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1990/04/18 朝日新聞朝刊
死刑論議に重い問いかけ(社説)
犯した罪を重くみるか。犯行時の被告の境遇などに照らし、極刑は避けるべきか。死刑をめぐる論議にまた1つ、重い問いかけがのこされた。
1968年秋、当時19歳だった永山則夫被告が、東京や京都などでガードマンやタクシー運転手ら4人を次々殺害した、とされる「連続ピストル射殺事件」の再上告審で、最高裁が上告棄却の判決を言い渡し、永山被告の死刑が確定した。
この事件で、裁判所の宣告は死刑から無期へ、再び死刑へと行きつ戻りつしてきた。第1次上告審で最高裁が高裁の無期判決を破棄し、審理のやり直しを命じた経過から、今回の結論自体は予想されていたが、「生」から「死」へと転じた被告の運命に対し、国民の受け止め方も一様ではない、と思われる。
何の罪もない市民が1カ月足らずの間に4人も射殺されたこの事件は、犯罪史上でもまれな凶悪事件である。動機も、金欲しさや前の犯行の発覚を恐れてのことであり、同情の余地はない。そうした点を重くみれば、やむを得ないということになるだろう。
他方、中学にもほとんどいかなかった被告は、獄中で本をむさぼり読むようになり、手記や小説などを発表している。被告の恵まれない青春と、獄中の20余年を考えあわせ、今さら死刑にして意味があるのか、と考える人もいるに違いない。
死刑制度は大きな流れとしてみれば、世界的に廃止の方向に進んでいる。80年代になってフランスやオランダが廃止に踏み切り、ヨーロッパのほぼ全域で原則として死刑がなくなった。
昨年暮れには、国連総会で死刑の廃止を目ざす初の議定書が採択された。日、米、中国や、イスラム諸国が反対したが、西欧、南米諸国に加え、ソ連、東欧などが支持に回り、賛成多数で可決されている。
しかし、凶悪犯罪が多発する米国では、州により死刑が復活したり、少年への死刑を合憲とする最高裁判決が出るなど、逆の動きもみられる。廃止した国の中でも、一方で国民の中に根強い復活論もある。
わが国の場合、戦後の一時期100件を超えた死刑の言い渡しは年々減る傾向をみせ、最高裁の死刑判決は数年前までは年に多くて4件と、非常に少なくなっていた。凶悪犯が減ったことのほか、改正刑法草案の中に、「死刑の適用は、特に慎重でなければならない」との条項が設けられたことが大きな影響を与えたともいわれた。
しかし、この事件の第1次上告審最高裁が83年に、「罪責が重く、罪と刑の均衡や一般予防の見地から極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される」として、判決で「死刑選択の基準」を示して以来、やや変化が出てきた。最高裁の死刑判決言い渡しはここ3年、毎年5人ないし7人に増え、ひところ毎年1人ずつだった死刑の執行も、85年以降は複数になっている。
「死刑廃止是か非か」を問う世論調査では常に、6割以上の廃止反対がある。わが国の現状はまだ制度の廃止を軽々には論じられない段階だろう。しかし、個々の被告に対する死刑の言い渡しは、できる限り慎重に行われるべきだ。
死刑宣告の基準をゆるめたかにみえる先の最高裁判決も、実はこう述べている。
「死刑が人間存在の根源である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、誠にやむをえない場合における究極の刑罰であることにかんがみると、その適用は慎重に行わなければならない」と。
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