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船の科学館叢書

 事業名 海事科学知識の普及啓蒙活動
 団体名 日本海事科学振興財団 注目度注目度5


二 杉本派
 吉本派と並んで優れた船絵馬を描いた杉本派は、絵馬の数では吉本派に劣る。とくに安政期(一八五四〜一八五九)以後にそれが顕著になるのは、吉本派の版画化による量産体制に対して、あくまでも肉筆で頑張ったのが原因だったようだ。
 杉本派の初代の勢舟が「船画工」と名乗った最初の人であることは既述の通りだが、天保二年(一八三一)に粟崎(金沢市)の粟崎八幡神社に奉納された絵馬(図21、18)をはじめとする同時期の杉本派の絵馬の様式を基準にしてすべての船絵馬を検討すると、杉本派の上限は文化八年(一八一一)の寺泊(新潟県三島郡)の白山媛神社の絵馬(図64)までさかのぼることができる。この間二〇年の約二〇面の絵馬には駄作がなく、ほとんどが第三期(文化期〜天保期)を代表するにたる作品である。とりわけ粟崎八幡神社に奉納された文化一四年の大絵馬(図18、16)と天保二年の大絵馬(図22、19)はいずれも傑作であるが、それについてはすでに述べたので割愛する。
 ここで注目すべきは、文化一一年に日方(和歌山県海南市)の伊勢部柿本神社に奉納された絵馬(図65)である。落款は杉本常重と読め、船体の表現は粟崎八幡神社の文化一四年の大絵馬と同系である。とすれば、常重が天保二年の絵馬に「浪華船画工 杉本円乗勢舟筆」と落款を入れた勢舟と同一人か、別人かが問題となるが、文政四年(一八二一)に木屋伊右衛門が住吉神社内の船玉神社に奉納した絵馬には「杉本円乗常重画」の落款があるところからして、常重が勢舟と同一人である可能性は大きく、文政四年より後に勢舟と改名したに違いない。
 勢舟をもって杉本派の初代としていいことは、天保七年に生島(高松市)の船玉神社に奉納された絵馬(図66)に「二代目 杉本清舟筆」と見え、また同一二年に口之津町(長崎県南高来郡)の瀬高神社に奉納された絵馬(図67)に「二代目 杉本春乗清舟筆」とあるからである。ただ、天保六年に中島町(愛媛県温泉郡)の桑名神社に奉納された絵馬には「杉本清船筆」とあるだけで、二代目を名乗っていないので、代替りは天保六年ではなく、天保七年とすべきだろう。
 
図64 文化8年(1811)の杉本派の絵馬 
寺泊町の白山媛神社蔵
 
 二代目清舟の落款入りの絵馬としては他に天保一四年(一八四三)に岩瀬萩浦町(富山市)の諏訪神社に奉納された一面(図68)があるにすぎないが、無落款物の絵馬となると天保五年から同一四年までの間に相当数に登り(図69)、ほとんどが落款入りの絵馬に劣らない出来であるのをみると、初代勢舟にしろ、二代目清舟にしろ、作品にムラのないのが特徴ということになりそうである。この点が吉本派と違うところである。
 初代勢舟は船体描写の写実性では二代目吉本善京にやや劣るものの、独特のやわらか味のある画風には彼ならではのよさがあり、落款に「船画工」と入れたのも自信の表れであろう。ただ、二代目清舟は、初代に比べるとわずかながら硬さがあり、のびのびとした趣に欠けるのが惜しまれる。とはいえ、同時期のライバルである二代目善京とは甲乙をつけがたいから、やはり一流といわなくてはならない。
 ところが、弘化元年(一八四四)になると、画風の上から三代目に替ったことが推察される。落款に三代目を入れた絵馬はないけれども、弘化二年の畑谷(秋田県本荘市)の神明社に奉納された絵馬には「浪華 杉本清舟筆」と落款を入れて、二代目清舟とは異なる花押を据えているので、やはり弘化期以後は三代目清舟とせざるをえない。なお、嘉永四年以後は寿義本清舟と書くが、花押は同じだし、画風にも変化がないから同一人とみてよかろう。
 三代目の画風は、嘉永元年(一八四八)の妙見神社奉納の絵馬(図26、22)のようなくずれがあって、ちょっと救いがたい感もある。しかし、これは悪い例であって、中には嘉永五年に深浦町(青森県西津軽郡)の円覚寺に奉納された絵馬(図70)のように無落款ながら二代目と見違えるような秀作もあって、どうも三代目は出来ムラの多い人だったようだ。概して無落款物の質の低下が目立つのは、職人任せの仕事が多かったからかもしれない。
 ともあれ、三代目の落款入りの作品は前述の安政四年の三面を下限とするから、少なくとも十数年は活躍していたわけである。ただ、吉本派への意地なのか、船絵師としてのプライドが版画化という安易な道への妥協を拒否させたのか、ともかく最後まで肉筆で通したため、時流には勝てず、版画利用の吉本派やそれにならった新興の吉川・吉村・絵馬藤などの諸派に押されて、文久三年(一八六三)を最後に姿を消す。
 さて、河野村の金相寺には三月二八日付の絵馬の代金の請取状一通(図71)が今に伝えられている。押印を見ると差出人は大坂の山本町高嶋筋の「御廻船御絵馬所」杉本清兵衛、あの船絵師の杉本で、宛先は小浜の豪商古河屋の持船嘉伝丸の船頭をつとめた河野中ノ町の善三郎である。善三郎が安政四年に地元の八幡神社に奉納した無落款の絵馬二面はいずれも大和屋の手になり、残念ながら地元の寺社にはこの領収書に該当する絵馬は見あたらない。領収書には年紀がないので、何代目か確定できないが、三代目の可能性が高そうである。ちなみに、吉村重助と平井義重が店を構えた西区新町通五丁目は大規模な町の廃合・改称の行われた明治五年(一八七二)以前には山本町の一部であった。
 
図65 文化11年(1814)の杉本常重筆の絵馬 
日方の伊勢部柿本神社蔵
 
図66 天保7年(1836)の二代目
杉本清舟筆の絵馬に描かれた弁才船 
生島の船玉神社蔵
 
図67
天保12年(1841)の二代目杉本清舟筆の絵馬 
口之津町の瀬高神社蔵







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