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船の科学館 資料ガイド4 黒船来航

 事業名 海事科学知識の普及啓蒙活動
 団体名 日本海事科学振興財団 注目度注目度5


帆と機関を併用して航走する“ミシシッピ”の姿
 
3 ミシシッピ
(1)艦暦
 すでに述べたように1841年(天保12)12月22日にアメリカのフィラデルフィア海軍工廠で完成しましたが、アメリカで建造された最初の大型の蒸気フリゲートでした。
 1846年(弘化3)に始まったアメリカとメキシコとの戦争ではメキシコ湾艦隊の旗艦(きかん)となり、艦隊司令官ペリー准将(じゅんしょう)の乗艦でした。その後ペリーの日本遠征に参加しました。1857年(安政4)から1860年(万延元)まで再び極東水域に派遣され、この時また世界一周を成し遂げたので、世界一周を2回達成した初めての軍艦となりました。1861年(文久元)から始まった南北戦争には北軍の軍艦として参加しましたが、1864年(元治元)3月14日にハドソン港で座礁し、乗組員の手で焼かれ一生を終えました。
(2)艦種
 艦種は“サスケハナ”と同じく「木造外車フリゲート」です。船体構造は木造ですが、“サスケハナ”と同じく船側の外板、肋骨は鉄の斜材で補強されていました。
(3)主要寸法
 主要寸法は船の科学館が所蔵している図面や文献類を検討すると、次のようであったと考えられます。
垂線間長 220フィート(67.06メートル)
全幅 40フィート(12.19メートル)
型幅 39フィート(11.89メートル)
深さ(ホールド)
23.5フィート(7.16メートル)
喫水 19.0フィート(5.79メートル)
 ここで垂線間長とは前部垂線と後部垂線の間の距離で、排水量計算等の諸計算の基準になる長さです。前部垂線は現在の船では船首材と満載喫水線との交点から下ろした垂線ですが、この当時はいろいろ異なった定義があり、本艦の場合は第2甲板と船首材の交点から下ろした垂線となっています。また後部垂線は舵柱の後面としています。舵柱とは文字通り舵が取り付けられている柱です。
 幅と深さの定義については“サスケハナ”を参照してください。
(4)トン数
 既に述べたように、満載排水量は3,220トン、bmトンは1,692トンです。“サスケハナ”のところで紹介したイギリス最大の外車フリゲート“テリブル”の排水量3,189トンを少し上回っているので、完成した時点では世界最大級であったと思われます。
(5)帆走装置
 “サスケハナ”と同じく3本マストのバーク型で、帆の総面積は1,765平方メートルでした。
 “ミシシッピ”の絵から判るように中央部マストと後部のミズンマストの間隔が狭いので、帆の性能については乗組員の評判はあまり良くなかったと言われています。
 
ボイラの図。銅製で、煙道式、焚き口が3箇所ある(“サスケハナ”)
 
“ミシシッピ”のサイドレバー式蒸気エンジンの図
 
(6)推進装置
 蒸気機関の外形は図に示すようになっています。この型式はサイドレバー型と呼ばれていましたが、イギリスでは初期の外車艦船に良く使用された型式です。しかしアメリカ海軍では“ミシシッピ”以外には殆ど使用されませんでした。
 蒸気機関は2基で、シリンダ直径は75インチ(190.5センチメートル)、ストロークは7フィート(2.13メートル)ありました。この値から公称馬力を計算すると434NHPになります。また図示馬力は650IHPでした。この蒸気機関は日本遠征期間中、“サスケハナ”や“ポーハタン”に比べると故障がほとんどなく、ペリーは大変信頼を置いていました。ペリーは“ミシシッピ”が「大のお気に入り」でしたが、これも理由の1つであったかも知れません。
 ボイラは“サスケハナ”と同じく銅製の煙道式ボイラが4基搭載されていました。蒸気の圧力は“サスケハナ”より少し低く10.5ポンド/平方インチ(0.74キログラム/平方センチメートル)でした。石炭の搭載量は推定ですが、約700トンと思われます。
 外車の直径は28フィート(8.53メートル)で、毎分の回転数は約10回転でした。
(7)航海速力
 航海速力については文献によって7〜11ノットの幅がありますが、馬力と排水量から速力を検討してみると、“サスケハナ”と同じく8ノット程度が妥当な値と考えられます。
(8)備砲
 備砲は口径10インチ(25.4センチメートル)が2門、口径8インチ(20.3センチメートル)が8門、合計で10門が上甲板に装備されていました。10インチ砲は船首尾に各1門が配置され、“サスケハナ”と同じく円弧状のレールによって、旋回、移動が出来るようになっていました。8インチ砲は左右舷に4門ずつ配置されていました。
 大砲はいずれも“サスケハナ”と同じく鋳鉄製の前装滑腔砲で、炸裂弾が発射できるようになっていました。
(9)乗組員数
 文献によって257〜268人の幅がありますが、水兵の区画はベッドでなく釣床(ハンモック)なので、多少の増減は自在であり、この程度の幅は止むを得ないことでしょう。約260人と考えておけばよいと思われます。
 
ペリー艦隊の錨泊(びょうはく)地点を検証する
 ペリー艦隊が初めて浦賀沖に来航した時の正確な投錨地点は、「ペリー艦隊日本遠征記」にも記されていませんが、1854年にアメリカで制作された「BAY OF YEDO(江戸湾)海図No.183」に艦名とアンカー(錨)マークが記載されていました。これを基に、現代の世界測地系海図上の正確な位置を割り出す作業を実施したところ、
“サラトガ” 北緯35度14分26秒 東経139度45分15秒
“サスケハナ” 北緯35度14分22秒 東経139度45分06秒
“ミシシッピ” 北緯35度14分09秒 東経139度44分53秒
“プリマウス” 北緯35度14分01秒 東経139度44分44秒
との、詳しい錨泊地を特定することができ、浦賀の沖わずかに2キロメートル程であったことが判明しました。
 







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