2000/09/17 朝日新聞朝刊
これはお墨付きではない 川辺川訴訟(社説)
熊本県を流れる球磨川の支流に建設省が造ろうとしている川辺川ダムは、治水のほかに利水を目的としている。
その利水事業をめぐる訴訟で、熊本地裁が先ごろ反対派農民の訴えを退けた。
流域の田畑約三千ヘクタールに川辺川ダムから農業用水を引く農水省の国営土地改良事業だが、対象農家の半数が反対している。計画から十六年もたっており、米余りで「もう水はいらない」というのである。
裁判で争われたのは、土地改良法で求められる「受益者の三分の二以上の同意」があったかどうか、だ。原告側は「真実の同意とは認められないものが多数含まれている」として手続きの違法性を主張した。
法廷では、ずさんな同意書集めの実態が次々に明るみに出た。対象者が漏れていたり、何についての同意なのか趣旨を正しく説明しないまま押印させたり、市町村の担当職員が代筆したりしたケースもあった。それどころか「死者の署名」まで出てきた。
しかし、判決は「問題のある同意書を除いても三分の二以上の同意があることを優に認めることができる」と結論づけた。
土地改良事業は、反対者もいや応なく参加させられる。法律が厳しい条件を付けているのはこのためだ。当然、同意の手続きは厳密でなければならない。にもかかわらず、裁判所が同意者の本人尋問をごく一部に限り、判決を急いだのは理解に苦しむ。
農水省は判決をお墨付きとして事業を進める構えだが、待ってもらいたい。同意を集めた時点ではともかく、今は受益者の半数が反対だ。裁判をするまでもなく、土地改良法の要件を欠く状態になっている。
この事業は、「台地の畑地を水田化したい」という地元の要望が出発点だった。だが、時代は変わった。多くの農民が茶作りなどの畑作に活路を見いだした。そうなれば負担金を払ってまで水はほしくない、という農家が増えたのは当然といえる。
地裁判決の一週間前に、球磨川漁協は総代会を開き、建設省と川辺川ダムの補償を話し合う交渉委員会の設置を決めた。
天然アユの好漁場として知られる球磨川の支流だけに漁協は昨年までダムに反対してきたが、とうとう補償交渉に動き出した。漁協の一般組合員の間ではなお反対が強いといわれるが、建設省は交渉がまとまり次第、ダム本体の工事を始めるという。
だが、ダム建設の目的のひとつ、利水事業に重大な疑義があるのに、計画通り工事を進めてよいのだろうか。治水についても、もっと良い方法があるのでは、と再検討を求める声が下流の人吉市で出ている。
川辺川ダムも、国営土地改良事業も、自民党の公共事業の見直しの対象にならなかった。事業採択後五年未着工などの条件にあたらないためだが、工事をしたのはダムでいえば川をう回させる仮排水路など、土地改良では区画整理といった周辺部分だけである。
この先さらに巨費を投じて事業を継続すべきかどうか。政府はここいらで立ち止まり、冷静に検討し直すべきだろう。
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