1998/10/24 朝日新聞朝刊
その重みと償いと 死刑判決(社説)
坂本堤弁護士と妻の都子(さとこ)さんは、学生時代に身体障害者のためのボランティア活動を通じて知り合った。
障害者が明るく暮らせる世の中にしたい。それが二人の夢だったという。
その夫婦を、一歳二カ月の龍彦ちゃんもろとも殺害したオウム真理教の岡崎一明被告に対し、東京地裁は死刑を言い渡した。同被告は別の信徒死亡事件にも関与している。現在の死刑制度の運用と裁判例を踏まえれば、十分に予想された量刑だった。
判決は、犯行の動機、被告の精神状態、自白に至った経緯、遺族の感情などを詳細に認定して、結論を導き出している。
十二人の死者を出した地下鉄サリン事件の実行犯でありながら無期懲役刑が確定した林郁夫服役囚の存在も念頭に置きつつ、証拠を精査し、熟慮をかさねたうえでの判断だろう。その重みを受け止めたい。
坂本弁護士は生前、死刑廃止論に理解を示していたという。運命の残酷さを思わずにはいられない。
このような凶悪な事件を目の当たりにすると、「存続やむなし」との声は当然強まるだろう。
しかし、憤りや悲しみのあまり、死刑制度そのものをめぐる議論を封じ込めてしまうのは避けなければなるまい。堤さんが抱いていた疑問とは何なのか。人が人を裁くことの意味をどう考えるべきか。
かりに死刑を廃止するとしたら、どのような環境や仕組みが必要なのか。
それを考え続けることは、いまを生きる者に課せられた使命だと思う。
教団の動きが最近、活発化しているという報告がある。被害対策弁護団も「信徒らは被害妄想にとらわれ、外からの批判に攻撃的な姿勢を示す傾向が強まっている。体質は昔に戻りつつある」と分析する。
オウムはいまもって一連の事件への関与を認めず、謝罪もしていない。社会の理解と認知を求めようとするなら、自ら過去を厳しく反省し、それとの決別を図るのが先決である。人びとの警戒の視線を弾圧ととらえるのは、考え違いも甚だしい。
もどかしいのは、そうした世間一般の声が、独自の世界に閉じこもる信徒一人ひとりには、なかなか届かないことだ。
岡崎被告をはじめ、法廷で罪を悔い、涙を流した信徒は少なくない。それが本心からのものであるならば、二度とあのような悲劇を起こさないよう、自分がたどった転落の軌跡を現役信徒の胸に響く言葉で語り続けるべきだろう。
それが、いま彼らにできる、被害者と社会に対するせめてもの償いである。
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