1989/08/05 朝日新聞朝刊
天皇会見とこれからの皇室(社説)
開かれた皇室に向かってのまだ不十分だが、しかし、確実な第一歩ではないか。
昭和天皇が亡くなられて7カ月。新しい天皇、皇后両陛下が初めて内外の記者団と会見された。テレビの録画中継をみながらまず感じたのは、そのことである。
昭和天皇もご訪米後の昭和50年秋、今の皇太后さまとともに内外記者団の質疑に応答されたが、この時のことは、宮内庁内部では「お会い」と記録されている。歴代の天皇で、記者団との公式会見に応じられたのは、今回が初めてのことだ。
質問の中身も昭和天皇の時よりはるかに多岐にわたり、個々の問いも、公私にわたってかなり突っ込んだものだった。
両陛下は一つひとつの質問にゆっくりと、ていねいに答えられた。質問者側にもぎごちなさがあり、両陛下もかなり緊張されているようにみえたが、こうした機会が重なれば、もっとくだけた雰囲気で質疑がおこなわれるに違いない、と思われた。
天皇陛下の発言で、注目されたのは「憲法に定められた天皇のありかたを念頭におき、務めをはたしていきたい」と、改めて憲法尊重の姿勢を示されたことである。
また「言論の自由が保たれるのが、民主主義の基礎」と語られ、その自由な言論には、天皇の戦争責任や天皇制をめぐる論議が含まれる、とのお考えを明確にされた。
今の日本社会で当然のことではあるが、ともすれば民主主義の定着を逆戻りさせようとする動きもみられる中で、記憶にとどめておくべきご発言だろう。
昭和天皇の戦争責任をめぐる質疑や、即位の儀式をめぐる政教分離問題などを初めとして、明快なお答えを避けられた質問もかなりあった。こうした点に物足りなさを感じた人は少なくあるまい。
しかし、憲法上政治関与ができないというお立場からくる制約があり、宮内庁など周辺への配慮も感じられたことを考えると、精いっぱいのお答えだったのかもしれない。
服喪期間中のため、両陛下のご活動はまだ少なめだが、昭和天皇時代と違った新しさはすでに目立っている。
植樹祭でおでかけになった徳島では、養護学校の寝たきりのこどもたちに、顔を寄せ、体を触れ合うようにして話しかけられた。「天皇の料理番」である大膳(だいぜん)課職員は同行せず、地元が用意した食事を召しあがった。沿道の人々には、車の窓を開けて手を振られた。
侍医による「お毒味」や、就寝前の検便、拝診はやめられた。2泊3日の人間ドックにはいり、胃カメラものまれた。また、御所に人を招いて様々な話を聞かれるなど、ご夫妻とも、全体として皇太子時代のライフスタイルを守ろう、というお考えがお強いようだ、という。
様々な儀式や行事のお言葉で、「みなさん」と語りかけ、平易な言葉づかいをされること、警備が総体にソフトになってきたことなども含め、国民の側もこうした皇室のありように新風を感じていることは間違いない。
昭和天皇のご逝去をきっかけに、象徴天皇制をめぐる論議が盛んに行われるようになってきた。
戦前の天皇制に対する郷愁や怨念(おんねん)、反発といった不幸な「もつれ」からやや距離をおいたところで、国民と皇室の間を考えられる時機がきたのではないか。
今回の会見は、そんなことを深く感じさせた。その議論を深めるためにも、こうした機会はもっと増やすべきである。
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