1997/02/26 朝日新聞朝刊
ダム行政は変わったか(社説)
建設省が全国十三カ所のダムや堰(せき)について、計画の見直しを進めている。長良川河口堰問題で広がった行政不信をぬぐいたいとの思いからだ。
うち一カ所は計画を撤回し、二カ所については「一時凍結」と「中断」と決めた。建設省は「旗を振るだけではない」と、このところ姿勢が変わったことを強調している。しかし、一方では、見直しのあとも五カ所について、建設推進へ走り出した。
ダム行政は本当に変わったのか。
全国で計画されているダムや堰は、建設省関係だけで二百九十一カ所ある。見直しは、主だったところから始めた。
十三カ所それぞれ、地元知事推薦の学者や市町村長らによる「審議委員会」で検討され、うち八つは答申や中間報告が出た。建設省はそれらを尊重して、そのまま推進するか方針転換するかを決めている。
建設省が柔軟になったことを示す例として挙げるのが、青森県・小川原湖の淡水化計画の撤回だ。
しかし、この事業は目的すら見失っていたことを忘れてはなるまい。湖を堰で閉め切り、周辺の「むつ・小川原開発地」に工業用水を送る予定だったが、土地は売れず、大量に水を使う企業もない。事業は、一九九四年度の会計検査院報告でもたしなめられた。無駄遣いになりかねないからで、撤退は当然の帰結といえる。
「一時凍結」となった北海道・沙流(さる)川上流の平取(びらとり)ダム計画も、事情は同じだ。
下流に完成した二風谷(にぶたに)ダムと一体の事業として、西方の「苫小牧東部開発地」に工業用水を供給するはずだった。しかし、企業立地は進まず、あてがはずれた。
「むつ・小川原」「苫東」とも、四半世紀前の故田中角栄元首相の『日本列島改造論』に登場する。高度成長の時代はとうに去り、状況も変わったのに、水資源開発へ走っていたことがおかしい。
逆に、岡山県の苫田ダム、熊本県の川辺川ダムなどは建設に向けて動き出した。
つい先ごろになって、岐阜県の徳山ダムが後を追った。揖斐川上流に村一つをつぶして造る。日本一の貯水量になる予定だが、膨大な水を売れそうにはなく、財政負担が関係自治体に重くのしかかる。
総事業費は二千八百四十億円にのぼる。名古屋市が水利用の権利を一部返上したのも、その負担ゆえだ。徳山ダムは「第二の長良川河口堰」ともいえる深刻な問題を抱える。「地元は賛成だ」と建設省はいうが、自治体は投資した分の借金に縛られ、住民は補償金で沈黙している側面もあるのではないだろうか。
各地の建設推進の動きをみると、「見直し」をいいながらも、建設省はなお旗振りに熱心なように見受けられる。
徳島県木頭村の細川内(ほそごうち)ダムの場合は、審議委員会ができていない。ダム建設に反対する藤田恵村長が「審議の先は見えている」と、委員になるのを拒んでいるからだ。審議委員会は形を整えるためのもの、という不信を解消するためには、建設省がみずから変わったことをもっと事実で示す必要がある。
ダム行政を変えるには、審議委員会方式だけでは限界がある。外部から、もっと大局的に監視する仕組みも必要だ。
ほかの公共事業も同じような問題をはらむ。いまある行政機構の活用はもちろん、新しい組織の可能性も探りたい。民主党提案の「行政監視院」も検討に値する。
この国の将来像と財政展望をともににらんだ論議の深まりを期待したい。
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