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Bundesministerium der Finanzen
 
[財政計画会議(2002.6.12)]
 
Herausgeber: Bundesministerium der Finanzen
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Presse mitteilung
Nr. 90/02 vom 12. Juni 2002
 
96. Sitzung des Finanzplanungsra-tes am 12. Juni 2002 in Berlin
 Der Finanzplanungsrat trat am 12. Juni 2002 unter Vorsitz des Bundesministers der Finanzen Hans Eichel und unter Teilnahme des Mitglieds des Vorstands der Deutschen Bundesbank Prof. Dr. Hermann Remsperger zu seiner 96. Sitzung zusammen.
 
 Der Finanzplanungsrat erörterte vor dem Hintergrund der gesamtwirtschaftlichen Entwicklung den Haushalts-abschluss 2001, die Haushaltsentwicklung 2002 sowie die Gestaltung der Haushalte 2003 und der Finanzpläne bis 2006. Des Weiteren wurden die Berichte zum Fort-schritt der Haushaltssanierung in der Freien Hansestadt Bremen und dem Saarland für das Jahr 2001 beraten.
 
 Es konnte keine einheitliche Position zwischen Bund und Ländern festgestellt werden. Das Bundesfinanz-ministerium erklärt hierzu:
 
 Die deutsche Wirtschaft hat nach den jüngst vorgeleg-ten Zahlen die Talsohle durchschritten und steht am Beginn eines Aufschwungs. Im 1. Quartal 2002 hat sich die konjunkturelle Entwicklung belebt. Das Brutto-inlandsprodukt nahm im ersten Vierteljahr kalender-, saison- und preisbereinigt gegenüber dem Vorquartal um 0.2% zu, nachdem die wirtschaftlichen Aktivitäten 0.5 % pro Jahr vermindern wird und die Länder und Gemeinden ihren jährlichen Ausgabenzuwachs im glei-chen Zeitraum auf jeweils 1% im Jahresdurchschnitt begrenzen werden. Hierzu bedarf es erheblicher An-strengungen auch im Zusammenhang mit der Haus-haltsaufstellung für das Jahr 2004. Das Ergebnis der Steuerschätzung vom 16. Mai, das für Bund, Länder und insbesondere Gemeinden hohe Steuerausfälle bedeutet, unterstreicht die Notwendigkeit dieser Ausgaben-begrenzung.
 
 Am Ende des Finanzplanungszeitraumes im Jahr 2006 ist mit einem Finanzierungssaldo des Öffentlichen Ge-samthaushaltes von rd. -5,5 Mrd. EUR zu rechnen, der Staatssektor der VGR wird dann ein ausgeglichenes Er-gebnis autweisen.
 
早稲田大学 工藤裕子
はじめに―EU経済統合とイタリアの行政改革
 イタリアの財政連邦主義は、ヨーロッパ統合の過程に大きく影響されてきた。財政連邦主義のみならず、その基礎を形成する行政改革、特に行政手続きの簡素化と分権化は、EUの政治的、経済的統合のために推進された政策であったといっても過言ではない。
 2002年1月1日、ヨーロッパの長年にわたる夢が実現した。1950年のシューマン・プランに基づいて欧州石炭鉄鋼共同体が成立してから半世紀を経て、共同市場を支える共通通貨EUROが実際に流通し始めた。域内諸国、特にEUROを2002年1月に導入した12ヶ国は、この日を迎えるため、マーストリヒト条約および関連の諸規定によって定められた経済指標に基づき、96年以来、行財政の構造改革を急いできた。
 EUは、93年に域内における人的な移動が大幅に自由化され、政治的統合への第一歩を踏み出した。99年1月にはEUROが導入され、経済的統合も始まった。2001年1月のEUROの流通、そして今後、予定されている税制の調整などを通じて、その完成度が高まることは確実である。90年代来、ヨーロッパ統合に関して設定されてきた、これらの重要な日付は、戦後一貫して続けられてきたヨーロッパの政治的、経済的な統合への努力の成果である。同時にヨーロッパのこの歴史的な実験は、各国においてそれぞれの政治、行財政を再考する機会ともなっている。EU委員会をはじめとする、いわゆる「ブリュッセル政府」のもとに組織されてきた国家を越えた国際行政機関、制度が各国の行政を規定し、公共政策の政策形成、執行の主体としての個々の国家の地位は相対的に変化してきた。
 EU諸国は主要な政治アジェンダを共有するようになり、80年代後半から90年代にかけて多くのヨーロッパ諸国が行財政改革を進めた。もちろん、経済の停滞、財政赤字や債務残高の拡大、また公共サービスに対するニーズの変化や増大などが、行財政改革のより直接的な要因であったが、それらの課題への対応、解決が共通のアジェンダとして設定されていたため、これまでは見られなかったスピードと規模で改革が進められることになった。特に財政赤字、債務残高、インフレ率、長期金利などに関しては、EUROに参加するための基準が定められていたことから、これが具体的な目標値となった。
 イタリアの場合、EU統合は、公私両セクターの組織、パフォーマンスにさまざまな影響を与えてきた。統合ヨーロッパの政治・経済システムに参加するための必要条件とされた行財政システムの透明性の保障は、さまざまな方法によって実現されつつある。行政システムの透明化については、行政権限の分権化とそれによるアカウンタビリティの向上が進められた、一方、財政のシステムについては、いわゆる財政連邦主義(federalismo fiscale)を実現するために財政の分権化が求められており、それによって行政機能の分権化を補完することが期待されている。また、この財政改革の背景には、EURO参加の必要条件の一つとして、財政赤字を対GDP比3%以内にという、マーストリヒト条約による基準があった。このため、イタリアにとってその財政構造の再建は急務となった。
 EU諸国の行政改革を支える理論、手法のほとんどは、governmentからgovernanceへ、という潮流に沿っている。つまり、どちらかというと画一的な行政制度や行政組織形態の改革が中心であったこれまでのガバメント改革から、国、社会、組織文化などに起因する制度や組織の差異や複雑さを認め、多様で自律的な個々の組織により、そのパートナーとの関係の再編を含めて実施される固有の政策、経営の改革を強調するガバナンス改革への変遷が認められる。また、ガバナンス改革の浸透によって、行政内部の経営、マネジメントと同時に、市民社会を含む外部への説明、いわゆる説明責任を果たすことが重要視されるようになってきた。
 
第1章 イタリアにおける行政改革の経緯
 96年におけるイタリアの財政赤字は、対国内総生産比7.1%であった。90年代前半に比べれば、アマート(G.Amato)改革、チャンピ(C.A.Ciampi)改革の成果もあり、財政赤字はかなり減少しているものの、マーストリヒト条約が定めたEURO参加基準はこれを3%としていたため、当時、イタリアがEUROに当初から参加することはほぼ不可能ではないかと考えられていた。また、それまでの高い長期金利のために94年に124.9%という最悪を記録した債務残高は96年、少々下がったとはいえ122.2%であった。
 ヨーロッパ統合市場におけるイタリアの将来のあり方が問われた1996年4月の選挙は、財政改革を最大の争点にして闘われた。チャンピ改革の後、それまでの緊縮財政路線を捨て緩やかな経済財政計画を実施した中道右派のベルルスコーニ(S.Berlusconi)氏はアンチ・ヨーロッパ派とみなされて敗れ、中道左派の「オリーブの木(I'Ulivo)」連合が選挙に勝ち、これを率いたボローニャ大学の経済学者プローディ(R.Prodi)教授を首相とする内閣が誕生した。後に史上第2位の長寿政権となるこのプローディ政権の財政改革は、財政赤字の減少と安定、インフレ率の下降と安定を実現して、当初の目的を果たしたのみならず、財政連邦主義の思想に基づき、外形標準課税である州生産活動税(IRAP, Imposta Regionale sulle Attivit Produttive)の導入に代表される、租税制度の合理化と分権化に向けた改革に先鞭をつけた。
 プローディ政権、ダレーマ(M.D'Alema)政権において財務相を務め、アマート政権では国庫相に抜擢された財政学者ヴィスコ(V.Visco)教授を中心に進められた財政改革は、財政赤字の縮小という課題に取り組むのみならず、財政連邦主義を実現するために進められた。租税制度改革の他、財政構造の健全化と分権化がめざされたが、これは、96年来3期にわたって公共機能大臣を務めた行政法学者バッサニーニ(F.Bassanini)教授らによって進められてきた行政改革、地方分権政策によって実現した公共機能の分権化を、地方自治体の自主財源の強化によって財政面から補完するものである。
 財政改革の背景には、分権化の要請とともに、租税システムの改編、特にその単純化、簡素化という強い要請があった。州生産活動税IRAPの導入には、財政の連邦化(分権化)の促進と同時に、複雑で数多い税目を統廃合し合理化する必要性、国際競争力を持ち得るよう、企業の自己資本率を高める要請、そして全国保健基金、および州ごとに徴収されるにもかかわらず中央主権的に運営されていた保健分担金によって営まれていた保健医療行政の分権化、自己完結化という目的がある。この中で、保健医療行政の実際の単位である州の自主財源の強化が要請されるが、2001年の憲法改正による州の強化を通じ、将来的には、他の行政機能の州への委譲、バッサニーニ法に保障される行政の情報化を通じて、より合理的に徴税、財政調整が実施されることが期待されている。現ベルルスコーニ政権になってから、トレモンティ(G.Tremonti)経済財政相らによってIRAPの縮小が掲げられたが、これが政治プロパガンダにすぎないことは、IRAPに替わってそれにみあう税収をもたらす方法について、経済財政計画においてさえ一切記載がないことからも明らかである。現在、IRAPについては、人件費の控除を導入すること、また2004年1月からIRPEG(法人所得税)に替わって導入されたIRES(企業所得税)との関係でDITが廃止されたこと、またキャピタルゲインに対する課税方法が変わることから、これら一連の改革の中で整合性を取り、企業の生産活動に支障を来たさないようにする方向で検討されている。
 EU統合はまた、市場の統合、グローバル化を通じ、サービス、価格などに関する競争を、公私の両セクターを問わず厳しくした。提供されるサービスは、それが公的セクター、私的セクターのいずれによるかにかかわらず、すべて市場における競争に晒されることになり、顧客志向、および個々の企業、組織の経営の合理化は、公私を問わず重要な課題となった。これまでサービスの質、およびコスト・パフォーマンスをあまり重視しなかった行政が、民営化、あるいは機能の一部を私的セクターに委ねることなどを考慮するようになった。結果的に、市民をサービスのクライエントと捉え、その満足度の向上とコスト・パフォーマンスの追求の中でよりよいサービスの提供をはかる、顧客志向の行政という発想が台頭した。また、このため、地方自治体、特にサービスの単位である州が、それぞれのニーズに基づいた計画を作成し、それにしたがって政策を実施することが求められるようになった。この計画の策定は実際、IRAPの導入に際して各州に要請された。
 以上のように、EU統合はイタリアの行財政に対し、財政赤字の削減、システムの透明性、市場志向、合理性、効率性、そしてクライエント志向の行政サービスなどを要請し、公私両セクターの組織、パフォーマンスにさまざまな影響を与えた。行財政システムの透明性は、行政の分権化とそれによるアカウンタビリティの向上、『財政連邦主義』に基づく財政の分権化とそれによる行政の地方分権化の補完によって保障されつつある。
 ここで、イタリアの行財政改革の根幹をなす地方分権化について、法の変遷、現行の制度および政策について概観する。







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