋使を派遣した。動乱の中で飛鳥文化を切り開いた。
憲法は男女平等を定めている。それに基づき、女性にも選挙権が認められた。女性天皇に反対する根拠は、もはや説得力をもち得なくなっている。
天皇の退位についても、議論し直した方がよい。井上毅は逆に「至尊(天皇)と雖(いえども)人類」と、譲位の規定を設けるように主張した。だが、初代首相となる伊藤博文に、「一家の私言」と退けられた。以来、是非論は凍結状態にある。
1975年の国際婦人年をきっかけに、男女同権の機運が一段と高まった。それを受けてスウェーデン、ノルウェー、ベルギーは、男女を問わず、長子が王位を継承できるように法改正している。
戦後改革を生き延びた皇室制度も、真に時代に沿ったものへと改めていく必要がある。「女性天皇」は、そのための自然な入り口に位置づけられよう。
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