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平成版「われ幻の魚を見たり」その二
加藤 禎一
 
 平成10年(1998年)のヒメマス漁は平成9年に続いて豊漁で、8月の1ヶ月間だけで9.5トンが集荷場に水揚げされた。この量は不漁が続いた平成4年(1992年)から平成8年(1996年)の年間漁獲量の2倍から4倍に近い量であり、平成元年(1989年)以来の豊漁だった。
 十和田湖ではヒメマスの漁獲量が多い年は秋の回帰親魚数が多いという年がよくあるので、秋には例年に比べて多数の親魚が回帰してくることが期待されていた。
 そして産卵期となり9月10日から親魚を捕獲するための地びき網漁が始まったが、下旬から捕獲量が増え始め、10月になると一網で2千尾から3千尾という採捕が連日続くようになった。十和田湖増殖漁協の組合長さんが「網を入れれば入れるだけ獲れる」と嬉しい悲鳴を上げるほどの豊漁で採卵用の蓄養池はたちまち満杯になり、収容しきれない親魚はそのまま出荷されるほどだった。ふ化場の水路に重なるようにして次々と押し寄せるヒメマスの姿は壮観で、そのことがニュースとしてテレビや新聞等にも取り上げられた。下の写真は10月7日の読売新聞に掲載された写真と記事である。
 結局平成10年(1998年)の親魚捕獲尾数は史上空前の85,000尾になったが、これはそれまで最多記録だった平成元年(1989年)の記録28,646尾の3倍に相当する尾数である。これを見てもこの年の親魚が如何に多かったかがよく判る。
 しかしこの大量回帰も翌平成11年(1999年)の11,283尾と2年続いただけで、その後は平成12年(2000年)1,312尾、平成13年(2001年)2,346尾、平成14年(2002年)1,132尾とこれまでの最低水準に近い状態が続いた。
 
写真: 1998年10月7日(水)の読売新聞1面記事(左)と記事に掲載された写真(右)
写真提供:読売新聞社
 
平成版「われ幻の魚を見たり」その三
加藤 禎一
 
 和井内貞行の「われ幻の魚を見たり」の話を初めて聞いた時、かつては魚も棲まなかったという十和田湖にいきなりヒメマスの稚魚を放流したことについて、成功を確信していたという信念の強さに驚くと同時に、無謀とさえ思えるその行動力に何か言いようのない凄さを感じたものだった。
 それにしても、本当に何の予見も伏線も無いままヒメマスを放流したのだろうかという疑問が心の隅にかすかに残っていた。
 それだけに今回の資料調査で明治39年度秋田県水産試験場報告の中にある十和田湖鱒孵化に関する調査に「和井内ハ日光中宮祠湖ノ實況ニ依リ濁リ確信スルトコロアリシヲ以ッテ」という一節を見た時は、闇雲に放流したのではないことが判って何かほっとすると同時に長年の疑問も氷解したのである。ここに出てくる中宮祠湖は中禅寺湖の別名で十和田湖同様かつては魚が棲んでいなかったといわれた湖である。中禅寺湖には明治15年(1882年)にビワマス卵12万粒が、明治17年(1884年)にサクラマス卵23万2千粒が移殖されて、明治19年(1886年)には初めての産卵親魚から7万粒が採卵されている1)。和井内貞行はこのような中禅寺湖でのビワマスとサクラマスの移殖の成功を見て十和田湖への放流の意を決したのであろう。明治34年(1901年)には中禅寺湖からこの鱒卵を取り寄せて3万5千粒を十和田湖に放流している2)。ヒメマスの放流より2年前のことである。
 一方、十和田湖に適する増殖魚種を探索していた青森県の関係者は、明治27年(1894年)から明治29年(1896年)にかけて行われた阿寒湖から支笏湖へのヒメマスの移殖が成功したことを知って十和田湖への移殖を試みることにしたのである3)。青森県がヒメマスに深い関心を寄せていたことは明治35年度青森県水産試験場報告の中にヒメマスの生態や支笏湖への移殖の経緯が詳しく記載されていることでも明らかである。その中に「県下各湖沼ヲ調査シタルニ十和田湖ハ該魚ノ性質上最モ適當ト認ムル」とあり、青森県としても十和田湖への移殖に積極的だったことが判る。その後、十和由湖の養魚関係者にヒメマスの移殖が有望であると勧めたところ和井内貞行から3万粒を購入したいと出願があったので、明治35年(1902年)12月、青森県水産試験場の主任が支笏湖から運搬してきたヒメマス卵の内の3万粒を青森港で和井内貞行に引き渡したことが記載されている4)
 このように十和田湖のヒメマスの成功は勿論それを実行した和井内貞行の熱意と努力によるものであるが、青森県の関係者による積極的な施策に負うところが少なくないことも明らかになった。
 当時カパチェッポと称していたこの魚がヒメマスと呼ばれるようになったそれより後の明治41年(1908年)の北海道庁告示で定められてからという5)
 

(文献)
1)田中甲子郎(1967):淡水区水産研究所資料B10.
2)明治39年度秋田県水産試験場報告(1906)
3)徳井利信(1984):十和田湖漁業史.
4)明治35年度青森県水産試験場報告(1902)
5)寺尾俊郎(1967):ヒメマス. 養殖講座, 緑書房.







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