2001/03/07 朝日新聞朝刊
強制収用は通用しない 川辺川ダム(社説)
国土交通省が熊本県の球磨(くま)川水系に建設を進めている川辺川ダムに、漁民が「ノー」を出している。球磨川漁協の総代会で、省側が提示した約十六億五千万円の漁業補償を退けた。
ダム本体の年度内着工に向けて、最後の関門である漁業補償に一気に決着をつけるつもりだった国交省のショックは大きい。三月中の着工はこれで不可能になった。
国交省は昨年末、川辺川ダムを土地収用法の対象として事業認定した。収用対象には漁業権も含まれ、いざとなれば漁民の同意なしで強制収用できる仕組みだ。
法律的には、その手法で強権的に着工する余地は残されている。だが、すでに意義が疑われている川辺川ダムに適用すれば、国民の大きな反発を招くに違いない。
国交省は、原点に立ち戻って、ほんとうに必要なダムなのかどうか、代替案はないのかを、真剣に考え直すべきである。
国交省は、ダム容認派が反対派を抑えて漁協理事会を握った昨秋以降、幹部と補償交渉を進める一方で、土地収用の手続きもとり、「和戦両様の構え」をちらつかせつつ決着を急いできた。
「土地収用にかけられたら、取れる補償金も取れなくなる」との不安が、容認派を浮足立たせた。「正当な補償」なしに収用はできないのに、同省はあえて否定しなかった。
にもかかわらず、総代会では補償契約の締結議案を可決するのに必要な三分の二の賛成を得られなかった。容認派とみられていた総代の何人かが反対に回ったからである。
逆転劇の裏には、「たかだか一人平均五十万円で日本一の清流を売り飛ばしていいのか」といった反対派の説得もあっただろう。長野県の田中康夫知事が、県内の未着工ダム計画を凍結した「脱ダム宣言」の影響もあったかも知れない。しかし、いちばん効いたのは海の漁民の反対の声ではなかったか。
球磨川が注ぐ不知火海(八代海)は、天草諸島を挟んで有明海と接している。その有明海では、ノリの凶作や魚介類の不漁が起き、漁民たちが抗議行動を続けている。
これを契機に、不知火海でも「球磨川が汚れれば、海もだめになる」という危機感が一気に広がり、二月中旬には沿岸漁民がダム反対の総決起集会を開いた。
球磨川漁協の総代百人のうち、三分の二を制することで補償問題を押し切れる、と考えた国交省の作戦は、この大きなうねりを見誤っていたと言わざるを得ない。
川辺川ダムをめぐっては、これまでも繰り返し水質悪化の恐れやアユ漁への悪影響が指摘され、治水効果やかんがい事業の必要性にも疑問が投げかけられてきた。三十五年前に立てた計画そのものが、すでに正当性を失っていると言うべきだ。
四十年前、筑後川上流のダム建設に抗して建設省と渡り合った「蜂(はち)の巣城」主の故室原知幸氏は「民主主義とは、情にかない、理にかない、法にかなうものでなければならない」と名言を吐いた。
国交省の熟慮を求めたい。
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