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私はこう考える【天皇制について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1989/01/09 朝日新聞朝刊
畏敬と警戒 国会の対応なお複雑(政治の中の天皇:2)
 
 主客は逆になったが・・・
 国会見学の小学生や中学生が必ず「うわあ、すごい」と声を上げる場所がある。議事堂中央の3階にある「御休所」(ごきゅうしょ)だ。総ひのき造り、うるし塗りの部屋には、大きな鏡を背に、いすが1つ。「この部屋にかかった費用だけで、全体の工事費の1割を占めました」との説明にみんな驚く。
 これほど豪華な部屋なのに、使われることはめったにない。開会式に出席する天皇が、式の前後にほんの数分間、休憩するだけだ。「御休所」は、天皇が主権者であった旧憲法のシンボルともいえる場所である。
○開会式のお客さま
 1947年(昭和22年)5月3日、「日本国憲法」が施行され、天皇と国会の関係は変わった。国会は「国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関」(憲法41条)となった。
 この基本原則に沿って、国会をどう運営するか。第1国会を前に、各党の代表者が話し合った。1つの焦点は、帝国議会の開院式に当たる開会式の扱いだった。開院式は、天皇が主宰する宮中行事で、その日から会期が起算された。
 「国会は、召集即開会となるので、法律的には、開会式は不要」(田中万逸氏=進歩)との発言も残っている。結局、開会式には「お客さま」(山崎高・元衆院事務総長)として天皇を招くことになった。
 「帝国議会とは、主客が逆になった。衆院議長がまず、式辞を述べ、これに天皇が答えることにした。問題は、議長が天皇におしりを向けてしまうこと。内閣の担当者らと相談して、仕方ない、との結論になった」と、山崎氏は振り返る。
○「横ばい」拒否事件
 47年6月24日の朝日新聞は、その前日に行われた初の開会式の模様を「議長は進み出て、初議会の開会を宣する式辞を述べ始めた。陛下に後ろを見せて立つ、その人は、一旋盤工あがりの松岡駒吉氏である」と伝えた。松岡氏は労働総同盟出身の社会党議員。
 翌48年の第2国会の開会式で、事件が起きた。松本治一郎参院副議長(社会)が、「御休所」で天皇にお会いするとき、「カニの横ばい」(天皇に横顔を見せないよう、正面を向いたまま横へ横へと動くこと)を拒否したのだ。「新憲法ができたのに、天皇を神格視しすぎる」との理由だった。
 参議院の一部議員は、松本氏の不信任案を出そうとした。不発に終わったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が「こんなつまらぬ小事件を問題にするのは、新憲法の精神に合わない。不敬罪はすでに廃止されている」との見解を発表したからだった。
 約40年後の85年1月、福永健司衆院議長は第102国会の開会式リハーサルで、階段を後ろ向きに下りるところがうまくできず、辞めることになった。
 87年7月には、第109国会の開会式で、原健三郎衆院議長が、天皇から「おことば」書を受け取るとき、片手を差し伸べたように見え、自民党の右派議員から「天皇への礼を失する態度だ」との抗議を受けた。
 「陛下の前では緊張する。あのときも、階段を上がるのが1段足りなかった。しかし、それを陛下への失礼と見るのはどうか。自分たちだけが正しいと考える風潮が強まっている」と、原氏は不快感を見せる。
 「主人」から「お客さま」に変わり、背を向けることも「不敬」ではなくなったはずの天皇への対応について、国会は依然として、旧憲法の精神に代わる新たな「ルール」を見いだしていないように見える。
○「おことば」に論議
 開会式への天皇の出席を、政治への関与を禁じた憲法4条に違反すると見る人々もいる。
 共産党は、51年の第12国会で「平和条約の調印がようやく終わったことは、誠に喜びに堪えないところであります」と述べたことなどを「政治的発言」と問題にしてきた。実質的に、内閣で作成する「おことば」は、自民党政権の政策を肯定し、国民に定着させる役割を果たしてきたとの主張だ。
 こうした批判に配慮したのか、「おことば」は、だんだん無味乾燥になってきた。戦後の10年は「永遠の平和を念願する憲法」「連合国の好意と援助」、その後の10年は「経済の発展と民生の安定」などの言葉が必ず入っていた。68年の第60国会を最後に「憲法」の文字は消え、近年は当たりさわりのない言葉だけが並んでいる。
 畏敬(いけい)と警戒。わずか5分間ほどの開会式に表れた天皇と国会との複雑な関係は、そのまま、政治の中の「象徴天皇」を物語るものだ。
 
《メモ》不敬罪
 旧刑法には、天皇をはじめ皇室の尊厳を害する行為を罰する不敬罪があった。新憲法で天皇が「象徴」と規定されたのに伴い、GHQは、天皇に対する侮辱的行為も一般の名誉に対する罪と同様に考えるべきだ、との基本的な立場から旧刑法の「皇室ニ対スル罪」の全面削除を指示。当時の吉田茂首相は抵抗したが、続く片山内閣の手で1947年(昭和22年)10月、刑法が改正され、不敬罪は消滅した。
 
 
 
 
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