日本財団 図書館


遠山の霜月まつり(「山の寺子屋in遠山郷2003」)
1 南信濃村の概要
 
(1)地域の概要
 南信濃村は長野県の南端、赤石山脈、伊那山脈の山峡に位置し、東西27キロメートル、南北19キロメートル、総面積は206.90平方キロメートルで北東は上村、北西は飯田市、泰阜村、そして南東は静岡県に接している。
人口:2243人(930世帯)
 地勢は総体的に西下りとなっており、海抜は350メートル〜3,013メートル(中心部420メートル)、森林面積96.7%、経営耕地面積0.5%の山村で、村境には、東に兎岳(2,818メートル)、聖岳(3,013メートル)、光岳(2,591メートル)、南に熊伏山(1,653メートル)、西に黒石岳(1,376メートル)と、2,000〜3,000メートル級の山々が連なり、これらの山麓が遠山川及びその支流を挟んで複雑に起伏するV字状の谷を形づくっている。
 赤石銘茶の栽培や、アマゴの養殖など地域の特性を活かした産業が盛んで、最近では南和田地区で地鶏の養殖も行っている。また、村営宿泊施設「やまめ荘」や、温泉施設「遠山温泉郷かぐらの湯」などの整備も進み、こうした拠点と南アルプスの山々や渓谷美、清流などの豊かな自然と山国文化、さらには暮らしと産業にも結びついた観光に力を入れている。
(南信濃村ホームページより)
 
(2)南信濃村へのアクセス
 自動車では、中央自動車道飯田ICから約60分。鉄道等の利用では、東京から新幹線で豊橋まで。豊橋駅から飯田方面への特急を利用し、最寄りのJR平岡駅からバスで南信濃村まではトータルで約4時間かかる。
 
2 霜月まつりについて
 
(1)概要
 かつては遠山祭りといったが、旧暦の11月に行ったことから霜月祭りと呼ばれるようになった。冬至近くの旧暦霜月には、山深い谷に差し込む日ざしも短くなり、あらゆる命の力が弱まる季節である。この時期に生命の母たる神々を迎えて、力のよみがえりを願おうという祭りといわれる。
 土地の氏神の杜の土間に火を起こし、大きな釜をかけ、その真上に天井から神々降臨の座を象徴する様々な神飾りの付いた四角い木枠−湯の上、神座(かみくら)を吊り下げ、そこへ神々を呼び寄せ、湯を立てて献じ、うやまい、神聖な湯を浴びることで魂の再生をはかるとともに、万物を鎮めて新たな年を迎える。
 
(2)起源
 遠山の里に古くから伝わる「霜月祭り」は両部神道による湯立て祭りで、清和天皇の貞観年中(859〜876)に、宮中で行われていた祭事を模した湯立がほぼ原型のままで伝承されているといわれている。この祭りが文献に現れたのは、江戸後期の国学者、本居宣長の「玉勝間」であるが、祭事の移入についても、諸説があり、必ずしも明確ではない。霜月祭りは、伊勢神宮の内宮の湯立ての系統を引くもので、おそらく伊勢方面から伝来した神楽に、元和年間にこの地で滅びた遠山土佐守一族の霊を鎮める鎮魂の儀式が後から加えられた、という見方を研究者はしている。いずれにしても遠山の霜月祭りは古い伝統と古式豊かな祭事であり、昭和54年に国の重要無形民俗文化財の指定を受けた。
(南信濃村作成の霜月まつりパンフレットより)
 
(3)祭りが行われる場所
 霜月祭りは、JR飯田線平岡駅より北の遠山地方といわれる一帯。上村、南信濃村に分布する。湯立て神楽は愛知県内等の「花祭り」も含めると三遠南信地方一帯の50か所以上に伝わる。
 
 南信濃村内では、
12月の第一土曜日 上島/白山神社
12月の第一日曜日 小道木/熊野神社
12月8日 中立/稲荷神社 八日市場/日月神社(隔年交互開催)
12月10日 木沢/正八幡神社
12月13日 和田/諏訪神社
12月15日 尾野島/正八幡神社
12月16日 須沢/宇佐八幡神社
12月23日 大町/遠山天満宮
 
 8カ所で行われる。今回見学したのは遠山天満宮のものである。
 
3 遠山天満宮の霜月祭り
 
 遠山天満宮は、南信濃村和田中心部より南に4キロほど下った南和田大町地区の高台にある。
 昭和53年の社殿の修復を機に霜月祭りを復活させた。10年ほど前から、南和田保存会を結成し舞を盛り上げようとしていたが、17戸ほどの小さな集落であり、舞手が足りないため、南和田地区の子どもたちを中心に参加を呼びかけ後継者育成を図りながら保存に努めている。
 以前は12月17日が祭礼日であったが、地区内の全員が参加できるように祝日の12月23日に変更した。また、他の地区の霜月祭りと異なる点は、一般の参拝者も一緒になって面を付けて舞うことができる参加型となっていることである。
 
主な祭りの次第は次のとおり(遠山天満宮)
 
(1)式典 11:30頃
 
(2)湯の式 13:00頃
 注連飾りと釜の水を清め、次に式の開始を宣言し、神様が黄金の戸を開いて出現されたことを宣べ、神様がお出になる道を清め飾り立てた時、神様が今こそお出でになったと次々に神楽歌を宣べていく。
 
(3)ふみならしの舞(扇剣の舞・舞手4名)
 この舞は1年ぶりにお迎えする神様の安全のために、お宮の根太は腐ってないか等をあらかじめ確かめるため踏み固めておく意味の舞である。
 
(4)湯開き
 かまどの五方(東西南北・中央)を清めてから湯蓋を取り除く儀式とされている。
 
(5)一の湯(姫舞・舞手12名)[参拝者参加可能]
 神様を湯の上にお迎えしてまず第1回目のお湯をご馳走する式の舞である。
 
(6)下堂払い(扇剣の舞・舞手4名)
 この舞では神楽でお迎えした神様にくっついてやって来た悪い神様を追い払う意味の舞である。
 
(7)二の湯(姫舞・舞手6名)
 神様に2回目のお湯をご馳走する式の舞である。一の湯の時は、舞手は12名であったがこの舞は6名で行う。即ち天上、神別、村別(4名)である。
 
(8)保存会学童の舞(扇剣の舞・小中高生)
 将来の後継者である子どもたちが一年間の練習の成果を神殿で披露する扇剣の舞である。
 
(9)鎮めの舞(姫舞・舞手12名)[参拝者参加可能]
 この舞は特に念を入れて神様に最後のお湯をご馳走する式の舞である。また神様の名を唱える人の体に神様が宿ると伝えられている。
 
(10)やおとめ
 拝殿3人の水干の舞人(禰宜)が立って中折紙を二つ折にし、中央をもって左右に揺らしながら禰宜の歌に合わせる。
 
(11)面(面おろし)[参拝者参加可能] 20:00頃
 いよいよ神様が我々の前にお姿を現すのである。面を付けた41の神様が神殿より舞出てくる。
 面の順序は、村人の生活を守ってくれるという水の王、火の王、天満様(遠山天満宮では天満宮の神様である天満様がここに入る)続いて、諏訪様、八幡様以下30数面が次々に姿を現す。
 なお、水の王が煮えたぎった釜の湯を素手で四方に振り掛けるのであるが、このお湯にかかると御利益があると伝えられている。
・神太夫(猿田彦命)、姥(金田目女神)
 俗に「しょんべんじいさ」と「しょんべんばあさ」。伊勢参りの道中での問答が繰り広げられる。
・猿楽(猿舞)
 面の最後は猿楽である。猿面を付けた舞人は頭に灰色の毛の被り、体には筒袖に奴袴、左手に扇、右手に幣を持って神殿より舞い出る。これは、中世に栄えた民衆演芸のひとつであり、これのみが神ではないと考えられ、神太夫・姥の道中問答と共に祭りを盛り上げるための余興の舞ではないかとされている。
 
(12)神送り
 今日の祭りにおいでた神様にお帰り頂くための儀式とされている。
「今日の良き日、聞いて頂きたい、神様には元いた所へお戻り頂きたい、若しあくまで残るなら縄で絡めとり鋭い刀で追い払う、神よ行け」
と、申し上げる。
 
(13)かす舞
 神様を送り出した後もまだ残っている神様に、もうご馳走はカス(大根の角切、おから)しかないと知らせるための舞とされている。
 
(14)ひいな降し
 神送り、かす舞の後でも、まだ、ひいな(湯の上の湯飾り)に残っている神様を追い出すために神様のいるところを取り払ってしまうという式の舞である。
 
(15)金剣の舞
 この舞は、まだまだひいなに残っている悪い神様を切り捨てるための舞とされている。この切り払われたひいな(湯飾り)は厄除けとされ、持ち帰って神棚におく。
 
(16)釜返し
 禰宜が氏子総代の広げた肩の上に釜の湯を渡して一切の式が終了となる。
 
(17)直会 参拝者参加可能 24:00頃終了







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION