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ポータブル蛍光X線分析装置によるシナイ半島出土遺物の化学分析
−出土ガラスについての2003年度調査報告
沢田貴史、保倉明子、中井 泉、真道洋子
 
1. はじめに
 考古学では、発掘によって明らかになる遺構や出土遺物の様式、出土層位などから遺跡の研究が進められる。このとき、自然科学的分析手法により引き出される出土遺物に潜在する物質史情報1)を活用することで、さらに多くの考古学的情報を得ることが可能である。そこで我々は、2001年度から出土した遺物について、現地にて蛍光X線による非破壊分析を行っている2)14)。遺物資料の蛍光X線分析により、資料に含まれる元素と、そのおおよその含有量を定量することができる。ガラスについては、世界中で考古学的・分析化学的な研究が進んでおり、ラーヤ・トゥール地域では特に出土点数が多く、この地域における当時の製造技法や商品の交易関係を明らかにする上で重要な資料であることから、著者らはガラスを中心に分析を行っている。
 7世紀以降、広大なイスラーム教国で製作・使用されたガラスは一般にイスラーム・ガラスと呼ばれており、大部分がソーダ石灰ガラスである。イスラーム・ガラスはその化学組成の分析結果からガラスの製造原料であるソーダ灰が2種類推定されている。すなわち、鉱物資源である天然ソーダのナトロン(低マグネシウム・低カリウム)と、比較的ナトリウムの豊富な植物(アッケシソウ Salicornia herbacea やグリークセージ S.fruticosa など)の灰(高マグネシウム・高カリウム)であり、これらの原料を用いて作られたガラスはマグネシウムとカリウムの含有量で識別が可能である。マグネシウムとカリウムの含有量が各1.5%未満のものがナトロン・ガラス、それ以上のものが植物灰ガラスと判断できる5)-9)。エジプトにおいてナトロン・ガラスはローマ・ガラスの伝統を受け継ぎ、9世紀頃まで製造が行われ、一方、植物灰ガラスはナトロン・ガラスに代わり8、9世紀頃から製造が始まったと推定されている。この変化についての詳しい原因はわかっていないが、9世紀半ば頃を境に完全に移行したと考えられている7)10)。ラーヤ遺跡は、まさにこの変遷する時期に栄えていた都市である11)ことから、イスラーム・ガラスの変遷を探るための重要な情報を提供する。
 しかし、これらのガラスの分類指標元素であるマグネシウムは、本研究で用いた装置では検出感度が低く、またカリウムは銀化などによる表面の影響を分析値が受けやすい元素である。そこで、その他の指標を用いてこれらのガラスの識別を試みた。昨年度の報告書に記載したように、ラーヤ遺跡城塞区とワーディー・アットゥール修道院遺跡から出土したガラスは、カリウムとカルシウムの比(K/Ca)とストロンチウムの規格化強度(Sr/Pd Compton)のプロットにより2つのグループに分類できることが明らかとなった4)。一方、過去に報告されているフスタート遺跡出土ガラスの分析値では、ストロンチウム含有量とマグネシウム含有量には正の相関がみとめられている5)。すなわち、マグネシウム・カリウム濃度が各1.5%未満のナトロン・ガラスはストロンチウム濃度も低いが、逆に各1.5%以上の植物灰ガラスではストロンチウム濃度も高い傾向が見られた。ストロンチウムは貝殻や植物に含まれている元素で12)、ここでは植物由来のストロンチウムにより、植物灰ガラスのストロンチウム濃度が比較的高くなっていると推定される。そのため、エジプトで出土するガラスは、ストロンチウム濃度によっても、ナトロン・ガラスと植物灰ガラスの識別が可能であることが示唆された。そこで、現地にて実際に測定した出土ガラスについて、ストロンチウム濃度を目安に他の指標を検討したところ、ストロンチウムとチタン(Ti)の濃度により、さらによく分類できることがわかった13)
 今年度、分析の対象とした資料は、ラーヤ遺跡およびキーラーニー遺跡から出土した中世イスラーム時代の遺物でガラス、陶器、コインなどである。本稿では、上記のような昨年度までの結果に基づいた、出土ガラスについての研究成果を報告する。陶器、コインに関する成果は別稿14)を参照されたい。
 
2. 分析方法
 ポータブル蛍光X線分析装置OURSTEX 100FAをシナイ半島トゥールにある調査隊施設(通称トゥールハウス)に設置し、蛍光X線による元素分析を行った。
 
2.1 装置概要
 今回使用したポータブル蛍光X線分析装置OURSTEX 100FAは、昨年度まで使用していたOURSTEX 140 プロトタイプの改良型で、分光ヘッド部の大幅な軽量化及び先端形状の改良、SDD(シリコンドリフト検出器)の高分解能化により、さらにフィールド分析に適した装置となっている。本装置は大気下・非破壊で分析することができるため、考古遺物の分析に大変有用である2)3)
 
2.2 分析条件と測定資料
 OURSTEX 100FAの測定条件を表1に示す。分析はすべて大気下で行い、X線管を40kV、1mA以下で使用するため、照射するX線は非常に弱く、分析を行うことで資料が損傷することはない。今回分析を行った資料は、ラーヤ遺跡城塞区から出土したガラス、陶器、コインなど計361点と、今年度から発掘を始めたラーヤ遺跡居住区から出土したガラス21点、さらにキーラーニー遺跡から出土した陶器・コイン15点である。これらの測定資料の内訳を表2に示す。また、本研究で対象としたガラスについて装飾技法によって分類したものを表3に、出土ガラスの例を図1(カラー図版3)に示す。
 今年度は改良型の装置を用いたので、昨年度までの測定結果と直接比較することが困難なため、本稿では今年度測定したガラス遺物のデータのみを載せているが、将来的にはこれらのデータを統合する予定である。
 
2.3 解析方法
 測定して得られた蛍光X線スペクトルからバックグラウンド値を差し引いて各元素のピークの単位時間当たりの蛍光X線強度(単位cps: counts per second)を求めた。この蛍光X線の強度を、励起X線であるPdのKa線のコンプトン散乱線の強度(Pd Compton)で規格化した値(規格化強度)を用いて試料間の比較を行った。また、この規格化強度から酸化物濃度への定量化を行った。定量化の手法の詳細は文献にまとめた13)
 
3. 結果と考察
3.1 イスラーム・ガラスの化学組成による分類
 今回の分析によって得られた出土ガラスのストロンチウムとチタンの酸化物濃度の関係について図2に示す。図2には昨年度の分析資料について分類されたグループA、Bl、B2の領域を点線で示す。
 Aがナトロン・ガラス、Bが植物灰ガラスに相当する。今回分析したラーヤ遺跡出土ガラスは、ナトロン・ガラスA、植物灰ガラスB1、そのほぼ中間の組成の3つに分類できることがわかる。昨年度の結果においてワーディー・アットゥール修道院遺跡から出土した数点のガラスのみが分布していた植物灰ガラスB2の領域に分布するものはなかった。図2に見られるように、チタン濃度の広がりは大きいものの、大部分のガラスについてはストロンチウム濃度の低いナトロン・ガラスはチタン濃度が高く、一方、ストロンチウム濃度の高い植物灰ガラスはチタン濃度が低いという傾向が見られた。チタンの起源は原料の砂に含まれる不純物の他、ガラス製造の際の炉などからガラスに混入したと考えられる。
 次に装飾技法10)について調べたところ、ナトロン・ガラスと推定されるグループAには、昨年度同様、刻線装飾ガラスをはじめとする大部分のピンサー装飾ガラス、つまみ装飾ガラス、型装飾ガラス、ラスター・ステイン装飾ガラスの約半数に加え、全ての黒彩装飾ガラスと、大部分の貼付装飾ガラス、スタンプ装飾ガラス、さらに、グラス・ウェイトが含まれていた。また、ラーヤ遺跡で最も多く出土するタイプの淡青緑色のガラスもナトロン・ガラスと推定され、ここでナトロン・ガラスに分類された黒彩装飾ガラスとラスター・ステイン装飾ガラスについては全て淡青緑色のガラスであった。一方、植物灰ガラスと推定されるグループB1には、カット装飾ガラス、ラスター・ステイン装飾ガラスの約半数、一部の型装飾ガラス、ピンサー装飾ガラス、つまみ装飾ガラスが含まれていた。また、昨年度は無色透明な消色ガラスは全てが植物灰ガラスであったが、今年度分析した消色ガラスの中にはナトロン・ガラスに分類されるものもあった。また、この他にグループA、B1の中間と思われるガラスも数点あった。これらについては両者の移行期に関係する資料や稀な搬入品の可能性もあり、現在検討中である。
 以上の検討の結果、このストロンチウムとチタンという指標元素を用いることで、これまで実験室に設置された大型の装置を用いる分析や、破壊分析を行わないと正確なデータが得られず、識別が困難であったナトロン・ガラスと植物灰ガラスを、現地にて非破壊で識別することが可能であるという結論を得た。
 
3.2 ラーヤ遺跡城塞区に見られるイスラーム・ガラスの変遷 −出土層位と化学組成の関係−
 3.1で報告したように、ストロンチウムとチタンの濃度によって、ナトロン・ガラスと植物灰ガラスの識別が可能である。そこで、次に、ガラスの出土層位と化学組成の関係に着目した。層序が整っている場合、上層から下層にかけてより新しい遺物から順に出土する。出土した各遺物には出土位置と深度(海抜)が登録されており、それぞれの部屋から出土したガラスを深度順に並べることで、時系列と対応させることができる11)。今回は、ラーヤ遺跡城塞区の中で比較的層序の整っている部屋2-1と部屋8-6からの出土ガラスに特定して分析を行った。
 出土層位と化学組成の関係を表4に示す。部屋2-1では表層から80〜100cm程度の深さで、部屋8-6では20〜30cm程度の深さでそれぞれ植物灰からナトロンガラスへの変遷が起こっているため、ここでは便宜的にそれぞれの部屋毎に変遷位置で上層と下層を分けている。部屋8-6の方が浅い位置で変遷が起こっているように見えるが、こちらは表層部分が強風などの要因で除去された為と考えられる。部屋間の深度の比較に関しては、他の考古学的検討が必要であるため、今後の課題として残したい。表4から部屋2-1、部屋8-6ともに上層(新しい時代の層)では植物灰ガラスが多く、下層(古い時代の層)ではほぼナトロン・ガラスで占められることが明らかとなった。
 ここで得られた結果から、層位学的にも、ラーヤ遺跡城塞部において、ナトロン・ガラスから植物灰ガラスにとって代わったということがほぼ明らかとなった。これは、すでに報告されているように、エジプトにおいて、8、9世紀頃から植物灰ガラスがナトロン・ガラスに代わって製造されるようになったというイスラーム・ガラス一般の時代的変遷と対応する結果であり、これらのガラスの製造技法の推移について考えるための重要なデータが得られたと言える。今後、推移の時期や他の遺物との関連などについて考察していく予定である。
 
3.3 ラーヤ遺跡居住区から出土したガラスについて
 本年度から新たに発掘を始めたラーヤ遺跡居住区から出土したガラスについて、同様の分析を行い、化学組成による特性化を行った結果を表5に示す。この地区の上層から出土したガラスの大部分はナトロン・ガラスであり、植物灰ガラスはわずかに2点であった。ナトロン・ガラスはイスラーム初期のタイプであり、居住区のガラスは、化学組成の点から、城塞区の上層に比べて年代が古いことが推定される。さらに、同地区から8世紀後半に製造されたと明記されているグラス・ウェイト15)も出土しており、分析結果とのよい対応が見られた。
 
4. まとめ
 2001年度からラーヤ遺跡城塞区、キーラーニー遺跡、ワーディー・アットゥール修道院遺跡から出土した遺物について、現地にて非破壊分析を行ってきたが、ガラスに関しては、これまでに得られた結果を基に研究を進めた結果、チタンとストロンチウムの濃度によって2種類のグループに識別することができた。これらは中世イスラーム時代において重要な2種類のガラスであるナトロン・ガラスと植物灰ガラスに該当する。また、出土層位と化学組成の関係についてみると、城塞区において下層から出土したガラスのほぼ全てがナトロン・ガラスであり、上層から出土したガラスの大部分が植物灰ガラスであることからも、一般に言われているナトロン・ガラスから植物灰ガラスへの変遷が、ラーヤ遺跡においても確認された。さらに、今年度から発掘を始めたラーヤ遺跡居住区の上層から出土したガラスは、その組成から大部分がナトロン・ガラスであることがわかり、これまで発掘を行ってきた城塞区の上層に比べて出土遺物の年代が古いことが明らかとなった。
 以上のように、ポータブル蛍光X線分析装置を用いたその場分析は、ラーヤ遺跡をはじめとするシナイ半島の遺跡から出土したガラスについて分析化学的な考察を可能とし、考古学的分類の一助としても有効であることを提示することができた。今後、本研究のような考古遺物の化学分析が、考古学の分野で重要な知見を見出すことが期待される。
 
参考文献
1)中井 泉「21世紀は微量元素が主役」『化学と工業』54、2001年、pp.1267-1271.
2)中井 泉、山田祥子、寺田靖子、中嶋佳秀、高村浩太郎、椎野 博、宇高 忠「新開発の3ビーム励起源とシリコンドリフト検出器を備えた可搬型蛍光X線分析装置によるシナイ半島出土遺物のその場分析の試み」『X線分析の進歩』33、2002年、pp.331-344.
3)真田貴志、保倉明子、中井 泉、前尾修二、野村惠章、谷口一雄、宇高 忠、吉村作治「新開発のポータブル蛍光X線分析装置によるエジプト、アブ・シール南丘陵遺跡出土遺物のその場分析」『X線分析の進歩』34、2003年、pp.289-306.
4)沢田貴史、保倉明子、中井 泉、真道洋子「ポータブル蛍光X線分析装置によるシナイ半島出土ガラスの化学分析−2002年度調査報告」『エジプト・シナイ半島ラーヤ・トゥール地域の考古学的調査2002年度』、川床睦夫編、2003年、pp.60-65.
5)望月明彦「ガラス」『エジプト・イスラーム都市アル=フスタート遺跡発掘調査1978〜1985年』、桜井清彦・川床睦夫編、早稲田大学出版部、1992年、pp.411-417,729-739.
6) Lucas, A, "Glass," J. R. Harris (ed.), Ancient Egyptian Materials and Industries, 1962, (4th ed.) , pp. 179-194.
7) Sayrey, E. V and R. W. Smith, "Analytical Studies of Ancient Egyptian Glass," Recent Advances in Science and Technology of Materials, 3, 1974, pp. 47-69.
8) Nicholson, P. T and J. Henderson, "Glass," P. T. Nicholson & I. Shaw (eds.) , Ancient Egyptian Materials and Technology, 2000, pp. 195-224.
9) Brill, R. H, "Some Thoughts on the Chemistry and Technology of Islamic Glass," S. Carboni and D. V. Whitehouse, Glass of the Sultans, New York, 2001, pp. 25-45.
10)真道洋子『イスラームのガラス−ガラスに見られるイスラームの生活と美−』、2002年、pp. 42-65.
11)川床睦夫『エジプト・イスラーム考古学25年史 中近東文化センター イスラーム・エジプト調査隊の歩み』、2003年、p.19.
12) Freestone, I. C, K. A. Leslie, M. Thirlwall and Y. Gorin-rosen, " Strontium Isotopes in the Investigation of Early Glass Production: Byzantine and Early Islamic Glass from the Near East," Archaeometry, 45, 2003, pp. 19-32.
13)沢田貴史、保倉明子、山田祥子、中井 泉、真道洋子「ポータブル蛍光X線分析装置を用いるシナイ半島出土ガラスのその場分析と化学組成による特性化」『分析化学』53、2004年、pp.153-160.
14)中川映理、保倉明子、中井 泉、真道洋子、川床睦夫、本書、pp.69-73.
15)川床睦夫、本書、pp.9-10.







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