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コメディカル学生・教員など感想文
『無題』
健和看護学院 荒川 浩美
 
 私は看護学校で、解剖見学があるとは思っていませんでした。実際に人間の身体だと聞き驚き、その反面、本当かなあ? と思いました。解剖見学前のオリエンテーションの時、先生に、「あなたの家族を献体させて下さいって言われたらどうする?」と聞かれ、「どうぞって言います」となんとなく答えてしまった自分を反省しました。
 今日の解剖見学は本当に貴重な体験なのだと身をもって感じました。私たちにこのような機会を与えてくださった方々に感謝するとともに、しっかりと学ぼうと思い、黙祷をしました。しかし、実際に解剖してあるご遺体を見た瞬間、身体が動かず、思わず目を逸らしそうになりました。そしてなかなかご遺体にふれることが出来ませんでした。
 私たちのグループは女性の方で、眼球や脊髄などきれいに解剖してありました。大動脈の大きさには驚き、自分の身体の中にも、同じものがあり、その中をたくさんの血液が流れているとは、信じられませんでした。また、小腸は思っていた以上に長く、大腸は、S状結腸、直腸などしっかりと観察することが出来ました。内臓だけでなく、筋肉がどのように骨についているのかなども、観察することができました。
 脳を観察しました。先生が細かく、説明してくださり、分かりやすかったです。写真でみるままで、本当にこうなっていたのだと、感心しました。実際、持ってみると、予想以上に重く、自分の脳もこんなに重いのかと思うと、少しうれしかったです。
 今回の解剖見学を今後の学びにつなげ、今回の体験が無駄にならないよう、一生懸命、勉強していきたいと思います。本当に貴重な体験ができて良かったです。ありがとうございました。
 
宇都宮歯科衛生士専門学校 飯島 麻紀
 
 まずは、このような貴重な体験ができた事に心底喜びを感じている。想像していたものとは大きく違い、とにかく神聖なものであった。
 毎週、解剖学の小テストのために苦労して勉強した甲斐あり、これが基盤となって机上の学習が実際に目にしたものと見事に一致した。もし無知のままで行っていたら、解剖見学の意を成さなかったと思う。
 胎児については、自分が妊娠していたときに見たエコー通りの成長過程を観察する事ができ、こんなにも赤ちゃんがそのままの姿形をしているのに、外界の明るさを知らずじまいだったのかあ、などと考えているうちに止めどなく涙があふれてきた。娘とこの世で出会えたこと、娘が毎日元気に外で遊ぶ姿を見られる事が実に幸運であることなのだと実感した。そしてなぜか無性に娘に会いたくなった。
 人間の神秘、命の神秘を目の当たりにして、今私達がこの世で生活していることすべてが体の内部一つ一つの活動によるもので、それは偉大な事であると感じた。そして、私自身いつかその時がきたら、私の身体もこうして提供したいと思う。
 また、見学中に特に印象に残った事は、テキスト上では分かり得なかった事、全てが印象的であった。その中でも内臓の大きさは個人差がかなりあり、それは身体の大きさに比例しない。臓器の中で見た目に目立つ肺は、環境の影響であんなにも真っ黒になってしまう。筋は、何層にも分かれ縦横に走っているため手術の際は筋線維に沿って切っていく。胆石・腎石は本当に本物の石の様であった。舌は見た目よりはるかに大きい。以上が特に印象に残った。最後に、2回という回数が程良い緊張感を保て、積極的に観察し、触れてみる事ができた。また、基礎が頭に入っていたため先生方の説明に納得する事ができた。
 
順天堂大学医学研究科 池田 若葉
 
 「解剖実習セミナー2003」に参加し、今回、初めてヒトの解剖というものを経験しました。
 修士時代に「人体構造学」という授業で、標本ではあるものの、本物のご遺体を見たことはありました。しかし、実際に自分の手でメスを握り、ご遺体の表皮をはがし、一つひとつ解剖するということは、私にとって初めての経験でした。
 体のすみずみまで張り巡らされた血管や神経、手足を作る筋肉、それにより動かされる骨や関節、生命を支える内臓・・・。ピンセットで解きほぐし、一つひとつ見てみると、ヒトの体は、実に神秘的で、精密にできている機械のように思います。実習が進むに従って人体の世界にどんどんはまり込み、ふと気づけば、いつの間にかご遺体を物体として見ている自分に、衝撃を感じました。解剖させて頂いているご遺体は、何十年間という人生があった、人格のある一人の人間であるはずなのに。
 しかし、最後のセレモニーである納棺の儀では、そっと胸に込み上げるものがありました。まさに、物体として見ていたご遺体が、個性と人格を持った一人の人間となった瞬間でした。
 私自身、医療倫理、生命倫理問題について興味関心があり、現在大学院で研究をしていますが、今回の解剖実習セミナーを通じて、自分自身、世界観、倫理観が変わったような気がします。ヒトの体というのは、まさしく精密にできている一つの機械です。しかし、ご遺体と初めて対面する瞬間、実習、そして最後のセレモニニーという一連の流れを通じ、ヒトの存在が物体になったり人格を持った人間になったりするということ。また、血管一つ、筋肉一つ見ても、個人によってその太さや厚み、長さはそれぞれ違い、決して教科書通りではないということ。あらためて、医学というのは、サイエンスでありながら答えが複数ある世界だと思いました。今回の解剖実習の経験は、私自身の今後の研究に対し、一石を投じるものになると思います。
 二週間という短い期間ではありましたが、実に多くのことを学ぶことができました。大変勉強になり、充実した期間でした。このような貴重な経験を与えて下さった白梅会の会員の方、並びに解剖学講座の先生方に感謝致します。ありがとうございました。
 
健和看護学院 今浪 紗希
 
 私は、看護師を目指し始めた時から解剖見学が行われることは知っていました。それを知ったとき、正直とまどい、不安に思いました。母から話を聞いていると、様々なイメージが膨らみ、自分はその場に耐えられるのかと、心配に思っていました。日に日にその時が迫るにつれ、不安は大きくなっていきました。しかし、数日前のオリエンテーションで、自分の気持ちが変わりました。不安やとまどいが消えたわけではありませんでしたが、献体してくださり、私たちに学ぶ場を提供して下さった方に、感謝する気持ちが生まれてきました。その後は、その見学が見るだけで終わってしまわぬように、解剖学の教科書を読んだりしました。しかしながら前夜は、どうしても緊張して眠ることができませんでした。
 当日、朝から緊張していましたが、それよりもたった一度しか見学できない正常解剖見学で、出来るだけ多くのことを学び、吸収してやろうと心に決め、大学に向かいました。その時、どんなに辛くても、息が苦しくなっても最後まで頑張ろうと思いました。いろんな事を、おそらく、他の人以上に考えてきたのではないかと思っていたので、後悔だけはしたくありませんでした。いざ、献体の方を前にしたときは、やはりとまどってしまいました。でも、一つ一つの臓器を見て、触れた時、本当に神様がいるのではないかと思ってしまうくらいの感動がありました。一番驚いたのは、大動脈の大きさです。あまりの大きさに、今までの不安も薄れ、「すごい!」としか言葉が出ませんでした。一つ一つの臓器がずっしりと重たく、命の重さを感じました。そして、その方がどうして献体を希望されたのかなと考えたりもしました。
 私自身、この見学を通してたくさんのことを学ぶことが出来たと思います。それは、教科書や図では学ぶことの出来ない本物の人間の臓器を見られたということ、触れられたこと、立体感や、やわらかさ、そして献体して下さった方の温かさを感じられたことです。わたしたちが、こうして見学することが出来るのは、協力して下さる方がいて初めて出来ることだと実感しました。献体をするということは、たぶん、とても勇気がいることだと思うし、家族の方に同意していただくことも簡単ではないと思います。
 今日、私が見学し、得たものは一生忘れません。それが、献体して下さった方に対する感謝の気持ちであり、これからまだまだ多くのことを学ばなければならない私の自信につながることだと思うからです。本当に貴重な経験が出来て良かったです。
 
杏林大学保健学部臨床化学 榎本慶一郎
 
 臨床検査技師は疾患の診断に重要な情報を提供する役割を担いますが、その教育段階において人体解剖学実習が必須とされていないのは非常に残念なことだと思います。人体解剖学を机上の勉強だけで済ませ、それ以来血清などの検体検査に携わって来た臨床検査技師の中には、検査結果から全身の病変へとイメージを膨らませて行く過程で具体的な知識の不足を感じる方が意外に多いのではないかと思います。
 二〇〇三年八月、医学部においてコメディカルの教員対象に人体解剖実習を実施するとの知らせがありました。私の様に実習を受けたことのない者にとって有意義な機会であると思いましたが、化学分野専門の私が参加するなど、ご献体頂いた方に失礼ではないかとの念や、貧血で倒れたらとの恐怖から参加を躊躇していました。しかし登録締め切りが迫ったある日、解剖学の先生に「悩んでいるなら参加したら」「ご献体の方と仲良くし、勉強させてもらうという気持ちで臨めば貧血にならない」とのお話を伺い、この言葉に背中を押されるまま参加を申し込みました。
 私の貧血に対する恐怖は杞憂に過ぎず、実習は未知を知ることへの感動の連続で、特に血管の走行を実際に確認することにより各臓器の連絡が認識出来たことは非常に有意義なことでした。これに加え、人が生きていることは筆舌も及ばぬほど精密でダイナミックなことであり、その生死に直接関与する医療に携わる者の責任が如何に重大であるかを再認識させていただけたことは、貴重なことであったと思っています。一方で、実習内容が想像以上にハードであったことや、机上と実際とでは大きな差があることなどから茫然自失することも数多くありました。そんな時、ご献体頂いた方のお顔を拝見すると「しっかりやれよ」とのお声が聞こえるようで、大変な励ましを頂戴したと感じています。最後に、ご献体下さいました皆様と、ご遺族の皆様に心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。
 
社会医学技術学院 岡田要一郎
 
 理学療法士の養成校で教育に携わって五年目を迎えた。人に指導や教授ができるほどの知識も技術も持っていない私が、この仕事を行うに当って自分自身のレベルアップを目指し努力する以外何もないと感じている中、絶好の機会を得ることができた。
 二〇〇三年の夏、杏林大学医学部第一解剖学教室のご厚意で解剖実習セミナーに参加することができた。解剖学を集中して学ぶ機会は学生以来十数年ぶりになる。ましてご遺体を前にして学んだ機会は皆無に等しい状態だった。
 実習初日、ご遺体との対面は衝撃だった。生きておられた時の状況が想像できる姿で、まさに眠っているようであった。「この方はどのような人生を生き、どのような思いで献体を希望されたのだろう。私とこの場で出会ったことは何か意味のあることではないか」とさまざまな思いが駆け巡った。このときはまだ、この方を「人」としてみていた。
 実習が進むにつれて私の中から「人」という認識が薄れていた。人間の神秘に感動し、夢中でその構造を自分の目で確かめたいという好奇心のみが先行していた。教科書を照らし合わせながら見た実際の人体はさまざまな発見が多かった。立体的な構造を様々な方向から確認し、実際に触った感触を感じた。疾患の痕跡も確かめられた。理学療法士として生きていた方の障害に対して運動機能や精神機能をより高めるためにはやはり解剖学は欠かせない学問であり、このような機会を得たことに喜びを感じた。
 実習最終日、すべての実習の最後にご遺体を御棺に納めた。私の中で改めてこの方が「人」に戻った瞬間だった。今まで私の中では「人」ではなかったのだと感じた。このとき私は、この方が与えてくれた様々なことを無駄にしない生き方をしなければならないと思った。今まで理学療法士として生きてきた中で様々な恩師に出会った。そして今回、新たな恩師に出会った気がした。自らの体を張って私に教えてくれた新たな恩師をこれからも忘れない。そしてこの経験を、後輩たちに伝えていくために努力することを新たな恩師に誓う。







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