戦後四十年間に死刑判決の確定者は六百四十六人にのぼり、このうち五百七十四人が刑の執行を受けていることが、法務省の矯正統計年報などからわかった。昭和二十年から五十九年までの死刑の確定者数と執行者数は表(略)の通りだが、死刑の減少傾向と、とくにこの六年間の激減ぶりが目立つ。死刑確定者は五十六年以降は毎年三人未満。裁判所が、人間の生命を奪う死刑の適用にそれだけ慎重になっている表れといえそうだが、一方で昨年四月には最高裁が三年ぶりに死刑判決を言い渡してもいる。従って、死刑が減る傾向にあるとはいえ、ただちに死刑制度の事実上の廃止につながってくるとはいいきれないようだ。
死刑の減少傾向は十年ごとに区切ってみると、一層はっきりする。確定者は昭和二十年代に三百三十二人だったのが、三十年代に百九十四人に減り、四十年代九十人、五十年代はさらに三分の一の三十人になる。これにほぼ見合うように、執行者数も二十年代二百二十四人、三十年代二百二人から四十年代は半減して百六人、五十年代はさらに半減以下の四十二人だ。とくに五十四年以降、死刑の執行は減って毎年一人だけになっている。なお昨年末現在、死刑が確定したまま収監されているのは二十七人となっている。
死刑の減少傾向について、法務省は(1)裁判官が死刑の適用範囲をできるだけ狭めたいとの気持ちを持っており、殺人の被害者が一人の事件では犯人側の情状を最大限考慮する傾向が強まり、死刑の判決が下されるのは例外になってきた(2)免田、財田川、松山と死刑囚の再審無罪事件が相次いだため、執行の面でもより一層慎重になった――などと分析。ただ、五十六年以降の激減ぶりは、その内容が注目されていた四人の連続射殺犯永山則夫被告に対する判決で、一審死刑、二審無期懲役と司法判断が揺れたことが影響しているとみている。つまり、この「永山事件」が上告された五十六年八月以降、最高裁での死刑事件審理は約二年間止まっていたからだ。四人を殺した犯人が死刑でないとすれば、それより被害者の少ない確定死刑囚を執行するのは、一層難しかったようだ。
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