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2004.03.27 服巻智子
 
生きる力と自信をはぐくむ自己認知の支援
〜アスペルガー症候群と自閉症の子どもたちの教育〜
それいゆ相談センター
センター長 服巻智子
 
1、はじめに(10代で出会った自閉症の人)
 私は、自閉症の子どもに出会った10代の終わりに、「一生この人たちと生きていきたい!」と心に決めて、職業を選び研修を重ねてきました。出会った自閉症の子どもたちが、自分のせいではない生きにくさを抱えながらも、一生懸命に自分の生命を生きていく姿が美しく感じられ、自分自身の与えられた生を、彼らのようにまじめに生きていきたいと自分の生き方を思わされたからです。それと同時に、自閉症の子どもたちのご家族が、子ども自身の問題への支援に悩みながらも、社会の無理解など社会生活上の困難とも立ち向かいながら生きている姿に打ちのめされるほどの尊さを感じさせられ、私自身もまだ10代ではありましたが、自分の生き方の甘さを思い知らされたのでした。自閉症の子どもたちばかりでなく、ご家族の皆さんとも一生離れないで、私に出来る支援を提供しつつ、私自身の人生を地元佐賀で送るのだ、と、心に誓ったのです。
 
 その後、ボランティア活動をする学生の団体「有明会」を立ち上げて、佐賀県自閉症親の会(現(社)自閉症協会佐賀県支部)の地域生活支援を開始したのは、大学の頃でした。今でもそのボランティアの会は続いています。卒業して就職してからもずっと、自閉症の人たちや家族の皆さんとの付き合いは続いています。
 当初から、地域社会の無理解や意識の低さによって傷ついたり、専門家の不確かな説に翻弄される家族たちを目の当たりにしましたので、より確かな専門的な知識と技術を持って、真に役に立つ支援を提供できるようになりたいと考えつづけました。
 そして、養護学校教員として勤めていたとき、幸運にも1992年から一年間、米国のノースカロライナ大学医学部TEACCH部での留学研修の機会を得、帰国後はそのとき学んだ実践に明け暮れました。その一年間にも機能の高い自閉症の人たちの教育・福祉・就労支援について学ぶ機会はありましたが、帰国時の職業が養護学校教師でしたので実践の機会はありませんでした。その後、再び留学の機会を得ることができましたので、このときは完全に教職を辞し、2000年から2年間英国で自閉症教育を研究してまいりました。
 
2、英米で見た自閉症支援(アスペルガー症候群の人たち)
 アメリカとイギリスで自閉症について学んできたのですが、そこで一番心が躍ったのは、2つありまして、自閉症を持つ成人の人たちがたくさん積極的に社会参加していたことです。そして、どこでも、支援の方法としては「自閉症特化型の支援」が保障されていたことです。
 
 アメリカのノースカロライナ州では、知的な遅れがある自閉症の青年も知的な遅れが無い自閉症の青年も、どちらもそれぞれに応じた適切な自閉症特化型支援(ジョブコーチなど)の提供を受けながら、本当に大勢の人が就業していて、生き生きと地域生活をしていました。特に居住支援では、支援の程度によってグループホームが3段階に分かれていて、成人してグループホームに入ってからも教育は続けられていました。そこでの教育によって、必要とする支援の程度が少なくなれば、さらに適した訓練が受けられるグループホームへと異動することも出来ました。グループホームを卒業すると、支援付きアパートがありました。2〜3人でアパートに同居しながら支援を受けるタイプもあれば、たった一人のアパート暮らしもありましたが、どれも買い物や光熱費の振り込み確認などの支援は提供されていました。
 
 イギリスでも居住支援の質の高さに驚かされました。
 どちらかというとアメリカは余暇を重視しながらもやはり「働く」ことを礼賛する傾向が強いようですが、イギリスを始めとするヨーロッパ型の福祉支援というのは、ずっとずっと芸術や趣味などの「豊かさとゆとり」が強調されているように感じました。機能の高い自閉症の人にありがちな「疲れやすさ」を考慮して、9時から5時まで就業を強調しないし、コミュニティセンターでの趣味の教室通いですらも支援費の対象となっていました。大学や大学院卒業の学歴を持つような自閉症(アスペルガー症候群)の人でもなかなか身辺自立や家事技能を獲得するのが難しかったり、休日を計画的に過ごすことの苦手な人が多いのですが、そういった人のためにもグループホームが支援費で利用できたり。私が直接お目にかかった人の中に、大学卒でフルタイム就職しているけれども、グループホームに住んでいる(支援を受けている)人もいたのです。
 
 私はそのほかデンマークにも良く出かけたのですが、デンマークの成人支援も目を瞠りました。デンマークは何もかも自閉症特化型です。グループホームの設計からして自閉症バリアフリーを考慮していたのは感動モノでした。
 
3、自閉症特化型教育のたまもの(二次障害を防ぐ)
 英米デンマークの成人の人たちの幸せそうなこと。当地の方々は「まだこれでも行き届いていない。不十分だ」とおっしゃるのですが、自閉症に特化された行政支援が何一つ無い日本の実情から見たら、1つ1つがすごいものでした。
 一方で日本の成人期の自閉症の人たちの現状を見ると、特に正確な診断を受けることすらままならなかった機能の高い方々の、二次障害という言葉をよく耳にします。鬱や強迫神経症といったものです。本来の障害だって、(たとえ知的遅れが無くても)生活に大きな困難があるのに、二次障害などを併発して苦しんでいる方がとても多い状況があります。その上、もともと自閉症特化の行政支援が無いので、知的に高いというだけで、適した支援を永続的に受けることがかなわない実情があり、やり場の無い怒りと失望だけが彼らの周囲を取り巻いているようにも見受けられます。
 
 何がこんなに違うのか。
 一番異なるのは、もちろん、自閉症の診断が正確になされその後の療育支援が徹底されることもありますが、あわせて、一人ひとりを社会人として育てる「学校教育」の質が根本的に異なるので、成人期のありようが違うのだ、といわざるを得ません。英米デンマークは、自閉症のための学校教育が提供されていました。特に英国とデンマークは、高機能専門の自閉症学校すら公立で設置されていたほどです。すべての精神疾患を併発した自閉症の人がそうだというわけではないのでしょうが、現時点の日本では、不適切な教育や環境によって二次障害はつくられているといっても過言ではなく、本来避けられるものだと考えられます。
 
4、海外で出会った素敵な青年たち(アスペルガー症候群)
 海外で研究中に感動したことに、自閉症を持つ自分に誇りを持って地域で生活している青年がたくさんいたことがあげられます。ノースカロライナ(米国)でもシカゴ(米国)でもイギリスでもデンマークでもスウェーデンでも。92年にノースカロライナで出会った青年たちの中には、知的な遅れもあるけれども、自分の自閉症の特性を接する人に説明しながら自分にとっての不快な状況を改善するように努めている人がいたんですが、その人たちの様子を初めて見たとき、脳天を打たれたような衝撃が走りました。こんなにニコニコ自分のことを上手に説明(言葉は十分ではありませんでしたが)でき、周囲の人の理解を求めて、自分と周囲の人の両方にとって快適な関係を結ぼうとしている。。。驚いてスタッフに尋ねたら「成人期にそうできるようになるように、構造化した教育をしているのよ」!!!教育の賜物だったんですね。自閉症を持つ自分に誇りを持ち、自分を理解してもらうように話していく。。。そのときは初めてだったから驚きましたが、その後も何人もそんな人に出会いました。テンプル=グランディンさんの講演を初めて聞いたのもその1992年でしたが、そのときは、本人が語るシンポジウムが開かれていて、それはそれはたくさんの自閉症当事者が自分たちのことを説明し、また権利を主張していたんです。
 2000年に英国にわたってからも同じ体験を何度もしました。英国では主に非常に機能の高い人たちと接する機会が多かったのですが、「自閉症の理解」についての講演を生業としている高機能青年も何人かいて、彼ら自身も自分のことを理解し説明していました。そして、それはずいぶん周囲の理解を助け、結果的にお互いにとっての「適応状況」を生み出すことになっていました。
 
 ほかにも、彼らから教えてもらったことがたくさんありました。
 一番大切なことは「自分が自閉症を持っていることをできるだけ早く知ること」なのだそうです。偏見はどこに行ってもありますが、それを打ち砕くのは自分自身の生き方だ、私たち自閉症は生まれる星を間違ったような気がすることもあるが、一緒に生きていくからにはお互いの理解が大切だ、理解してもらうためには表現していかなくてはならない、そして、その決定は自分自身で下すのだ、ということ。。。また、教えてもらわないと自然と学べることは少ないから、自閉症を良くわかった教師に自閉症に適した教え方で教育を受けることが大切だということ。彼らの堂々とした生き方は、同じ人間として非常にまぶしく美しく、そして逞しく感じられました。
 
5、それいゆ相談センターではぐくむ‘自己認知’
 自閉症協会佐賀県支部では、本人のための直接支援を提供する自閉症特化型相談機関であるNPO法人それいゆ それいゆ相談センターを立ち上げました。そして、97年から高機能部会を設置し、保護者の子育て学習会(バンビの会)を行ってきました。そこでは、本人が自分の自閉症を知ることが、教育上大切なカギであることが確認されてきました。‘本人告知’は精神的に強くなるために超えるべきハードルであるとは、頭では理解できるのですが、親としては、周囲の偏見などに押しつぶされないのか、不安と心配が尽きないものです。
 そんななか、バンビの会で育った子どもたちが小学校に上がり、少年期に入ったところで告知の時期を迎えました。海外で出会った素敵な青年たちの生き生きと笑顔で生きる姿をわが子に重ねながら、周囲の偏見など自分たちが立ちはだかって無くしてやるという意気込みで、そのときを迎えました。家族や支援者、友達たちの協力も得ました。
 
 その後、仲間がどんどん増え、現時点で40名近くの高機能部会員のうち、約20名ちかくの小中学生がすでに自分を知って、より良く生きる術を学ぶようになっています。特に、自閉症特化型の本人への直接支援を提供するための それいゆ相談センターが出来てからは、一人ひとりの特性や置かれた状況に応じて、個別カウンセリングやグループセッションなどを組み合わせて、「自分の自閉症の勉強」を続けています。英国の自閉症の成人たちが教えてくれたのですが、「1回で何もかもわかるはずが無い。1回に少しずつ、ずっとずっと大人になっても自分自身の理解を研究していくべきなのです」それを実現するために、それいゆ相談センターでは、一人ひとりのニーズに合わせて、永続的に本人から断られるまで支援を続ける体制を準備しました。
 
6、アインシュタインクラブではぐくむ‘自信’
 自閉症支援、その中でも機能の高い人たち(アスペルガー症候群を含む)を支援するのに大切なことのもう1つは、早い段階で同じ障害を持つ人たちと知り合いになっておくことだ、と学びました。仲間づくりです。そこで、佐賀県支部高機能部会では、本人告知が済んで「自分の勉強」を始めた子どもたちの集まる機会=仲間づくりの会を始めることになりました。その会をアインシュタインクラブと名づけました。極端なこだわりや興味関心を特別な才能として伸ばすような機会とすることと、余暇活動を含む社会的な活動の2本柱で展開することを通して、仲間意識や地域社会での振舞い方について学ぶように活動を展開しています。毎月1回のその活動の中で、年に3回はみんなで自分たちの特性について学ぶ機会もあります。そして、弱点を持っていても立派に逞しく生きていく自分の姿を描きながら、前向きな姿勢を持っていくのです。「自分はこれで良いんだ!」「友達と仲良くできるようにこういうところをがんばってみよう」「イライラしたときどうするか」「友達とこんないさかいになったとき、どう振舞うべきか」などの、社交上の具体的な解決法を学んでいます。
 参加している子どもたちはすべて、アインシュタインクラブの日を心待ちにしているようで、「今度いつ?」「みんなに会うのが楽しみでならなかったんです」「参加費のためにお小遣いを貯めてます」「今度の会では、あんなことしませんか?」等と、子どもたち自身からの意見や感想がメールなどでよく届いています。不登校になりがちな児童の中には、学校での息苦しさをここで発散し、そしてまた学校に戻っていく児童生徒も出てきました。
 
7、支援者の意識改革(親と家族をはじめとして)
 (社)自閉症協会佐賀県支部では、親を中心として自閉症の明るい未来をつくっていく支援団体として、自らの生き方としても、障害を隠さない生き方を選択してきました。そして、アインシュタインクラブでの子どもたちの明るい笑顔と積極的に人生に挑む姿を見るにつけ、周囲の意識の低さに負けないぞ、私たちが守ってやるぞ、と思いを新たにしています。
 そのためには、多くの方々の継続的な連携による支援を得なくては出来ません。家族や親族ばかりでなく、学校/園の先生や専門家、近所の方々の深い人間理解をいただきたいと願い、活動しています。友達にもたくさんの理解者・支援者を得てきました。お互いに励ましあう様子も見られるようになりました。
 
8、支援を活用しながら、自分が主役の人生を(地域で堂々と生きる)
 学校や家庭で発生する、自分の特性による社会的トラブルを予測し、自分なりの解決方法を学び、周囲の支援者(親、きょうだい、担任教師、専門家、友達など)の力を借りながら、自分が人生の主役として、自分の人生と立ち向かう力を得るように逞しく成長している姿は、とても立派だと感心しています。しかし、まだまだ自分自身の特性をすべてつかむには時間がかかります。成人してからもずっと継続していく必要はあるでしょう。それと同時に、周囲の理解は欠かすことは出来ません。適した教育によって改善は見られるものの自閉症の特性は無くなるものではない、ばかりでなく、障害は「無くさなくてはならないもの、いけないもの」では断じてないので、真に障害を個性としてお互いを理解しあい、高めあい、助け合い、そして尊重しあえる関係の中で、お互いに成長しあう支援関係を持ちたいのです。
 
 そして、彼らは支援されるだけの人・庇護されるだけの人ではなく、自分自身が人生の主役として、一般の人たちと同様、数々の権利を主体的に有する人たちであることを、忘れてはならないと思っています。私たちはあくまでも支援者。主体者ではない。それは親も同じことです。彼らの人生の選択に対し、決定権は本人自身にあるのです。
 そのためにも、決定が適切に出来るように、より良い教育の提供が不可欠だということを、改めて訴えたいと考えています。近い将来、佐賀のアインシュタインクラブで育った子どもたちが自分たちの説明をしながら、自分らしく堂々と暮らしていくことのできる成人に育つ日が確実に近づいている実感を持っています。
 
9、特別支援教育への期待と願い
 特別支援教育が導入され、自閉症の教育、特に機能の高い人たちへの教育支援に、ようやく日本でも光がさしてきたかのような気がします。しかし、よく調べてみると、いろいろ問題もあるようです。私は、特別支援教育の本場である英国でのインクルージョン法施行を留学中に目の当たりにしました。通常学級での教育支援、通常学級と通級の組み合わせ、自閉症クラスと通常学級の組み合わせ、自閉症クラス単独、そして、自閉症特化型学校と、多様な選択肢が、しかも、幼稚園から高校まで用意されていたのです。大学ですら、特別支援を受けながら、国立大学に通うことも出来ました。
 特別支援教育コーディネーターが指名され校内委員会が設置されても、一人ひとりの教育計画・支援計画に対し、誰が特別支援教育の質を確認していくのでしょうか?また、現時点では、教員養成に自閉症講座が無いために、どうしても、自閉症特化の特別支援方法ではなく、通常教育や伝統的な特殊教育の方法を導入しがちになってしまう教師たちを、どんなふうに現任訓練していくつもりなのでしょうか。
 また、「軽度発達障害」という乱暴なくくりで、いろんな障害特性の違いに合わせる、という観点を忘れがちになってしまっていることを、あるいは意図的に無視しようとしていることに対しては警告を発していかなくてはなりません。
(2004年3月27日 長崎シンポ)







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