1985/07/23 朝日新聞朝刊
死刑制度に一石投じた時効論(社説)
「帝銀事件」の死刑囚、平沢貞通の身柄釈放請求が最高裁でしりぞけられた。
平沢は5月7日に死刑確定から満30年を迎えた。そこで弁護人は「刑を執行されないまま30年経過したことで、死刑の時効が完成した。5月7日以降の拘置は人身保護法にいう不当拘束にあたる」と主張したが、最高裁はさきの東京地裁の考え方を全面的に支持し、弁護人の主張をしりぞけた。
拘置中の死刑囚については、時効は進行せず、時効完成による釈放という事態は起こりえないとする判例がこれで確立し、平沢の自由回復の道は1つ断たれたことになる。
もっとも、刑事法の専門家にも首をひねる人が多かったように、時効説には矛盾をはらんだ突出した主張という印象があった。
時効制度の趣旨からはずれるばかりか、一面で法務当局に早めの刑執行を促し、平沢と同様に無実を叫び続ける他の死刑囚の立場を不安定にするおそれをはらんでいた。
平沢救援運動の流れからもはずれている。刑を執行されないままの30年の拘置はたしかに異常だ。しかし、今日まで平沢が刑執行を免れえたのは、救援活動にたずさわった幾世代もの人びとの努力の成果であることも見落としてはならない。
長期拘置の異常性ばかりを強調する時効説は、その意味では唐突で、これまでの救援活動との整合性に欠けている。
冤罪(えんざい)救済のけん引力の役割を果たし、平沢救援にも長年たずさわってきた弁護人の中に、時効説にくみしない人がいたのも、そのためといえよう。
時効説は死刑制度全体への展望を欠くうらみはあるものの、功績も少なくない。その最大のものは、ナゾを秘めた帝銀事件と死刑囚の身柄問題に社会の関心を集めたことだろう。平沢の身柄が仙台拘置支所から絞首台のない八王子医療刑務所に移されたのも、そうした関心の高まりのさなかだった。
93歳という年齢を考えると、平沢に対する刑の執行はもはやあるまい。医療刑務所への移送が何よりそれを物語っている。それは「執行されない死刑」の実例をつくるさきがけになるかもしれない。
わが国で、死刑についで重い刑は無期懲役だが、死刑と、平均十数年で仮出所が許される無期刑との間には実際は大きなへだたりがある。そこで実務家の間では、中国の「死刑の執行延期」のような中間的な制度は考えられないか、との声がある。
「執行されない死刑」の実例がいくつか積み重なれば、死刑と無期刑との間の空白を埋める慣習法的な制度の誕生へとつながる余地もある。裁判での言い渡しをなるべく少なくし、刑の執行に慎重を期するという、死刑制度をめぐる当面の努力目標にも、それは合致しているといえよう。
ただし、平沢の場合は、できれば獄中での自然死をまつのではなく、さらに一歩を進め、人道的見地から個別恩赦の道が積極的に検討されてよいのではないか。
30年間、刑執行の恐怖とたたかってきたこと、死刑囚のなかで世界最高の年齢に達していること、かりに無実だとしても、証拠の散逸で立証の難しい状況にたち至っていることなど、恩赦による自由回復がもっともふさわしいと思われる理由がいくつかある。
法務当局は「これまで平沢の刑が執行されなかったのは、再審請求などの繰り返しが原因」というが、執行の機会がまったくなかったわけではない。執行をためらう理由が国家の側にもあったのではないか。平沢に対する個別恩赦の検討を重ねて求めたい。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
|