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1988/08/01 朝日新聞朝刊
水はふんだんには使えない(社説)
長かった梅雨が東日本でもようやく明けた。首都圏などでは記録的な冷夏も加わって、生鮮野菜の高騰を招いたし、西日本地方では集中豪雨で大きな被害をもたらした地域もある。その一方で、雨がたっぷり降ったため、全国各地のほとんどのダムは満水状態になった。ことしの夏は、渇水の心配はまずなさそうだ。
深刻な水不足に見舞われた昨年夏とは様変わりだが、安心はできない。渇水が起きやすい環境が変わったとは言えないからだ。
かなりの規模で渇水が起きた年は、昭和52年以来、5回もある。いずれも1800ミリとされている年間平均降水量を大きく下回って1500ミリ以下だった。渇水は2、3年おきぐらいに発生するとみておいたほうがいい。今年の水資源白書も指摘するように「最近の全国的な少雨傾向により水供給の安全度の低下」が懸念されているのだ。
白書は「水のもつ多面的な価値を再確認し、これまで以上に水の活用、水との協調を図りつつ、渇水のない豊かで潤いのある『新しい水活用社会』の形成」を提唱している。「新しい水活用社会」といっても、その前提としてゆとりある水の需給体制が確立されていなくてはならない。
水の供給をふやすには、水資源を開発すればいいと考えるのは、単純すぎると思う。その主役であるダムについては、適地が少なくなっていることや開発コストの上昇、環境破壊などの問題が深刻になっている。
コストの高いダム建設に水供給を頼れば頼るほど、水道財政が圧迫され、料金にはね返る。日本の水道料金は他の先進国に比べて高いといわれる。たとえば、東京の水道料金は、経済企画庁の1月時点での調査では、月間使用量30立方メートルの場合、3,735円で、ニューヨークの2.5倍だ。
長期的には水資源開発はなお必要であるとしても、供給サイドだけの発想には限界がある。供給が需要をふやすという面もあり、イタチごっこを繰り返すほかないからだ。
水の需要はどうか。国民の暮らし向きがよくなるにつれて、生活用水の需要はふえている。白書によると、1人1日当たりの水使用量は304リットルと、10年前に比べて36リットル多くなった。これは60年の数字だが、最近では毎朝シャワーをあび洗髪する若者がふえるなど、水使用量はさらに伸びている。
ビル用水も、首都圏を中心にしたオフィスビルの建設ラッシュで、増加している。先端技術産業も、加工組み立て型産業に比べて水の使用量が多い。
需要の6割を占める農業用水は減少気味だが、全体としては水の需要はわずかずつだが、着実に増えていくとみざるをえない。
国土庁や地方自治体の「節水キャンペーン」などにより国民の間に節水意識がかなり行き渡ったが、それだけでは水の需給ギャップが縮まらない。コストの点で問題はあるが、下水道排水の再利用や雨水利用などのキメ細かい対策も推進していく必要がある。
雨水を水洗トイレ用水などに利用する施設は、新国技館や東京ドームはじめ70カ所に及んでいる。屋根の大きさなど建物の規模、形状で限界もあるが、都市の洪水を防ぐ役割もあるので、一段の普及を期待したい。
水にふれたり、水の流れを見たりすると、気持ちがなごんでくる。「おいしい水」には少しぐらいのカネを払っていいと思っている人も多い。しかし水は有限な資源であることを忘れて、いい気になってふんだんに使っていると、渇水というしっぺ返しを食う。
きょうから「水の週間」が始まる。
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