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II章 十和田湖と周辺域の歴史と現状
1)自然環境
(1)地理・地形
 十和田湖は、青森県十和田湖町と秋田県小坂町にまたがる※1二重式陥没カルデラ湖で、水域面積※2は59.8km2、流域面積※3は67km2、湖面標高は海抜400mである。十和田湖の北部、西部及び南部は、比高200〜600mの急峻なカルデラ内壁で囲まれているが、東部は比較的緩傾斜である。広い平坦地は、南東部の宇樽部(うたるべ)、休屋(やすみや)に見られる。
 十和田湖の平均水深は80mで、南部の御倉(おぐら)半島と中山半島に挟まれた中湖(なかのうみ)では326.8mの最大水深を示す。また、十和田湖への流入河川のうち最大の河川は、南東部の宇樽部川で、他に休屋に流入する神田川、南部から西部にかけて鉛沢、大川沢、銀山沢などの小河川がある。一方、流出河川は、東部の子ノ口(ねのくち)から流出する奥入瀬(おいらせ)渓流のみである。この奥入瀬渓流沿いには、遊歩道が整備され、清冽な渓流と樹木が毎年多くの観光客を魅了している。
 
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(この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(行政界・海岸線)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。承認番号−平15総使、第579号)
 
 十和田湖周辺の基盤岩は、新第三紀凝灰岩類(グリーンタフ)で、カルデラの北壁と西壁に露出しており、これを第四紀の八甲田火山及び十和田火山の火山噴出物が広く覆っている。カルデラ形成前の十和田湖は、非火山性山地であったと考えられる。
 
(石ヶ戸火砕流−50万年前)
 八甲田火山から50万年前に流下した石ヶ戸(いしげど)火砕流堆積物が、湖の南岸と東岸に露出している。石ヶ戸火砕流堆積物は溶結※4して堅固で、銚子大滝をはじめとする多数の滝を作っている。発荷(はっか)峠と青ぶなには、石ヶ戸火砕流堆積物の上に生じた火山の残骸が認められることから、カルデラ形成前には、十和田山や十和利山(とわりやま)に似た中型の円錐火山があったと考えられる1)
 
(十和田湖陥没カルデラの形成−4万3千年前〜1万3千年前)
 4万3千年前の奥瀬噴火(奥瀬火砕流)によって十和田湖から噴出したマグマの量は100億tで、3万年前の大不動噴火(大不動火砕流)と1万5千年前の八戸噴火(八戸火砕流)では、さらに多い500億tがそれぞれ噴出した。これらの噴火により十和田湖陥没カルデラが形成された。これらの噴火では、石英安山岩質のマグマが噴出した。八戸噴火後まもなくカルデラ南部で噴火が再開し、SiO2※5含有量が18%も低下した玄武岩が噴出した。玄武岩マグマの噴火は1千年ほど続き、五色(ごしき)岩火山を形成した。1万3千年前ころから、噴出するマグマのSiO2が増えはじめ、石英安山岩に戻った。これに対応して噴火間隔があくとともに、爆発的になり、高い噴煙柱をつくって軽石や火山灰を広範囲にまき散らすようになった1)
 
(瞰湖台、中湖の形成−9千500年前〜6千300年前)
 9千500年前の南部噴火の堆積物が、瞰湖台(かんこだい)に露出している。6千300年前の中掫(なかせり)噴火では、70億tのマグマが噴出した。中掫噴火末期に、五色岩火山の北側火口壁の一部が切断されて外湖とつながり、中湖(なかのうみ)が生じた1)
 
(毛馬内火砕流−1千年前)
 915年8月17日に起こったと考えられる毛馬内(けまない)火砕流の噴火は、平安時代に書かれた『扶桑略記※6』に記述されている。この噴火では50億tのマグマが噴出した。この噴火は、過去2千年間に日本で起こった噴火のなかで最大規模である。毛馬内火砕流は、極めて高速で四方に広がり、五色岩火山の上に開いた噴火口から20km以内のすべてを破壊した。毛馬内火砕流の上には、火山灰を多量に含む熱い入道雲(サーマル)が発生し、上空の風で南へ押し流され、仙台市上空まで達したとされている1)
 
 十和田湖周辺域の代表的な集落である休屋、宇樽部のある青森県は、夏が短く、冬が長い冷涼型の気候に属している。しかし、青森県内でも津軽地方と南部(県南)地方とでは、山脈、半島、陸奥湾など地形的な複雑さや海流などの関係で気候に大きな違いがあり、津軽地方では、冬は大陸からの冷たく湿った季節風※7の影響で雪が多いのに対して、南部地方では晴天の日が多く雪も少ない。一方、夏は北太平洋に発達する高気圧のため、南部地方には「やませ※8」が吹き、低温で小雨の日が多く、冷害に見舞われることもある。また、津軽地方では、一般に気温が高い日が続く(青森県情報総合サイト BookMark Aomori 青森県メモ http://aomori.cside.com/sub90.html)。
(1)気温
 十和田湖周辺地域の中でも中心的な集落である休屋は、海抜が400mという高所であることから年間を通して青森市内、秋田県鹿角市などと比較すると2〜3℃気温が低い。夏は最高気温が30℃を越すこともあるが、冬は最低気温が-15℃に達することもあり、1985年1月5日には最低気温-16.5℃を記録している(図2-1-2)。
 
(出典:気象庁 電子閲覧室 http://www.data.kishou.go.jp/
注)
各観測データは、休屋は1982〜2000年、青森、東京は1971〜2000年、鹿角は1979〜2000年の月平均値。
 
(2)降水量
 休屋の降水量は、青森市内と比較すると、春から夏にかけて特に多く、12月から2月の冬季に少ない(図2-1-3)。
 
(出典:気象庁 電子閲覧室 http://www.data.kishou.go.jp/
注)
各観測データは、休屋は1982〜2000年、青森、東京は1971〜2000年、鹿角は1979〜2000年の月平均値。
 

※1十和田湖は、江戸時代には一帯が南部藩の所領であった。しかし、1871年(明治4年)の廃藩置県で東岸が青森県、西岸が秋田県とされたが、湖面の境界線は決められていなかった。130年越しの県境については、青森県十和田湖町と秋田県小坂町とで話し合われてきたが、町同士での解決が難しいため、両県を交えた4者で解決を目指すことになり、さらに長期化の様相を見せ始めている(地元2町合意せず/130年越し県境問題は長期化 毎日新聞2004年1月21日)。
※2湖の水面面積
※3湖が降水を集めている面積
※4高温状態の火砕堆積物が、自重でつぶれて密度を増すこと。
※5珪酸塩(けいさんえん)。天然に広く多量に存在し、造岩鉱物としてマントル及び地殻の主成分である。
※6ふそうりゃくき−平安末期に書かれた歴史書(皇円著)。神武天皇から堀河天皇までを漢文・編年体で記す。
※7一般に季節風は、夏は海洋から大陸に、冬は大陸から海洋へとほぼ正反対にかつ広範囲に吹いている。日本付近では夏の南東風と、冬の北西風とが季節風である。
※8東北地方の太平洋側で、梅雨期から盛夏期にかけて吹く北東風。







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