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私はこう考える【天皇制について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1989/01/08 朝日新聞朝刊
定着への布石 元号使用廃れる不安(政治の中の天皇:1)
 
 法制化で「当然」の流れ
 象徴天皇制が生まれて42年。天皇制をめぐる様々な論議が展開されてきた。新天皇が即位され、新元号が施行されたのを機に、政治の中の「天皇」の周辺を探った。
 政府が元号の法制化に踏み切ることを決めた福田内閣下の1978年(昭和53年)秋、内閣審議室の審議官だった鈴木昌雄氏(現信州大学事務局長)は上司とともに首相官邸に呼ばれ、安倍官房長官から準備作業に入るよう直接、指示を受けた。「私たちは『いろいろ問題があるから、従来どおり内閣告示の方式で・・・』と言ったんですが、『もう法制化は決まった』と言われてしまい、仕方なく引き下がったのを覚えています」
●終戦直後まず挫折
 元号は敗戦後、旧皇室典範と登極令が廃止され法的根拠がなくなった。元号法はこの対応策として、早くも1946年に立案された。現在のものとほぼ同じ内容だったが、GHQ(連合国軍総司令部)の反対で日の目を見なかった。
 元号法制化はその後、歴代内閣で積極的に取り上げられることはなかった。三木内閣になって、「内閣告示」による決定方法が打ち出されたが、この時もまだ正面きって天皇制を議論するのは避けたいという意識がのぞいていた。それを福田内閣が突如、方向転換したのだから事務方が面食らうのも、無理はなかった。
 政策転換の背景には、「生長の家」など右派勢力を中心とした突き上げがあった。1970年に「昭和」の年数が「明治」と並んだころから法制化を求める声が出始め、76年の天皇在位50年式典を経ると、全国規模の法制化推進団体の旗揚げや地方議会での促進決議が相次いだ。
 一方、78年秋にあった自民党総裁選と関連づけて解説する人も少なくない。右派勢力の支持を取り付けるために踏み切ったのでは、というわけだ。
 国会提案は大平内閣の手によって、79年2月に行われたが審議は難航。成立までに4カ月かかり、審議時間は80時間に及んだ。天皇制とのかかわりと並んで論議の焦点となったのは、法制化が元号の使用強制につながるのではないかという点だった。
●公務員には「強制」
 政府側は「国民に新元号の使用を義務づけたり強制したりする考えはない」と繰り返し、法成立時に発表された総理府総務長官談話でも、公的機関の窓口では「(元号を使うよう)国民各位のご理解とご協力を要望する」が、「あくまで協力要請ということであり、西暦で記入されたものも適法なものとして受理されることはいうまでもない」とわざわざ、断っていた。
 ところが86年10月、共通1次試験の志願票に「西暦で記入してはいけない」という注意書きがあることが国会で指摘された。文部省側は翌年度からは問題の部分を削除したが、法制化された以上、国民が元号を使うのは当然だという政府側の意識が、はしなくものぞいた事例だった。
 国民に強制はしないが、公務員は別だ。79年の元号法案審議で内閣法制局の真田秀夫長官は「上司が元号で公文書を作れと職務上の命令を出せば、それに従わなければならない。従わなければ、懲戒ということも理論上ありうる」と答弁。間もなくそれは決して「理論上」だけのことではないことが明らかになった。
 広島県教育委員会は87年1月、県立学校について、卒業証書をふくめた公文書の年表示を元号にするよう学則の施行細則などを改正、各校長に実施を指示した。しかし、同年3月の卒業式では、54校が「1987年」と書いた卒業証書を出したため、各校の校長が文書訓告の処分を受ける騒ぎとなった。文部省によると、広島県のように教育委員会が元号表示を規則で定めているところは全国で12都道府県あるという。
●国民の支持が不可欠
 元号法制定前、77年の総理府世論調査によると、ふだん「主に元号」を使っている人は全体の89%で、元号の存続を望む人は79%に達していた。「昭和」は国民の中に定着していたといえる。
 しかし、62年間にわたり慣れ親しんだ「昭和」と同じように「平成」が使われるとは限らない。改元を前にして、政府がいろいろな形で「強制」に向けた布石を打っていた裏には「元号はおのずと国民に支持されて残るもの。国民の大半が使わなくなれば消える」(政府関係者)ということへの不安があったことは間違いないようだ。
 
《メモ》元号の法的根拠
 元号の根拠となっていた旧皇室典範と登極令の廃止を受けて政府は1946年(昭和21年)、いったん元号法案を閣議決定したが、GHQに拒否された。現在の元号法は(1)元号は政令で定める(2)元号は皇位の継承があった場合に限り改める、の2項目。46年の法案では2項目の順番が逆だったが、現行法で置き換えたのは、政府が元号を決めることを強調する意味合いも込めたもの、といわれている。
 
 
 
 
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