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『無題』
産業医科大学 元 舞子
 
 以前、産業医科大学のすぐそばにあるバス停でバスを待っていると、おじいさんが私のほうに向かって歩いてきました。彼は私にラマツィーニホールの場所を尋ねてきたのでした。道順をお教えして、少し話をしていると、そのおじいさんが医聖会の会員さんで、もうすぐ開催される医聖会の総会に出席されることが分かりました。献体について深く考えておられ、世のために役に立ちたいとのことでした。おじいさんの「今まで生きてきて、楽しかったこと、辛かったこと、色々あったが悔いは全くない。あとは自分が死んだ後医学の発展のため、または教育・研究のために献体をして、少しでも役に立ちたい」という言葉が忘れられません。私は、この言葉を聞いて感謝の気持ちでいっぱいで、言葉が出ず、ただただお礼をするばかりでした。このような思いをもっておられる方に、実際お会いすることができ、そしてお話をすることができたことを嬉しく思います。
 今年、大学に入学し、高校までの教養分野とは違って専門的な勉強ができることを楽しみにしていました。だから私にとって解剖学は特に興味のある科目でした。一番私たち人間にとって身近だが、何も分からない領域である人の体は、本や図を見て学習してもなかなか理解できない学問です。今回、解剖学実習をさせていただき、自分の目で見て、感じてみて、今まで自分の考えていた体のつくりと大きく異なることに気づきました。胃はもっと小さいと考えていましたし、神経・皮下組織がこんなに複雑であるとは思いませんでした。また臓器や動脈、静脈の立体的な位置関係や骨盤の深さなど図や写真ではあまりよく分からなかったことなども、この実習で理解することができたと思います。また、大腿部のスケッチもさせていただきましたが、筋肉の走行、血管の太さ、位置、状態、そして神経一本一本まで、はっきり見ることができ、人間の体のつくりはすごいなと感動しました。そして、もちろんご遺体によって少し位置や形状、大きさが違っていたりと、個人差や男女差も勉強することができました。このようにして解剖学実習ができるのも、私が以前出会ったおじいさんのように献体に対して深い理解と考えをもって、医学のためにとご献体を約束された医聖会の会員の皆様がいてくださるおかげだと思い、深く感謝しております。これからもご献体下さった皆様への感謝の心を忘れることなく、医学の勉強に励みたいと思っています。本当にありがとうございました。
 
岩手医科大学 長谷 理恵
 
 先ず、我々医学、歯学を志す者の為、医療の発展の為に献体をして下さった方々、そしてそのご遺族の方々に言葉では言い尽くせない程の感謝をしています。
 半年にも及ぶ解剖学実習ではありましたが、今、改めて振り返ってみると、毎日が新しい知識の組み立て、発見の充実した日々だった様に思えます。週三回の実習と予習、復習、テスト勉強と、体力的、精神的疲労から、泣き出したくなる時も正直ありましたが、そんな私を無言で支えて下さったご遺体、厳しくも暖かくご指導下さった先生方、そして協力し合った班員の二人のお陰で麻痺しかけた感覚を取り戻し、最後までご遺体に失礼のない様に実習を行うことができました。
 私は、この実習を進めることにより、人の生死と、自分の今までの精神力の甘さや未熟さ、何より歯科医療に対する心構えを学びました。目の前でその身体を提供して下さっているのは、人形でもなければ物質でもない、紛れもなく、少し前まで我々と同じように生きて生活をされていた「人間」ということを理解した上で、解剖させて頂けるようになってからは、感情のみに流されては患者を治療することは不可能であり、かと言って、患者を人としてではなく、模型や物質の様に扱っていては、治療させていただく以前の問題であることを学んだ。あくまでも、ご遺体に対しての尊厳を忘れず、かつ一歩距離をおいて実習をすることを学んだことで、歯科医になった際の患者に対する重要な視点、精神を養わせて頂いたことでもあると実感しております。
 人体とは本当に不思議な、神秘的なものでありました。特に、血管や神経の分布は、決して、教科書だけでは完壁に学び取ることなどできない程複雑に、かつ巧妙に配列されていて、決して二つと同じ分布は存在しないものでありました。解剖を通して頭の中でバラバラだった学習内容が、少しずつ目で見て、体で理解をし、知識としてまとまる事に充実感を覚えて解剖をすることができました。解剖とは、亡くなられた後に献体をして下さった故人のご厚意を大切にし、多くの患者さんの「生」につなげる生命のバトンリレーだと実感しています。我々学生は、この重要なバトン役として、頭と身体で学ばせて頂いた知識を十分に生かし、立派な歯科医師を目指したいと思います。本当にありがとうございました。
 
日本大学松戸歯学部 林 倫子
 
 解剖実習は、知識を増やすのにとても役立ったと思う。実習を始めた頃に比べると、何倍も多くのことを知ることができ、嬉しく思っている。
 解剖実習は、実習もレポートも大変であった。しかし、実習では発見することがたくさんあり、楽しかった。始めた頃は少し抵抗があったが、時間が経つにつれて抵抗はなくなり、学ぶ楽しさを感じられるようになった。実習書を読んで自分で調べ、理解していかなければならないので時間はかかったが、自分がやった所はしっかりと覚えることができた。講義や、教科書を読むだけの勉強よりとても興味深く、時間をかけた分、実力にもなっていると思う。実習を始める前、私は筋肉や臓器などは人間の付属品のように考えていた。しかし、実際に解剖をしてみて、人間の臓器の緻密さに感動し、たくさんの組織が集まって一人の人間を作っていることを知った。口腔領域も、他の組織といろいろな関係を持って存在していることが分かった。私達は将来口腔領域を専門とするが、口腔以外の他の組織も全て理解した上で診療ができる、視野の広い歯科医師になりたいと思った。
 御遺体は解剖が進むにつれて、もとの姿が分からない程になっていった。このように、体を提供してくださる人々のおかげで私達がこうして勉強ができるのだと考えると、この厚意を無駄にしない様、一生懸命勉強しようという気持ちになった。解剖が終了し、御遺体に花を捧げた時は、感謝の気持ちでいっぱいになった。解剖実習は、医師となる自覚を強めたり、知識を増やしてくれたりと、大変私を成長させてくれるものであった。この経験を将来に生かせるよう、これからもたくさんの事を学んでいきたい。
 この半年間はとても忙しく、辛い時もあったが、得ることがたくさんある大変貴重な経験であった。これからも大変なことはたくさんあると思うが、体を提供してくださった献体の方々、そして一生懸命教えてくださった先生方に感謝の気持ちを忘れずに、良い歯科医師を目指して頑張っていきたいと思う。
 
神奈川歯科大学 林 真希
 
 今いる私は実習が始まる前の私とは違うだろう。なぜなら、実習によって自分自身の中で何か変化していると感じたからだ。それ位、私にとって解剖実習がもたらしたものは大きかった。
 「私が解剖なんてできるのだろうか」。実習が始まる前、何度もこう思った。不安があった。それに対して実習に対する「やってやるぞ」という、力強い気持ちもあった。いざ実習が始まると、先生が言われたことを全部吸収しよう、と解剖学に対して貪欲な探究心が芽生えた。その心をもった自分自身がとても新鮮だった。ただただ、献体された方とそのご遺族に対して、感謝の気持ちでいっぱいだった。
 私は、生まれてから身近で不幸を経験したことがない。それ故、死というものをはっきりとは理解することができないでいた。頭では理解できるのだが、どこか死というものに対して否定的であったと思う。しかし、ご遺体を通して死という出来事を肯定的にとらえるようになった。何よりも命の尊さが身にしみて分かったことは言うまでもない。献体を希望された方々の意志をきちんと受け取って、私達自身がその意志に応え、貪欲に学ぶことが大切だと感じた。今もこれから先も実習で多くのことを教えていただいた、ご遺体に対して感謝の気持ちは忘れたくない。これから歯科の専門的なことを学んでもいつも原点には解剖実習があると思う。この実習で医療に携わる者としての自覚が芽生えた。
 私は実習を通して命の尊さを改めて自覚した。ご遺体は解剖学的なことはさることながら、命あるものの尊さを教えてくれた。人として広い視野で物を考え、とらえることができるようになった。私は自分自身の成長を通して、人として大きな心を持つ人になりたいと思う。
 実習の場を与えてもらえたことに感謝したい。
 「ありがとうございました」。
 献体された方とそのご遺族のみなさんにも感謝したい。
 「ありがとうございました。そして、これからも積極的に学びます」。
 
福島県立医科大学 原田 佳代
 
 紙パックのお酒2つ用意しました。連日の実習に、ピンセットを握る手が腫れ上がってしまったこと、辛いこともあった70日間でしたが、なんとか無事最終日を迎えることが出来ました。その感謝の気持ちと嬉しさを一緒に分かち合って頂きたいと思ったからです。脊髄後根のふくらみ、耳小骨の巧みさ。そして強靭な大腿骨頭。人体とは、かくも美しいまでに精巧にでき、理にかなった力強さを有しているものなのか、ひたすら驚き感動するばかりでした。そんな私達学生の様子をあなたはただ静かに見守り、励ましてくれました。御身をどこまでもさらけ出し、身をもって教え導いて下さいました。その深く広い御遺志にどう報いればいいか。それを今しっかりと胸に刻んで医学の道を歩んで行きたいと思います。言葉には言い尽くせませんが心より感謝の気持ちを込めて、70日間、本当にありがとうございました。
 
日本大学松戸歯学部 土方理恵子
 
 解剖実習を終えて・・・感謝の気持ちでいっぱいだった。実習を始めた当初は、人体を解剖するのに抵抗があった。なぜなら、亡くなられた人とはいえ人を切ることになるからだ。しかし、何回か実習を行っているうちに抵抗がなくなり、感謝の気持ちへと変わっていった。それは、献体して下さった方のおかげで私は学ぶことができたからである。また、実習前と終わりの黙祷で気を引き締めることができた。
 実習中に何度も先生に助けていただいて、なんとか剖出することができた。最後の方になってくると、教科書や授業で習ったことを実際に確認することができた。また、人には個人差があり、その構造はとても複雑かつ精密であることを実感した。献体して下さった方が何故亡くなったのか、どのくらい苦しんでいたのかということを実習を通して多少だが知ることができた。私の班のご遺体は、内頚静脈にカテーテルが入り、胆嚢が大きく、腸等が癒着していた。このことから、この方はかなり苦しんで亡くなられたのだろう、ということが想像できる。それでも、生前は私たち医療に携わる者に勉強してほしい、あるいはそのことによって医療が少しでも進歩して欲しいと願ってご献体下さったのだと思う。そのことに深く深く感謝したいと思う。
 実習を行うにつれて私はどんどん知識をおさめることができたと思う。それは、実習前の段階では知らなかったことが分かるようになったからだ。また、この実習を行って少しだが内臓や血管、筋肉などの人の構造を立体的に見ることができるようになったと思う。これからは人体解剖をする機会はほとんどないと思うので、今回得た知識や体験を忘れずに心の中で留めておきたいと思う。そして、将来医療に携わる者の一員として必ず役立たせたいと思う。それが、献体して下さった方やその御家族の願いなのではないかと思う。最後に、その方々に、『ありがとう』と言いたい。
 
岡山大学歯学部 日ノ下絵美
 
 この二ヶ月余りの解剖期間中、私の実習進度は他のグループから常に遅れている状態で、円滑に進んだとは言いがたいものでした。手先が不器用だとか、要領が悪かったとか、いろいろな原因があったでしょうが、一番大きかったのはやはり自習が不十分だったことだろうと思います。
 自分の努力が足りないにも関らず、勉強するのが辛いから実習を辞めてしまいたいなどと思ったこともありました。そんなとき、ともしび会の理事長さんのお話を伺う機会がありました。献体してくださる方の思い、そのご家族の思いなど、ひとつひとつの言葉が胸に突き刺さりました。少し考えれば気付きそうなことなのに、当時の私は忘れてしまっていたのです。毎日五時間も向き合っていたのに、やらなければならないことに追われて、目の前のご遺体の人生や気持ちについて考えることも忘れていました。
 「立派な医者や医療人が育つように・・・」と考えて、この方も献体をしてくださったのだということに改めて気付くと、これまでの自分が本当に情けなく思えました。そして、私が大学を卒業するまでには、自分の家族だけではなく、献体して下さった方やそのご家族などいろいろな人たちの思いに支えられていくのだなと思いました。
 人体解剖実習を終え、実際に人体の構造を目にすることができ、文献や図譜のみで勉強するよりもはるかに理解度も上がり、ためになりました。また、これからの勉強、実習で挫折しそうになることがあっても、自分が担当したご遺体のお顔や遺志を思えば、学業を放棄することはできないと思います。







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