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献体の言葉すら知らなかった自分
北海道医療大学白菊会 栗城 勝江
 
 私は、若い頃から海が大好きで浜辺を歩くことや見て廻ることで幸福さで一杯です。潮風を浴びていつも一人旅に出かけていたのです。
 私は、以前に二回ほど手術をしておりましたが、五二歳の時の病気で「癌」になりました。この時、私は最後の命になるのではないかと思い、店主にもしもの事があれば私の遺骨は海に散骨してほしいと頼みました。しかし、現在は五九歳まで生きてきました。
 今回、白菊会を知ったきっかけは以前に住んでいたアパートの方が亡くなったと知らせを聞いたときでした。この方は一人で生活をしていた方でした。この事を友達に話した時、友達は献体の事を知っておりました。他に二人の人がすでに会員に成っていると聞き、私も大学の担当者からパンフレットを送ってもらいました。また、内容も詳しく教えてくれました。友達の一人は白菊会の慰霊祭に出席して大学納骨堂(当別町内)へお参りしてきていたのです。私も早くこのことを知っていたのであればと思う気持ちに成っていました。以前は、家庭もあり、私には二人の娘もいました。姉妹もいるのですが、今は事情があって何十年も交流がなく会っていません。たとえ、娘達のところ、また姉妹のところに私が訪ねても・・・それぞれに立場とか事情とかがあることと思います。
 献体では亡くなった人の亡骸を快く引き取ってくれますでしょうか。いまさらと言われ希望通りにならないかもしれませんが、死後の私にはそれはわかりません。確かめる気持ちに私にはありません。私の行く道を今から知っていた方が私自身安心することができると思います。死後がいつなのか、月、日もわかりません。知っているのは神様だけです。
 この世に生まれたことを両親に感謝し、交流のあったお友達、周りの方々にありがとうを言って、死後は土に還っていくことを神様にお願いしています。私の気持ちはできるだけ周りの人たちに迷惑をかけずに生きていきたいと思います。私の命が終わりにきたときにはこの肉体はボロボロに成っていることだろうと思います。が、私の体の中に何か一つでもお役に立つものが残っていれば研究をしてください。実習を行っている学生のみなさまこれからの医療のためにまた、人に優しい病院の先生になって医学の道を歩いていってください。私もたくさんの先生、看護婦さんにお世話をしていただきました。私の遺体を最後に提供いたします。
 
滋賀医科大学しゃくなげ会 國領 敏子
 
せんだんの ほとけほのてる ともしびの
ゆらら ゆららに まつの かぜふく
はるきぬと いまかもろびと ゆきかえり
ほとけのにはに はなさくらしも
 会津八一は奈良登大路の日吉館を常宿に梅檀の釈迦立像などを訪い、「忘じがたきは南都千年の風色にて候」と松樹桜樹に心を預けていた。
 最後にわたしの住んだ家の庭の中央にユリノキを植えてもらっていた。大空に向かって枝ぶりがみごとで樹形が美しかった。繁った葉が風に鳴る音も潔く心をかきたてられるようだった。近江八幡市官庁街の街路樹もこのユリノキ。季節毎にゆっくり歩くのも楽しい。いつだったか北国街道を木の芽峠へ越えたとき、栃の木峠から左折すると旧道右側の深い谷はうす紫の花で埋まっていた。江戸参勤や伊勢まいりなど往還をみつめてきた栃の木。そばにあった峠茶屋も近年まで残っていたそうだが、〈時移り人は去ろうと尚谷を埋める栃の大木―〉一行は息を呑み声を失い立ちつくしていたことがあった。
 守山市に開設されたケアハウス「ゆい」に入居して六年、もし入居が叶えられるなら是非一本の木を決めたいものだと強く希っていた。その頃読んだ「静かな木」が心に残っていたからかも知れない。建物の巡りの広い庭の大木。その中からわたしの一本の木を選ぼうとしていたとき不意に声がした。「木は強いものですね。三度も植えかえているんですよ。この木は前市長さんの寄贈でゆいの里の前庭に植えていたんですが増設新設でここは三度目です」。聞こえたのか木は静かに葉をふるわせた。場所は変わろうとも巡り来る季節ごとに蘇り、紡いできたさまざまな思いを吸い上げ、葉を茂らせ風に任せながら〈ありのままを語り継いでいく木―〉
八千種の花は移らふ 常磐なる
松の小枝を われは結ばな
 大伴家持も木に願いを込めたと聞く。木はいつの時代も人に寄り添い限りなく愛をそそぎ慈しむ。人はまた木の心と声を聴きよりどころとする。秘かに決めた一本の木に寄り添いながらわたしはいつも木の声に耳を傾けていたい。
 
大阪市立大学みおつくし会 小松時太郎
 
 私ども人間は、身分の高い低いや、職業の種類に関係なく、自分ひとりだけで生きて行くことはできません。何かにつけてお互いに力になりあい、また世のなかのおかげを受けています。それで私どもは、少しでも他人さまのためになることをしなければならないのではないでしょうか。
 けれども、ひとのためになることをするというのは容易なことではありません。
 しかし、だれにでもできることがただひとつだけあるのです。
 それは、自分の死んだあとで、自分の遺体を、医学生・歯学生の「解剖学実習」の教材として、医科または歯科の大学へ無償で提供することです。
 「解剖学実習」というのは人体の構造を知るための学問で、立派な医者を育てるためには最も大切な学問のひとつです。
 この大切な学問のために遺体を寄贈することは私どもにとって大切な「良い医者」をつくり出すことになります。
 日ごろ医学のおかげで健康をたもっていることへの恩がえしにもなります。
 
福島県立医科大学志らぎく会 児山ラク子
 
 八重桜も舞い散り、牡丹が咲き始めて例年に変わらぬ庭の風景に目をやりながら、家人と離れての暮らしも半年余りになった事を改めて思いつつ、皆様に支えられての平安な日常に感謝の念でいっぱいです。
七色の まちにあけくれ 住む夫は
 竜宮にいる 気分とつげる
 
多勢の 愛の介護を 受ける夫
 春の光に 希望湧くらし
 
久方に 親子集いる よき折と
 カメラを向ける 介護の天使
 
身心の 老いに迷いる 道すじを
 やさしく照らす 若き支援者
 
来し方を 包まず話す 支援者に
 娘なき不安も 失せる安らぎ
 
約束の ホームヘルパー 見ゆる日は
 外の吹雪も 心あおぞら
 
年ふりて 始めし墨の 水茎を
 素直な文字と 師の言葉受く
 
山形大学しらゆき会 斎藤 常夫
 
 お腹が苦しいので、いつもお世話になっているお医者さんに診察してもらったら、動脈瘤があるからよその病院に行くようにと言われたので、家族の者と相談して、済生会山形済生病院に紹介してもらい、その病院で診察し、レントゲンでお腹の写真を撮りそれを見て、すぐ動脈瘤を取らなければならないと言われました。
 便秘したり、重い物を持ってふんばると、一発でやられる、死ぬと言われました。
 でも、手術はいやです、と言ったら、一発でやられるよとまた言われた。二、三日経ったらまた来いよと言われた。その日はこれで終わり。
 その後家の者と話し合い、また診察に行ったら、X線写真を見せて、これを取ればよいんだと、また親切に動脈瘤を取ることを勧めてくれた。
 家の人からも、動脈瘤を取ってもらいなさい、と勧められた。親切に言ってくれたお医者さんや、家の方々から心を動かされ、動脈瘤を取ってもらう決心をしました。
 大きな瘤一つと小さな瘤三つ、手術で取ってもらいました。
 手術の結果は上々で、三月四日退院となりました。
 退院三日前に、先生に私はこんなことを申し上げました。
 「先生、お腹の中に、はさみやガーゼ等忘れてないべなー」と言ったら、「では明日レントゲン写真を撮りましょう」と言って、レントゲン写真を撮り、すぐ写真を見て「このように何も入っていません」とにこやかに言ってくれました。
 私は、このにこやかで親切なお医者さんの笑顔は、一生忘れません。あのにこやかな先生のお顔、時々思い浮かべています。
 先生どうも、ありがとうございました。
 私はいま、八十五才、慣れない畑仕事を楽しみに働いております。元気です。
 
「学生手記」に感動
徳島大学白菊会 神野 美昭
 
救急車
 昨年末に忘年会の会場から救急車で運ばれる予期せぬ体験。原因は薬の飲み方を間違ったからでした。昨年春、心臓の血管が相当狭くなっていることがわかり、薬と血管拡張術による治療をしていただいたお陰で元気な日々となりました。しかしビールと薬を同時に飲むような無神経さにはたちまち厳しい症状。薬もいろいろありますから一概にはいえませんが、無知と無神経は命取りになることを学んだ次第です。
命は貴重
 宇宙は無限大だそうですが、生物や動物の存在は現在のところ地球以外にはみつかっていません。存在条件はなかなかむつかしいのでしょう。人間の生命が誕生するにあたって、精子が卵子と結ばれる競争率は数億分の一、あるいはそれ以上とのこと。生命の存在や誕生の条件からしても生命の存在はとてもとても貴重なもの、粗末に扱うようなものでないことは明らかです。
 しかし歴史の上で命を粗末にする出来事が沢山ありました。その最たるものが戦争です。現在でも原水爆など大量破壊兵器で多くの命を犠牲にしようとしている国がいくつかあります。自爆テロを続けている勢力もあります。これらは現代の人類のやるべきことではないでしょう。人類の文化的な発展によって「国際紛争の平和的解決」という国際法が定められました。各国の政府が、命は何よりも大切なもの、という態度をつらぬいて社会全体、人々の生き方にもよい影響を与えるようにしてこそ、人類の発展に見合っていると思います。
 テレビのスイッチをいれると子ども向け番組で、毎日のように武器を持って戦う漫画などが流されています。テレビの影響をうけた孫が玩具売場で銃などを手にすると悲しくなります。子が親を傷つけ親が子を殺すといった事件も起きていますが、そういうことが続かないようにするためにも、どの国の政府も大量殺人という「異常な公共事業」によって目的を果たそうとする態度でなく、すべてのことは国際的な協力も含めて、平和的に解決するという態度をつらぬいてほしいなと強く思います。
献体の志
 命を大事にするという点で、献体も積極的な役割を果たしています。会報「白菊」の前号には、「献体は、将来的に生物学的に役立つ、なんとも有意義と誇れること」(堺政秋氏)、「我が身終われば医学のために役立てたい」(西岡昭治氏)、「献体してお役に立ちたい思い」(岸本信子氏)、「献体は、金銭以外の他者への貢献、戦争の対義語である平和に酷似、私は、個人でできるこれ以上の重い責任を果たすボランティアを知らない」(土倉啓介氏)など、会員の方々も献体の意義とご自分のお気持を述べておられます。
 医学・歯学生の手記にも献体の大きな役割がしめされています。
 「人のお役に立ちたい・・・、私が追い求めてきた理想とする姿を見つけました」「生命の尊さを学ぶことができた」「支え続けてくださる人間の存在を痛感しました」「生きた知識を私達に与えてくださった」「志を白菊会の皆様から教わりました」「人として大切なもの『真心』『協力』『あきらめないこと』も教えてくださいました」「人体の精密さや、その構造がとても奥深いものであることを実感」「医学的知識だけでなく、人間の偉大さ強さも知った」「人間として大切な基本姿勢を丁寧に分かりやすく教えてくださった」「解剖学習を終えて初めて、骨、筋、血管、神経、臓器がネットワークを組みながら『生きる』ということにつながっているのだと実感」(手記引用はいずれも要旨)などと書かれています。
志が志の源
 頑丈なようで脆さもある人間の体、健康を維持するにも病気を治療するにも、一人一人の日常的な努力が必要です。同時に医療関係者の専門的な活動が強く期待されています。
 「白菊会会員の志が自分(医学生)の志の源となりました」との手記を読んで、人間らしい志が次の志を育て、そして更に次の志に結びつく・・・と思うととても楽しくなります。これからも志を大切にし、人間の素晴らしさを確信して余生を全うしたいなと思いました。







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