永山被告の連続射殺事件で、最高裁が昭和58年に死刑適用の基準を示して以来、1審段階では少年事件で初の死刑判決が28日、名古屋地裁で言い渡された。判決は主犯Aの情状を認めながらも、事件の残虐性など刑事責任の重大さを指摘し、死刑を選択した。この事件に限らず、最近社会的論議になる少年の凶悪事件も相次いでおり、これらも犯罪の一般予防の見地から、量刑に影響を与えたと見られる。ただ、成人に比べ手厚い保護が保証されている少年にあえて極刑で臨んだことは、死刑の適用枠の拡大にもつながりかねず、死刑制度をめぐる論議が再び活発になるとみられる。
死刑には(1)犯罪者の抹殺により社会悪の根源を絶つとともに、威嚇力によって同種犯罪の再発を防ぐ(2)犯した罪と刑罰の均衡を保つ、という2つの意義があるとされる。
しかし、死刑は最も冷厳な制裁で、執行されると取り返しがつかない。58年7月、最高裁が死刑の適用基準を示した後に、死刑囚の再審無罪が相次ぎ「誤判の恐れがなくならない現状では、死刑制度を廃止すべきだ」と、問い直す機運が高まった。
これ以前から、裁判所は死刑の適用に慎重になり、死刑確定者は20年代に332人だったのが、50年代には30人に減った。このうち、少年で死刑が確定したのは戦後、計40人いるが、50年代以降は2人だけだ。
永山被告に対し、死刑判決を破棄して無期懲役に軽減した56年の東京高裁判決は「どの裁判所でも死刑を選択する場合に限られる」との判断を示した。これに対し、最高裁は、犯行の動機や態様、被害者数などから見た死刑の判断基準に合致するとして、この判決を破棄差し戻したが、「死刑に慎重であるべきだ」という姿勢は追認した。とりわけ少年事件の場合、少年法により慎重な判断が求められる。永山事件も同じ19歳の犯行だったが、4人を殺害したきわめて凶悪な事件だった。
今回の事件は被害者が2人のうえ少年事件での、死刑の適用基準を満たすかどうかが最大の争点とされてきた。凶悪化する少年犯罪の中で、それをどう根絶するか。少年の矯正も含め、大人社会としてもどう対応するかも社会問題となってきたが、この日の判決は、裁判所として、犯罪の一般予防の見地から狭められつつあった少年への死刑の枠をここで押しとどめることによって、対応する姿勢を示したと受け取れる。
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