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私はこう考える【天皇制について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1989/05/09 朝日新聞夕刊
王朝交替論:下(権威の構造 天皇論のいま・第2部:2)
 
 地域政権解明がカギ 意義重い史観の相対化
 王朝交替論が対象とする4―6世紀において、王権のメルクマールとなるのは、巨大な前方後円墳の存在である。考古学の立場から、王朝交替論はどうとらえられるだろうか。
○盟主墓移動どう解釈
 古墳の編年、相対的な年代の前後関係は、古墳の外形、内部構造、副葬品の組み合わせなどを総合して決定されるが、畿内の大型前方後円墳については、全体的な編年がほぼ確定している。大型古墳の中でも特に他と隔絶して巨大な古墳には、それぞれの時期の大和政権の盟主の墓が含まれていると考えられるが、白石太一郎国立歴史民俗博物館教授によると、そういう巨大古墳は、古墳時代前期前半(3世紀末―4世紀はじめ)、まず奈良盆地東南部の三輪山ろくに現れる。箸墓古墳や崇神陵にあてられている行灯山古墳などがそれだ。ついで、巨大な盟主墓は、前期後半、奈良盆地北部の佐紀古墳群に移り、さらに古墳時代中期、いっそう大型化して大阪平野の古市古墳群(河内)と百舌鳥古墳群(和泉)に移る。この盟主墓の地域移動は、記紀記載の天皇陵の移動と、時間の前後関係においても、ほぼ一致する。
 問題は、考古学的に確認されている盟主墓の移動の意味をどう解釈するかだ。これについては、大和南部に基盤を持つ大王家が、その時々何らかの理由で墳墓の地を移したと考える説もあるが、白石氏らは、古墳は各勢力がそれぞれの本貫の地につくるもの、との判断からこれに反対する。
 白石氏らの考えでは、当時の政体は連合政権というべきもので、大和政権自体も畿内の有力集団との同盟関係で構成されていた。盟主権は基盤となる諸集団の間を移動し、盟主権を握った集団がその時点で他に卓越する盟主墓を本貫の地につくる、と考えるのである。こういう考えに立てば、1つの家系による世襲王権はまだ確立していなかったことになる。これも万世一系史観否定では共通するが、白石氏はこの時期の古墳の形態が継続性を保ちつつ変化していることから、武力征服などによる政治基盤の急激な変化は認められないといい、女系を通じても前の王統と連なることが王権継承の正統性を保障するものと意識されていたのではないかとして、この王権の移動を王朝交替ととらえることには疑問を投げかけている。
○血統は複数の推測も
 白石氏らの考え方を1つ補強すると思われるのは、前回出た宋書による倭の5王の系譜である。宋書の記述に従えば河内王朝の諸大王にあたる倭の5王のうち、讃と珍は兄弟、興と武も兄弟で済の子とされているが、時代的につながると考えられる珍と済の関係が記されていない。ここから原島礼二埼玉大教授らは、珍にあてられる反正天皇と済にあてられる允恭天皇とは血縁関係を持たず、当時は王統を異にする2つの大王家があったと主張する。これをふえんする形で、鈴木靖民国学院大学教授は、大和政権の最高官職である大臣や大連が複数の家から出ているのと同様、当時の大王もいわば政治的職位で、複数の血統から出る形だったのではないか、と推測している。
 5世紀の河内王朝の系譜に関しては、このほか国文学者の吉井巌帝塚山学院大教授による応神天皇非実在説、それに触発された直木孝次郎大阪市大名誉教授による応神・仁徳天皇同一人説なども出されている。記紀の資料となった帝紀(皇統譜を中心とする記録)は、応神以後についてはほぼ信用できるとする津田左右吉以来の通説が、その根幹部分でも大きくゆらいでいる、といえよう。これらの諸説もふまえ、中堅古代史家の間で実証的な天皇系譜の研究が盛んだが、全体的には世襲王権は6世紀の継体・欽明期に確立し、その後、何段階かに分けて、5世紀以前の皇室系譜が現在記紀にみるような形に整えられていったとする見方が、有力になっているようだ。
○方法上の矛盾はらむ
 現在、王朝交替論否定の立場からは、王朝交替論が記紀の皇統譜や所伝を否定しながら、基本的にはそれに依拠して論を進める方法上の矛盾が前之園亮一共立女子短大助教授らによって指摘されており、“王朝”という概念を明確にすべきだとの指摘も平野邦雄東京女子大教授らによって行われている。鈴木靖民国学院大学教授は、それに加え、戦後の古代国家形成の研究の進展をとり入れる中で王朝交替論を乗り越える時期がきているのではないか、という。
 鈴木氏によれば、水野説が提示された時点では、すでに4世紀に大和政権による古代国家ができていたというのが通説で、いわばそれを自明の前提に王朝交替が考えられたふしがある。しかし、現在の学界の大勢は、支配体制の整備の時期を従来より遅らせ、古代国家成立を6、7世紀にまで引き下げる見方が一般的だ。そして国家成立前、日本の先進地域には吉備や出雲や筑紫、毛野などに多数の地域政権があり、それらと同盟関係を結びつつ、相対的に大きな勢力を持っていた大和政権が次第に支配権を確立していった、という構図が想定されている。
 古代の地域政権についての文献史料は乏しく、その実体を描き出すことは難しい。しかし、直木孝次郎氏の指摘するように、地域政権論は記紀の大和中心史観を相対化するものとして、重要な学問的意義を持つ。確かな地域政権像の構築を通して、王朝交替の実相と意味づけもより明らかになってくるのだろう。
 水野祐氏は70歳。今春、早大教授を定年退職した。「この学説の本論となるものをこれからまとめ、多くの批判に答えたい」という。王朝交替論は今後どのような展開を示すことになるのだろうか。
(赤松俊輔記者)
 
 
 
 
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