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船の科学館叢書

 事業名 海事科学知識の普及啓蒙活動
 団体名 日本海事科学振興財団 注目度注目度5


四 第四期(弘化期〜慶応期)の船絵馬と船絵師
 第三期以来、船絵師のトップに立って大量の船絵馬を制作していた三代目吉本善京は、嘉永期(一八四八〜一八五三)になると大量の需要に応ずるために、船絵馬史上にエポックを画する新しい量産方式を始めた。それは、船絵馬の制作ではもっとも手間のかかる船体を版画化し、その版画を板に貼りつけて彩色するようにしたのである。
 この新方式の初見は、中条町(新潟県北蒲原郡)の荒川神社に奉納された嘉永二年(一八四九)九月の絵馬(図23)である。同じ九月には剣地(石川県鳳至郡門前町)の八幡神社に肉筆の絵馬が奉納されているが、翌年になるとほとんどが版画の絵馬となっていることから、やはり嘉永二年秋あたりが版画化の始まりとみていいであろう。肉筆の場合、板のうえに下絵を描き、彩色を施してから仕上げの描線を墨で描き起すので、垣立などの細かい描写には非常に手間を要したが、版画の場合、船体の描線は版画のままですむから、制作時間を大幅に短縮できることになる。しかも、よほど注意しないことには、肉筆と区別はつかないから、版画化は誠にうまい方法であった(図24)。
 この船絵馬制作上の革命は、量産化による価格の低下をもたらしたと思われるが、反面、作品の類型化に拍車をかけた。それでなくとも、この時期は吉本派に限らず様式化や類型化が甚だしくなっていただけに、折角の量産方式は船絵馬をよりつまらなくする要因となった。たとえば、中条町の荒川神社奉納の吉本派の船絵馬には同一版木による絵馬が八面もある。年代別に分けると、嘉永五年が二面、同六年が三面、文久三年(一八六三)が一面、年代不明が二面(嘉永四、五年頃)で、約一〇年にわたって同じ版木が使われたことになる。このうち吉本善京の落款のあるのは五面、他は無落款である。ところが、両者の間には船体の彩色にごくわずかな差があるにすぎず、もはや落款物と無落款物とは質的にもまったく変るところがない(図25)。これは、まさに功罪両面を持つ量産方式の罪の面といえよう。
 一方、吉本派の版画利用による量産化に対して、対抗馬たる杉本派はあくまでも肉筆で通していた。しかし、弘化期(一八四四〜一八四七)以降、三代目杉本清舟の代になると、肝心の船体描写にもくずれや類型化が現われ、天保期(一八三〇〜一八四三)の巧妙さは薄らいでいる。にもかかわらず、嘉永元年(一八四八)に庵治町(香川県木田郡)の妙見神社に奉納された絵馬(図26)のように堂々と落款を入れたものだから、どうにも情けない話である。
 こうした杉本派の質的低下は購入者にも敏感に響いたらしい。吉本派が版画利用に徹して船絵馬を売りまくっている最中の安政四年(一八五七)、中条町の塩釜神社に奉納された二面と河野村(福井県南条郡)の八幡神社(やはたじんじゃ)に奉納された一面(図27)を最後にして杉本清舟の落款を入れた絵馬は忽然と姿を消す。むろん、無落款物もほぼ軌を一にしている。おそらく肉筆では版画利用の吉本派の船絵馬とは価格の上で対抗できず、対抗するとなれば質を落すという悪循環を伴なって清舟の死とともに杉本派は急速に滅びていったと思われる。
 こうした吉本・杉本二主流の質的低下と杉本派の没落によって、第四期には新興の船絵師の進出がみられた。これは、主流二派のマンネリ化した船絵馬に飽足らない思いを抱いた船主や船頭たちが清新な表現の新興派の作品に共感を覚えた結果にほかなるまい。
 まず、新興派のなかで最初に挙げたいのは大和屋で、代表作は嘉永四年(一八五一)に近江八幡市(滋賀県)の円満寺に奉納された大絵馬(図28)である。これは当地の豪商西川伝右衛門の持船六艘を描いた特注品で、「浪華船絵師大和屋筆」の落款を入れている。側面から見た四艘に正面から見た一艘と船尾から見た一艘をうまく配置した構図も面白いが、船体描写や乗組たちの表現にはかつての吉本・杉本両派の良き時代の持味みたいな絵画性があって、まさに硬直し低迷化していた船絵馬に生気を注入したかの感がある。なかでも順風で快走する真艫から見た弁才船の図(図29)は秀逸で、数あるこのアングルから描いた絵馬の白眉といってよい。
 
図23
 
嘉永2年(1849)9月の版画化された吉本派の絵馬 中条町の荒川神社蔵
 
図24
 
嘉永元年(1848)10月の吉本善京筆の絵馬 中条町の荒川神社蔵
 
図25
 
同一版木による嘉永5年(1852)の無落款の絵馬(上)と同6年の落款入りの絵馬(下) 中条町の荒川神社蔵
 
 
 円満寺以外の大和屋の落款入りの絵馬としては、安政二年(一八五五)に河野村の八幡神社に奉納された剥落のひどい一面しかないが、これには「浪華船絵師大和屋雪山」の落款がある。雪山といえば、庵治町の妙見神社には「浪華船絵師菅雪山筆」の落款を入れた一面(図30)が同じ年に奉納されている。帆に北斗七星を描くのは、奉納先が北極星を神格化した妙見神をまつる神社だからである。この絵馬の画風は大和屋そのものであるから、菅は大和屋の姓であろう。
 ここで注目すべきは、安政元年に周参見町(和歌山県西牟婁郡)の王子神社に奉納された船絵馬(図31)である。描かれているのは瀬戸内海から紀州にかけて活動した小廻しの猪牙(ちょき)船で、江戸時代では他に類例がないばかりか、標準形式の絵馬のなかでも屈指の秀作である。落款はなくとも、画風からして、当代きっての船絵師である大和屋の作であることはまず動かないから、巧いのも納得がゆこう。
 大和屋の無落款物といえば、安政四年に古川屋善三郎が河野村の八幡神社に奉納した二面もそうである。一面は標準形式、他の一面(図32)は左舷前方から見た弁才船を描く。もとより、視点を船首尾線から外すのは、左右対称になるのを避けるためであって、この一面は同じ構図で描かれた落款物の円満寺の絵馬(図33)には数歩をゆずるとはいえ、真正面から描いた凡百の絵馬よりも格段に優れている。







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