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1987/03/25 朝日新聞朝刊
企業爆破事件の深いツメあと(社説)
衝撃的な事件になれ、感覚がマヒ気味の現代人にとっても、13年前の三菱重工ビル爆破事件の、あの悪夢のような瞬間は、いまなお鮮烈な記憶として残っている。
昼休みの都心のビジネス街は地獄絵と化し、爆風とふりしきるガラスの被害で8人が死亡、165人が重軽傷を負った。「家族を失った者に、事件の風化はあり得ません」との遺族の言葉は、事件が残した傷跡の深さを端的に物語っている。
その三菱重工ビル爆破をはじめとする連続企業爆破事件の裁判で、最高裁が4被告の上告を棄却した。これにより、「東アジア反日武装戦線」のリーダー・大道寺将司、益永利明両被告の死刑、残る2被告も無期懲役と懲役8年の刑がそれぞれ確定する。
過激派による武装闘争で死刑が確定するのは初めてだが、市民を大量に巻きぞえにした無差別都市ゲリラの凶悪さを考えると、死刑制度を前提にする限り、量刑に選択の余地はなかったと思われる。
どのような動機によるにせよ、ひとの生命をかえりみないテロは民主主義の破壊者であり、われわれの社会とは相いれない。そのことをしっかり確認しておきたい。
事件は、各分野に大きな影響と深いつめあとを残した。その1つは、この事件とその直前に発覚した連合赤軍事件のあまりの異常さが新左翼運動の退潮と若者の過激派ばなれを決定づけた、ということである。
「企業侵略の一端を担う日本の労働者階級には真の革命は期待できない。企業侵略の被害者である東アジアの労働者、人民の立場にたった爆弾闘争こそが最も効果的だ」との確信が、被告たちを一連の企業爆破に走らせたという。こんな独善的な行動に大衆の支持が集まるはずはない。
社会に対する若者たちの健全な批判の芽までつみとり、政治ばなれの一因をつくったとしたら、後遺症はその面でも深刻である。
裁判制度に残したつめあとも見逃せない。公判は1審から上告審まで、被告側の抵抗で波乱続きだった。
それにもかかわらず、連合赤軍事件より先に裁判が終わったのは、検察側が立証を最小限にしぼったことに加え、裁判所の強い訴訟指揮による面が大きい。被告や傍聴人に対する拘束、懲罰処分が相つぎ、本来なら弁護人がいなければ進められない審理が、弁護人不在のまま強行される場面さえあった。
公判の経過をみると、それもやむを得ない措置といえるが、憲法や刑事訴訟法が被告の防御権を厚く保護する趣旨に照らせば、こうした強硬な審理は今後とも例外的なケースに限るべきだろう。
こんどの判決が注目されるもう1つの理由は、死刑制度とのかかわりである。いま最高裁には、大道寺らを除いて31件、34人にのぼる死刑事件が係属中で、これを機に2年近くとだえていた死刑事件への言い渡しが再開されるとみられている。
死刑の存廃に関する世論には振幅が大きく、ことに保険金殺人などの凶悪犯罪が増加傾向にある現状では、性急には廃止に踏みきれないだろう。国際的にみても、廃止国は西欧が中心で、その国ぐにでも、凶悪犯罪の発生のたびに復活の声がきかれる。
わが国の場合、年間の死刑言い渡し件数は昭和40年代の後半から1ケタに減り、すでに運用面で例外的な刑罰になっている、との評価もできなくはない。死刑は生命そのものを奪うという点で、「究極の刑罰」である。その適用はこんごも慎重のうえにも慎重でなければならないと思う。
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