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IV. SMP-ELISAによるメコン住血吸虫症の血清診断法の検討と集団駆虫後の評価への応用
 被験者血中の抗寄生虫特異抗体を検出する血清診断法では、交差反応を要因とする偽陽性(false positive)の発生を極力回避する必要がある。*Alarcon de Noyaら(2000)は、マンソン住血吸虫症の血清診断で、交差反応の標的となる主な抗原決定基は糖鎖であると考え、sodium metaperiodate(SMP)処理により虫卵抗原中の糖鎖をあらかじめ酸化して抗原性を失活させてからELISAを行った。この方法(SMP-ELISA)により特異性(specificity)が向上することを示した。
 我々は今回、メコン住血吸虫症の血清診断法へのSMP-ELISAの応用について検討した。抗原として当研究室で維持しているメコン住血吸虫卵抗原(SEA)を用いた。被検血清として、カンボジアのメコン住血吸虫症患者血清34例(患者群)および本症流行地から100km以上離れたプノンペン在住の学童血清100例(非患者群)を用いた。SEAを吸着したプレートをそのまま(SEA-ELISA)、またはSMP処理を施してから(SMP-ELISA)、被検血清と反応しELISAを実施した。結果を散布図としてFigure 3に示した。SEA-ELISAでは非患者群のOD値の最大値が0.568、患者群のOD値の最小値が0.361で、2群のOD値分布に重複がみられた。これに対しSMP-ELISAでは患者群のOD値の最小値が0.158にまで減少したものの、非患者群のOD値の最大値が0.108と著しく減少したことから2群にみられたOD値分布の重複が解消された(Figure 3)。以上の結果から、SMP-ELISAのメコン住血吸虫症診断への応用についても特異性の向上に効果があることが確認できた。さらに条件の検討を重ねて感度を向上させることでより実用的な診断法の確立に努めたい。
 SMP-ELISAを用いて、Sdau(Stung Treng省)、SambokおよびTalous(Kratie省)、Kok Prak(Kompong Cham省)の4村落について、1998年から2003年の間に採取した血清の抗体価を調べた。1998年から2002年の期間の血清は-80℃で保存していた検体を用いた。ELISA値の分布を箱ヒゲ図により示した(Figure 4)。1998年、1999年にSdau、SambokのELISA値の分布が平均値、中間値、上位10%点ともに高く、本症の高度な流行地であったことを反映している。その後、ELISA値の分布は低下傾向にあり、現在では低度流行地であるTalousと同程度にまで低下した。これは地域での感染頻度が減少していることを示しており、これまでの血清疫学調査や糞便検査の結果と一致する。またこれまでにメコン住血吸虫症の感染が確認されていないKok Prak(Kompong Cham省)においても少数ながら高いELISA値を示す検体がみられた。この高い値を示す検体の解釈についてはメコン住血吸虫と何らかの接触があった可能性の他、SMP処理でも除去できない交差反応がある可能性も含め慎重に検討する必要がある。
 
 血清検査法の技術指導のため2004年1月11日〜1月28日に桐木雅史が派遣され、国立マラリアセンター(CNM)のスタッフへの教育にあたった。国立マラリアセンターでは今後、住血吸虫症のみならずマラリアなど他疾患についても独自に高度な診断ができる態勢をつくる方針にあり、今回の技術指導はその態勢作りの端緒となるものである。
 血清診断の主要な器材および試薬はWPROから、また一部の器材は獨協医科大学から提供された。実験室として用意された部屋は実験机、床がタイル張りで清掃しやすいつくりになっていた。当初は顕微鏡が数台あるだけの部屋であったが、技術指導の最初の一週間の間に冷凍冷蔵庫、薬品棚、ビーカー等のガラス器具、洗い物を乾燥させるための洗いカゴなど、実験室として必要な器材を他の部屋から移動したり購入することで徐々に整えていった。試験管ミキサーなど、入手できなかった機材もあったが、手で撹拌するなどして対処した。蒸留水製造装置は保健省で導入する予定であるが、現在稼動状態にないことも問題である。今回は飲料水や、発電所から分与された蒸留水を用いて実験を開始させた。
 血清検査法として獨協医科大学で作製したメコン住血吸虫卵抗原を用いたELISAを、プレートへの抗原吸着からELISAの実施、マイクロプレートリーダーでの測定までを指導した。また抗原の過ヨウ素酸ナトリウム(SMP)処理、採血ろ紙からの検査についても指導した。
 技術指導は4人の技術員を中心におこなった。このうち2人は実験室に常駐して検査に従事する予定になっている。皆、科学的な実験をした経験がなく、実験作業や考え方に不馴れであったが、積極的に質問をして理解に努め、作業にも熱心に取り組んだ。しばしば英語では理解が困難な場面があったが、CNM研究員のDr.Thapに協力を仰ぎクメール語で説明することで解決した。作業をくり返すことで、2週目の後半には自分達で被検血清の希釈からマイクロプレートリーダーでの測定まで実施可能となった。
 今回の技術指導で、一通りのELISAの作業を行う環境はできたと考えられる。しかし、大量の検体を高い精度で検査するためにはさらに修練を重ねることと、蒸留水の供給システム、スターラーや試験管ミキサー、電子天秤など基本的な機器の充実が望まれる。さらに、シンクが狭い、廊下やベランダとの境の扉に隙間が多く砂埃が入りやすいなど、設備上改善すべき点もみられる。
 
 なお、今回の派遣の初期1月11日〜15日には大前比呂思専門家が同行し、技術指導を行うにあたって実験室の準備やCNMスタッフの指導に協力して戴いた。また、1月15日に大前、桐木はWHOカンボジア事務所の露岡令子氏の仲介によりDr.Jim Tulloch(WHO, Representative)を訪問し、笹川記念保健協力財団の協力によるカンボジアのメコン住血吸虫症疫学調査について説明し、また氏より笹川財団の支援に対する更なる期待が述べられた。
 
筑波大学基礎医学系 大前 比呂思
 
 近年のカンボジアにおけるメコン住血吸虫症対策の進歩はめざましく、2003年の疫学調査では、Stung Treng省の浸淫地の小学校児童において、Kato-Katz法で虫卵が検出された例はみられなかった。そして、感染率の低下と共にmorbidityも着実に改善しており、ここ数年のKratie省での調査でも、14才以下の若年層で、重症者はあまりみられなくなってきている。
 今後、対策の進展によっては、カンボジアにおけるメコン住血吸虫症のeliminationも夢ではないと思われるが、その場合、多くの例で、臨床症状がはっきりしなくなったのをうけ、morbidityをどのように正確に評価するかが問題になってくる。典型的な臨床症状を示さないような軽症者を対象にしても、morbidityの消長の客観的な評価が容易にできるような指標の開発が望まれる。
 超音波検査は、簡単に施行できるうえ、検査コストも安いので、従来から途上国における適正技術として注目を集めてきたが、マンソン住血吸虫症やビルハルツ住血吸症を中心に、国際的に診断基準を定めてmorbidity studyにも応用する動きが広まっている。日本住血吸虫症の場合も、フィリピンにおける調査では、進行した肝線維化による網目状パターンを示すような例の頻度は、集団治療を中心とした対策の進歩と共に、特に若年者を中心に減少する傾向がみられた。メコン住血吸虫症の場合、日本住血吸虫症でみられるような典型的な網目状パターンはみられないことが、既に今までの調査でわかっているが、マンソン・日本住血吸虫症と共通した変化として、門脈径の拡張や門脈壁の肥厚を示す例が多くみられる。そして、これらの超音波画像の変化は、morbidityの変化を評価する上で、重要な指標となることが期待される。
 
今年度の目的
 今回は、ヒトに感染する住血吸虫症の超音波診断基準として、ほぼ共通して利用されている門脈径の拡大と門脈壁の肥厚を中心にして、メコン住血吸虫症のmorbidity studyを試みた。Kratie省において、従来の虫卵検査や血清検査において、感染率・morbidityとも大きく異なると思われる2つの地区を選んで、腹部超音波検査を行い、比較することとした。
 診断は、現在汎用されている住血吸虫症の超音波検査の国際的基準、Ultrasound in schistosomiasis: A practical guide to the standardized use of ultrasonography for the assessment of schistosomiasis morbidity(TDR/WHO 2000)に基づいて行った。特に、門脈圧亢進症については詳細に分析し、門脈径の拡大・門脈壁の肥厚・側副血行路の有無などから、総合的に3段階に分類した。
 
対象・方法
 Kratie省における従来の調査から、メコン住血吸虫症の高浸淫地と判断されるAchen、Kompong Krabei、Ampilteuk、Samboの4村落と、低浸淫地と思われるChhlongの2地域で、各366人、117人の居住者を対象として、超音波検査を行った(Table 3)。対象者は、小学生から55才以上まで全年齢層にわたり、男女の性比は、ほぼ2:3であった。ポータブル型超音波検査診断装置(横河RT-220)を用いて、肝臓・脾臓を中心に腹部の検査を行って、比較して解析した。
 
結果 メコン住血吸虫症における超音波検査によるMorbidityの評価
 高度浸淫地と思われる村落群(Achen、Kompong Krabei、Ampilteuk, Sambok)では、対象となった366人の38%にあたる139人が、門脈径の拡張を示した(Table 4)。さらに、腹水といった、超音波検査を用いなくてもわかるような重症所見を示したのは、5人にとどまったが、側副血行路の形成は、約3割の107人に認められた。また、各村落毎の比較では、特に違いは認められなかった。一方、低浸淫地である村落(Chhlong)においては、門脈径の拡張を示したのは、117人の対象者中10人であった。また、腹水が認められた例はなく、側副血行の形成も2例に認められたのみであった。
 年齢別にみると、高度浸淫地の村落群では、15-34才で、門脈圧亢進症を示す例が多く、重症例も比較的多くなった(Table 5)。一方、14才以下の例と45才以上の例については、門脈圧亢進症を示す例は少なく、かつこれらの年齢層では相対的に軽症例が多くなる傾向を示した。14才以下では、24人の対象者のうち、僅か2人が門脈圧亢進症の所見を示したのみで、対象数が少ないものの、55才以上の7例では、誰にも門脈圧亢進症の所見を認めなかった。
 一方、軽度浸淫地と思われた村落:Chhlongでは、全年齢層において、門脈圧亢進症を示した例は少なく、117例中、わずかに10例にとどまった(Table 6)。また、中等度の例が、45-54才の年齢層で、2名みられた以外は、全て軽症例で、高度浸淫地の村落群でみられたような年齢との関係はみられなかった。
 
考察
 メコン住血吸虫症の高度浸淫地と軽度浸淫地で、住民を対象とした今回の腹部超音波検査の結果、検査所見は明らかな違いを示した。マンソン住血吸虫症や日本住血吸虫症で報告されているように、メコン住血吸虫症においても、超音波検査はmorbidity studyに利用できることが確認されたと言えよう。
 また、昨年度の調査では、Stung Treng省Sdau地区において、若年者を中心としたmorbidityの改善が示唆されたが、今年度の調査でも、14才未満の若年者についてのみ言えば、Kratie省の高度浸淫地と軽度浸淫地の村落で、超音波所見に殆ど違いはみられなかった。Kratie省では、1996年からメコン住血吸虫症浸淫地の住民に対する、プラジカンテルによる年1回の集団治療プログラムが推進されており、Chhlong村も2000年から、そのプログラムに組み込まれている。現在在籍している小学校児童の多くは、入学時よりそのプログラムの恩恵を受け、毎年治療を受ける機会を得てきたことが、従来の高浸淫地におけるこのmorbidityの改善につながったものと考えられた。
 ところで、フィリピンや中国の日本住血吸虫症浸淫地では、加齢に伴って、morbidityや超音波検査所見が悪化する傾向が報告されている。しかし、メコン住血吸虫症の高浸淫地における今回の調査では、むしろ老年者において、超音波所見が改善する傾向を示した。特に55才以上の7人は、長く感染の機会に曝されながらも、超音波検査では、全く異常所見を認めなかった。このことは、むしろこれらの人々が、メコン住血吸虫に感染しても、肝線維化・門脈圧亢進症を起こしにくい遺伝的素因を持っていると考える方が自然であろう。
 住民からの聞き取りによれば、従来、メコン住血吸虫症に罹患して、硬い肝臓を触れるようになり腹水を生じて数年たてば、死に至ることが多かったとのことである。超音波所見と年令の相関をみると、集団治療などのコントロールプログラムが始まる前は、この地域では40才代で死を迎えることが多かったのではと推測される。その点でも、現在の状況は隔世の感があり、この対策プログラムが更に継続されることを願ってやまない。
 
今後の展望
 昨年度の調査では、メコン住血吸虫症の超音波所見は、日本住血吸虫症よりも、むしろマンソン住血吸虫症に似ていることがわかった。また、今年度のマンソン・日本住血吸虫症に共通した門脈圧亢進症の超音波所見を利用した調査の結果、メコン住血吸虫症浸淫地においても、超音波検査はmorbidity studyに利用できることが確認された。今後は、主にマンソン住血吸虫症の超音波診断基準を参考にして、メコン住血吸虫症の診断基準を考えていくことになるが、日本住血吸虫症と同様、肝臓の門脈域だけではなく肝実質についても、病変の進行が認められる例もあるので、単純にマンソン住血吸虫症と全く同じ分類法で充分であるとも言えない。他の住血吸虫症の診断基準ともあわせながら、メコン住血吸虫症独自の変化も含めた簡便な超音波診断基準が求められる。
 さらに、最近、メコン住血吸虫症では、従来否定的であった脳症型の例が報告された。フィリピンの日本住血吸虫症浸淫地では、集団治療の進歩によってmorbidityが改善すると、相対的に、肝脾腫住血吸虫症が減少して、脳症型住血吸虫症が増加することが指摘されている。1995年の集団治療の導入以来、カンボジアのメコン住血吸虫症浸淫地のmorbidityは、劇的に改善しているが、脳症型の有無については、再度確認する必要があると思われる。
 また今年度も、超音波検査と併せて免疫血清学的検査も行われたが、一部の地域では、必ずしも血清疫学によるendemicityと超音波検査によるmorbidityが一致しないところもみられた。プラジカンテルによる集団治療の効果は、虫卵陽性率の減少、morbidityの改善、血清検査陽性率の低下という順に現れると考えられるので、今後は、超音波検査と血清検査を組み合わせてメコン住血吸虫症対策の効果を継続的に評価していくことが、必要と思われる。
 
平成15年度(2003年度)寄生虫対策援助(平成15年4月24日〜5月8日)
派遣専門家:松田 肇、大前比呂思、桐木雅史
 
4月24日(木) 成田発 → バンコク着(航空機)
  バンコク発 → プノンペン着(航空機)
  25日(金) カンボジア国立マラリアセンター訪問・調査打ち合わせ
  27日(月) 松田、桐木:プノンペン発 → クラチェ着(船)
  28日(火) クラチェPHO訪問、調査打ち合わせ
  血清疫学調査・糞便検査
  29日(水) 大前:プノンペン発 → クラチェ着(船)
  29〜30日 血清疫学調査・糞便検査・腹部超音波検診
 
5月1〜3日  血清疫学調査・腹部超音波検診
4日(日) 中間宿主貝の採集
5日(月) クラチェ発 → プノンペン着(船)
 カンボジア国立マラリアセンター訪問・結果報告
6日(火) プノンペン発 → バンコク着(航空機)
7日(水) 松田:Mahidol大学訪問
 大前、桐木:バンコク発 → 成田着(航空機)
8日(木) 松田:バンコク発 → 成田着(航空機)
 
平成15年度(2003年度)寄生虫対策援助(平成16年1月11日〜1月28日)
派遣専門家:桐木 雅史
 
1月11日(日) 成田発 → バンコク着(航空機)
  バンコク発 → プノンペン着(航空機)
  12〜26日 カンボジア国立マラリアセンター(CNM)にてELISAを用いた
  住血吸虫症の血清診断法の技術指導。
  27日(火) プノンペン発 → バンコク着(航空機)
  バンコク発 → 成田着(航空機)(28日(水)着)
 

*Alarcon de Noya, et al. Exp., Parasitol., 95, 106-112,2000)







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