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1-2 伊勢地域の海運・舟運史
1-2-1 河崎の繁栄と物流拠点としての大湊
 
[河崎の繁栄]
□伊勢神宮への参拝者の拡大とともに、字治、山田は市場町から門前町へと移行。
□これにかわり、河崎が市場町としての機能を踏襲することとなった。
勢田川の水運と門前町山田の近接地であることによる市場町河崎の成立
□さらに、勢田川の水運を守るため、町の人たちが共同で川ざらえをするなどして舟の通行を確保していた歴史的な背景がある。
[物流拠点としての大湊]
□大湊は、南北朝時代に吉野と東国を結ぶ中継港として、また、熊野や志摩水軍をおさえる港として重要であり、住民の生活物資から、各地から伊勢神宮に奉納される品々を取り扱う港として繁栄した。
□さらに、東からの参拝者は、大湊へ船で渡ることが多かった。
西暦1565年(永禄元年)の古文書より
□この年の1ヶ月間に113艘の船が入港しており、廻船も大小120艘記録されている。
 
図 河崎の魚河岸
 
 
(資料) 
「まちづくりフォーラム(平成14年12月15日)」
資料より







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