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私はこう考える【天皇制について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1989/02/15 朝日新聞夕刊
近世:上(権威の構造 天皇制のいま:6)
 
 幕藩体制の「金冠」に 民間も権利保証に利用
 徳川5代将軍綱吉のころの、盛岡藩の藩主・南部重信の官位昇進運動を、早大教授・深谷克己氏(日本近世史)が興味ふかく紹介している(「領主権力と武家官位」=『幕藩制国家の成立』、など)。
 盛岡藩は10万石だったが、先代の重直のときにお家騒動がおき、幕府の介入をまねいて8万石にへらされ、官位も従4位下から従5位下に落ちた。藩主を相続した重信は4位復活のための運動をはじめる。
○痛切な官位の高下
 天和2年(1682)5月、将軍の東叡山参詣(さんけい)のお供をした重信は、「立ちかねて上野が池の五月雨に身の毛も薄き5位のぬれ鷺」という歌をよんで、官位昇進を訴えた。この日たまたま、にわか雨になったらしい。5位の大名は山門の内へいれてもらえず、かさをさすことも許されなかった。こうした行事の折にこそ、格式による待遇差別がはっきりする。67歳の重信は雨にうたれる屈辱をよんだのである。
 翌年4月、また綱吉の東叡山参詣に供奉した重信は、ふたたび「いにし年5位のぬれ鷺此度は夏も寒さに又すくみ鷺」と、5位のまま昇進できないでいることを嘆いた。殿様も楽ではないが、ほかにも運動したのであろう。この年、重信は老中の前に呼び出され、従4位下昇進を告げられる。重信は感涙にむせびながら、「御重恩之御奉公」をちかった。4位昇進の際の費用は、朝廷へのお礼の献上品や昇進披露の儀式の経費など、しめて約3000両だったという。
 なぜ、そんなに官位の高下が痛切な問題だったか? 合戦がなくなって平和の時代がつづくと、領主たちにとって儀礼にかかわる出来ごとこそが生活の中心的な部分になった。そして儀礼上の序列を左右するのが官位だったのである。
 江戸時代、「禁中並公家諸法度」によって、武家の官位は公家官位ときりはなされ、幕府が自由に管理できるものになっていた。だから、「『官位』昇進が幕藩関係の強化につながることはたしかだが、その過程で天皇・朝廷の存在もまた明瞭にされる、という関係になるのである」と深谷氏は書いている。幕府の高家を経由して一括受領する従5位下とはちがい、4位のばあいは朝廷から直接、当の大名家に授与されることになっていた、という。有り難みが段ちがいなのである。
○天皇存在知る民衆
 天皇をとりまく公家社会と民衆とのつながりも深かった。たとえば、江戸の春をことほぐ三河万歳は、京都の公家・土御門家から免許状をもらい、毎年、貢納料をおさめて、関八州を万歳して回る権利を得ていた。学習院大学助教授の高埜利彦氏によれば、「個々の万歳の分有した家職を保証する権威は本所である土御門家であり、その土御門家の家職を保証する権威は幕府とその権力であった」(「幕藩体制における家職と権威」=『日本の社会史』第3巻)。
 民間の生業が活発になると、営業のなわばり争いが激しくなり、営業権の正当性を上位の権威にもとめることになる。そうした「他職間との家職をめぐる争論などの際に、末端の家職を分有した者たちの権利を保証することが、組織内の頂点にたつ本山・本所・触頭などの役割であった」(同書)。
 こうして、鍜治(かじ)、鋳物師、大工といった職人たち、医師や絵師、陰陽師、相撲取りなど技芸を家職とする人々が、門跡や公家からの免許状や受領名(飛騨介、山城小掾などなど)によって、みずからを権威づけようとしたのである。
 また、たとえば朝廷の高貴な身分の人が亡くなったりすれば、「鳴り物、見世物、普請」などを禁止するおふれが町々に出された。だから「明治維新になってはじめて近世民衆は、将軍のほかに天皇という存在があることを知った、という見方は訂正されなくてはならない」と、深谷氏は言う。
 江戸時代の将軍と天皇を、2つのものの併存や反発といった形でとらえるのではなく、「一体化された構造」としてとらえることを主張する深谷氏は、近世の天皇を「公儀(幕府)の頭上の装飾である金冠部分、つまり権威と儀礼の個所に定置される」存在であったと表現している(『大系日本の歴史・士農工商の世』)。
○幕府の権威かげる
 とはいえ、ある時期まで、天皇・朝廷の存在を民衆がそれほどはっきりと意識していたわけではない、と高埜氏は考える。職人や技芸者の活動を保証する権威としての公家の家職を、さらにその上から保証していたのは将軍や幕府の権力であった。その将軍や幕府の権威が、ある時期からかげりを見せはじめる。
 「相撲渡世集団にとって、次第に、将軍上覧と『本朝相撲司』吉田善左衛門家の権威のみでは十分と思われなくなった」。占考をめぐる争論をかかえた土御門家の場合も、神社支配をめぐる吉田家と白川家の争いにも、幕府の権威はうまく働かなくなった。高埜氏は、こうした「権威をめぐる1つの変化」を、寛政期と文化期の間に見いだす。うごき出した朝幕関係のなかで、「権威が、幕府・将軍から朝廷・天皇に移行し始めた」(高埜氏前掲論文)のである。
(稲葉暁記者)
 
 
 
 
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