1996/08/03 朝日新聞朝刊
身近な水に目を向けよう(社説)
雨は降っているのに、給水が制限され、不思議な思いにかられることがある。
異常渇水といわれた一昨年の夏、四国の香川県高松市の水道もそうだった。断水したのは、市内の大通りに水があふれるほどの雨に見舞われた数日後だった。
都市の多くは、川の上流にある遠くのダムに頼っている。雨があっても、ダムに水がなければお手上げなのだ。高松市は六十九日間もの断水に泣いた。
対照的だったのが同じ県の仲多度郡満濃町だ。千百七十五年前に空海(弘法大師)が改修したと伝えられる町内のため池「満濃池」は、枯れることなく水を送り続けた。町役場職員の一人は、町から高松市の婚約者の家へ水を運び続けたと振り返る。森照市町長は「近くに、ため池という水源があればこそだ」と胸を張る。
ここに、水の問題を考える一つの手掛かりがある。
昨年も今年も、一部では渇水問題が起きた。そのたびに「もっとダム建設を」という声が上がる。しかし、皮肉なことに、ダムに依存する都市ほど渇水に弱い現状は、どう考えたらいいのだろうか。
「ダムができると、自治体はダムの水を売って負担金を賄う。それまで持っていた井戸やため池は、余分な維持費がかかるとして放棄するケースが多い。水道企業会計が独立採算を建前にしているせいでもある。その結果、水源がダム一辺倒になり、かえって渇水を深刻にさせている」。文部省の研究費補助を得て全国の自治体を調べた森滝健一郎岡山大教授はそうみる。
香川県の場合も、無数にあった井戸やため池が随分とつぶされた。
「それでもダムは有効だ」という反論はあろう。巨額な投資をし、多くの家屋や森林を水没させ、自然を傷めて造ったダムである。有効であってもらわなければ困る。ただ、渇水の特効薬にはなりえないことを現実が物語っている。
国土庁が先日公表した今年の水資源白書「日本の水資源」によると、ダムや堰(せき)によって昨年度までに開発された都市用水は、年間水量で百五十八億トンにのぼる。日本の都市用水使用量の半分に相当する。しかも、長良川河口堰のように、水の使い道に困っている施設さえある。すでにダムは十分開発されたといえまいか。
そのうえ、実のところ、水需要はそう増えていない。ひとり伸び続ける生活用水も、川の水を使っている農業用水や、余力のある工業用水から回せば、かなり補うことができることを白書の数字は示している。総務庁も過去、そうした水の配分を変えることを勧告している。
白書がなお、ダム推進論に立ちながら、今回、副題に「水資源の有効利用」を掲げたのも、ダムの限界に気づいたからだ、と受けとめたい。ため池の見直しや、東京の墨田区などが先進的に進めている都市の雨水利用、下水処理水の再利用などを奨励している。地盤沈下を招かない程度の地下水のくみ上げも認めている。
一日から「水の週間」が始まった。
政府が節水を呼びかける趣旨で定めてから二十年目。水行政は、その掛け声とは裏腹に、過大な水需要予測のうえにダム開発を続けてきて、節水には、必ずしも熱心であったとは言えない。節目を迎えた今こそ、頭を切り替えるときではないか。
多様で身近な水に目を向けることは、水質に気を配り、水を大切にすることにつながる。それは、私たちの生活、環境の質を見つめ直すことでもある。
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