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解剖学実習を終えて
熊本大学医学部 鶴岡 美穂
 
 平成十四年十一月五日。御遺体と初めて対面した時から四ヶ月、本当にあっという間でした。
 この日、青いシートがかけられた御遺体を前に、自分がこれから何をすれば良いのか分からなくなり、立ちすくみ、人の体にメスを入れることに対して恐れにも似た緊張と、本当に自分が解剖する資格がある人間であるかという戸惑い、これからの長い四ヶ月の実習を成し遂げられるのかという大きな不安で一杯だったことを鮮明に覚えています。
 十一月に実習が始まる前、私は自分なりに精一杯解剖学の知識的なものを頭に詰め込み、教科書を見て理解したつもりでいました。これが大きな勘違いであったことに実習初日に思い知らされたのです。先生の説明が終わり、皮神経、血管の剖出から始まりました。しかし体のどの部分から剖出されるのか予習で分かっていたはずなのに、剖出されたものが神経なのか血管なのか結合組織なのかさえ区別出来ず、不安と焦りだけが募っていきました。この時この実習が生半可な考えだけで乗り越えられるものではないということを痛感したのです。
 その日から毎日、実習室は本当に厳しい修業の場となりました。初めのうちは毎回の膨大な作業がその日のうちに半分も終わらないし、実習前に身につけたはずの学名や知識さえどんどん頭から離れ、増えていく記録用紙を早く仕上げることだけを考えてしまう日々が続きました。そんな毎日の中で、記録を通して、自分の姿勢が間違いであったことに気がつきました。毎回記録用紙を出しては何度も何度もつき返され、幾度となくやり直しをしていく内に、今まで実物に教科書の学名をあてはめる程度の記録しか出来ず、いかに実物を捉えることが出来ていなかったかと気付き、落ち込むこともありました。「実物をまずしっかり見て、そして考える」という姿勢は、実習を通して少しづつ身についていったと思います。真っ黒になるまでやり直したレポートは、私に冷静になって物事を観察し、じっくりと考える機会と一つのことを最後までやり遂げる力を与えてくれたと思います。
 腋窩、大腿伸側、頭部自律神経のレポートを通して、自分の持っている知識を総動員して考えを練ることと、誠実に御遺体と向かい合うことができれば必ず御遺体は無言のうちに教科書には載っていない事実を教えて下さるのだという事に気付きました。この事は医師としてこれから進んでいく道で最も必要とされる事なのだと思います。一人の患者さんを目の前にしてどれだけ事実を捉えられるのか、そしてどう考えるのか、医学の根本を教えて頂けたと思います。
 私は後半、心臓の洞房結節枝について実習調査を行いました。仲間達とどの点に着目すれば良いか試行錯誤し、調査を進めていきました。二十七体すべての心臓を見ていくうちに、その多様性に感動し、一人一人の人間の個性を初めて実感する事ができました。一つ一つの心臓に触れ、丁寧に観察を進めていくと、この心臓一つ一つが拍動し、御遺体の体に温かい血液を送りだしていたのだと、故人の生前に思いを馳せました。私達よりもずっと長い時間この心臓を拍動させ、様々な苦労、経験をし、人生を歩んでこられた御遺体は、この実習中、私達に何一つ隠すことなく全てを見せてこられたのだと思い、人の生と死について考えさせられました。
 この実習は、精神的、肉体的に厳しい実習であり、何度も失敗し、反省を繰り返して、自分は医者に向いているのか、医師としての道を進むべき資格があるのか自問自答が続く毎日でした。しかし、その度に尊い御遺体の篤志と解剖慰霊祭で見た御遺族の涙を思い出し、できる限りのことをやろうと自分を前向きに立て直す事ができました。悪戦苦闘の日々でしたが、先生方の熱心な御指導と友人達と共に学べる喜びに支えられ、この四ヶ月間を終える事ができました。尊い御遺体に応える事が出来たのか今でも不安は多く残りますが、私の中に生き続けている再構築された御遺体により、将来の患者さんを助ける事が出来るようこれからも医学の道に精進していきたいと強く決心しています。
 
鹿児島大学医学部 永里 耕平
 
 「これほどまでにヒトの体のまさに神秘とも言うべき精巧なつくりに感動したことがあるだろうか。まったくヒトの体はなんと素晴らしいのだろう」。
 これが、肉眼解剖を終えて私が率直に思うことである。確かに肉眼解剖を行う前、ぜんぜんヒトの体のつくりを知らなかったわけではない。しかし、真剣に体のつくりを考え、体の偉大さを感じたのは初めてであった。医者を目指すものとして本当に貴重な体験をできたことをご遺体提供者、ご遺族の方々に感謝したい。
 とはいっても肉眼解剖実習の始まる前はあまり積極的な見方は持っていなかった。かなりきつくて大変と聞いていたので少々憂鬱に感じていた。それでしっかり人の体について勉強しようと意欲的思いはかけらも持たず、とりあえず何とか乗り切ろうと思っていた。そう思っているうちに肉眼解剖実習初日を迎えた。一番最初にご遺体を目の前にしたときの気持ちは決して忘れることはないだろう。表現しにくいが、不気味とかただ怖いとかそういう感情ではない。なんというのだろう、とても高貴で畏れ多く崇敬の念とでもいうのだろうか、とにかく今までに感じたことのない複雑な気持ちだった。
 実習が始まっても最初から意欲的であったわけではない。まだまだ実習に受け身で予習もいい加減であった。周りから作業手順を聞きながら、ただ日々の作業をこなしていくだけであった。しかし解剖実習が進むにつれてわたしは積極的に実習に参加するようになった。それは実習に体が慣れてきたということもあるが、大きな理由はやはりいろいろ学ぶに連れてヒトの体のつくりにだんだん興味を持ち始めたからであろう。自分の体はこうなっているのかと感動しながら実習していた。ここの筋肉の起始部停止部はどこか、支配神経は何か、どういった役割があるのかといったことをひとつひとつ確かめながらの作業であった。
 実習を終えて、しっかり勉強したかと聞かれればまったく自信がない。もっと真剣に勉強しておけばよかったと反省している。解剖学は医学の中でも基礎中の基礎であり、医者になるのに欠かすことのできない学問である。ゆえに肉眼解剖実習という貴重な体験はもうないかもしれないが、この実習を思い出しながら、個人的に学んでいきたいと思う。
 最後にもう一度、ご遺体を提供してくださった方ならびにご遺族の方に心から感謝したい。この感謝の気持ちは、この肉眼解剖実習を通して学んだことを活かして、しっかりとした医者になることを目指すことで示していけたらと思う。本当にありがとうございました。
 
大阪歯科大学 中島紗恵子
 
 私達が、解剖学実習を始めたのは、昨年の九月からでした。解剖学実習を始めた頃は、何もかもが初めてのことで、とまどいや不安がたくさんありました。しかし、私達学生のために献体してくださった方、またそのご遺族の方々のことを考えると、いつしかそのような気持ちは消え、実習に集中するようになりました。そしてまた、身体の構造を教科書だけではなく、実際に解剖することにより学習できるという、大変貴重な機会を与えてくださったご遺族の方々、そして何よりも献体してくださった方への感謝の気持ちが強くなっていきました。
 実習中、諏訪教授が何度も「ご遺体を生きた患者として扱いなさい」と仰っておられました。その度に私は、ご遺体という、亡くなりはしたものの、かつては自分と同じように、話し、考え、生きていた人間に、自分がメスを入れるのだという不安と緊張感をとても強く感じていました。人体解剖学実習をしてきて、無駄になったことなど一つも無かったと思います。実習時間が終っても、ペアの友人と一緒に、遅くまで先生に教えてもらいながら、多くのことを勉強しました。自分達だけでは、なかなか理解しにくいことも沢山ありましたが、毎回、遅くまで先生に残っていただき、詳しく教えてもらったおかげで、教科書などを見るのとは違い、実際に自分の手で解剖したことで、とても理解し易かったし、また自分の目でしっかりと見ることができたので、きちんと覚えることもできました。解剖学実習は、私をいろいろな意味で成長させてくれたと思います。
 今、解剖学実習を終えて思うことは、献体してくださった方々への感謝の念です。献体するということは、中途半端な気持ちでできるものではありません。自分が献体できるかといったら、おそらく無理だと思います。私達の勉強のために、献体してくださった方々へは、本当に感謝しています。何よりも人間の身体の構造について実際に実習することができ、また、誰もが経験できない人体解剖学実習を通して、多くのものを得ることができ、本当に勉強になったと思います。
 私達は、三年生になったばかりで、これからまだ四年間大学で、医学や歯科医学のことを学んでいくことになります。歯科医の道を志したのですから、これから先、五年も十年も、その先一生、ヒトの身体と向き合って勉強し続けなければなりません。この解剖学実習で得られたものは、必ずこの先の道に役立っていくことだと思っています。
 献体をしてくださった方々、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
 
滋賀医科大学 中島 智子・中尻 智史・仲山 貴永
 
 この度は、私たち医学生の為に、格別の御篤志により御献体頂き、故人様をはじめ、御遺族様、御知人の方々、また、しゃくなげ会の皆様に心から御礼申し上げます。
 私たちが解剖実習を始めたころからすでに、半年余りが経とうとしています。初めて御遺体と対面した時の言いようのない不安と緊張感、そして畏敬の念を今でも忘れることはありません。
 当時はまだ知識も浅く実習書と見比べながらではありましたが、実際に自分の手を動かし、手で触れ、目で見ることで立体的な配置や各臓器の大きさ、重さを実感し、人体がいかに緻密で合理的にできているのかを学ぶことができました。しかし、知識を得ることもさることながら、医の原点である生命の尊さを感じられたことが、御遺体からの本当に大きな教えであったのだと思います。
 去る六月一日に、比叡山にて執り行われました慰霊法要をもちまして、私たちの解剖実習は終了いたしました。納骨の際には最後のお別れをし、その尊い御遺志を改めて実感し、胸が熱くなりました。これから私たちは一人前の医師を目指し、日々学び、考え、進んでいくことになりますが、御献体下さった方々が望まれた医師に少しでも近づくことができるように、また将来の医療に貢献することができるように、自覚と責任をもって医学の勉強に励んでいきたいと思います。
 最後に、改めて、このような貴重な経験をする機会を与えてくださった故人様、並びに御遺族、御知人の皆様に厚く御礼申し上げると共に、故人の御冥福をお祈り申し上げます。本当にありがとうございました。
 
鹿児島大学医学部 仲田 智子
 
 3ヶ月間の解剖学実習を終えた今、最初に感じることは、精神的に肉体的に大変だったなあということです。午前中の講義が終わったあと、午後からは19時までの解剖学実習、帰宅後は次回の実習の予習をするといった毎日が続き、精神的に追い詰められ限界を感じることも何度かありました。そんな時はもう一度自分が医学部に入った理由を再確認し、私たち医学部生のために貴重な自らの体を献体してくださった方々の思いを無駄にしてはいけないという気持ちで何とかこの解剖学実習を終えることができました。
 私たち医学部生は将来医師となるわけですが、その医師という職業は生身の人間を相手にする職業なのに、今まで机上での学習ばかりで医学の専門知識を得てきませんでした。したがって、今回の実習が実際に人の体に触れてそこから知識を得るという初めての経験で、そういった意味では入学以来初めて医学部らしい実習となりました。ある程度の知識は前日の予習の段階で実習書や教科書などで頭に入ってはいたのですが、実習で実際にご遺体で観察してみると実習書での観察項目が自分で考えていた所とは違う位置で出てきたり、血管の走行なども人によっていろいろなパターンがあったりして、教科書に載っているような体のご遺体は稀で、人それぞれだということが実感できました。私たちの班のご遺体では胸部の筋で破格が認められたり、椎骨動脈が大動脈弓から直接分枝しているのが認められたりして大変興味深かったです。また、教科書などで筋の起始や停止、支配神経などを勉強したところで全然頭に入っていかないのですが、実習中にご遺体で確認するとスムーズに頭に入っていきました。関節の動きなども文章では理解に苦しみましたが、ご遺体で関節を動かしてみると一目瞭然で、また腹腔内での臓器の位置関係なども教科書の二次元的な絵や写真では理解に限界がありましたが、実習で確認すると明らかで、こういったところにこの解剖学実習の意義があったのだと思います。
 最後にこの実習のために自らの貴重な体を提供してくださった方々に感謝したいと思います。献体してくださった方々のおかげで、貴重な経験をさせていただきました。またこの実習の実現のために協力していただいた技官の方々、諸先生方にも感謝したいと思います。今回の実習を生かしつつこれからも勉学に励みたいと思います。本当に有難うございました。







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