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日本とアメリカ、女性の地位が高いのは?
 ベティ・フリーダンという、ウーマンリブの元祖の女性がいますが、彼女が日本へ来たときパーティーで立ち話になりました。
 私は、女性の地位が低いのはアメリカだ、日本は高い。少なくとも地位が高いか低いかなどは一概には言えないことで、そう決め込んでそういう材料を集めれば、どちらの国でもたくさん出てくるはずだと思っておりました。
 そこで彼女に「日本の女性の地位は低いとさかんにおっしゃいますが、どこが低いのですか?」と質問しました。すると「日本では、女性の社長、女性の国会議員、女性の大学教授などが極めて少ない」という返事です。それを言われると、大抵の日本のインテリは「なるほど」と思ってしまいます。特に女性でかつインテリの人は大賛成でしょう。
 そこで私は「あなたが今言っているのは、ソーシャル・ステータス(社会的地位)ですね。社会における地位を男性が占めていて、女性の数が少ないことは認めるが、それがどうして、女性の地位が低いという証拠になるのですか。日本女性のパワーはすごいですよ。家庭内は完全に支配しているから、社会活動などはやる気がないんです。そんな面倒なことは男にやらせておく(笑)。女性がそう選択をしているならいいじゃありませんか。そういう考えからの検討は加えないのですか?」と尋ねました。そういう検討を踏まえた上での結論だと言ってくれれば学者と認めます。けれども、いきなり日本は何でも遅れているに決まっていると思い込んで、それを社会的地位だけで数えているのは間違いです。
 「家庭内のパワーとは、それは何か」と彼女が訊くので「日本の女性の約七五%は、その家庭の全収入を管理していますよ」と答えると、彼女は「信じられない」と驚いてしまいました。「不動産管理は違うだろう?」と訊くので、「不動産こそ女性が決めます。こんなマンションは気に入らないとか、このマンションを買いましょうとか、その発言権は絶大です。男性は言いなりです」と答えると、さらにびっくり仰天していました。というのは、アメリカではそれこそ絶対男性の仕事だからです。
 「それから子供の教育権、どこの学校へ行かせるかを奥様が決めている。次の自動車は何を買おうか、車種決定権も女性が持っています」と教えました。アメリカの女性が自分で自動車を買うようになるより、日本は一〇年早く女性が自分で自分の自動車を買うようになったから、日本の自動車は女性向けの自動車になっています。アメリカには女性用の自動車がありません(当時)。日本人からこう理詰めで反論されるとはまったく予想してなかったのでしょう、たいへん驚いていました。
 これでフリーダンさんは調査もせず、思慮もつくさず、思い込みで日本の女性の地位は低いと主張していることがわかりました。彼女を持ち上げた当時の新聞や識者に聞きたいです。“本人に質問してみたのか”と。
 ここで再び言いたいことは、精神が独立するほうが先だということです。知識や情報はその次です。私が話したことは、日本人なら誰でも知っていることです。しかし、精神が独立していないと思いつきません。相手がアメリカ人ならすぐ迎合してしまいます。それから、思いついても「まあやめておけ」となってしまいます。アメリカ人と女性には逆らうな、というわけです。男の地位は低いですね。
 私がフリーダンさんに期待していた返事は「男は外、女は内」と社会的分業が成立しているのが良くないという返事でしたが、それは言いませんでした。言ってくれれば次の話があったのに残念です。私の妹二人は即座にそう言ったのですが、フリーダンさんはまたやられると思ったかどうか黙ってしまいました。
 
独立精神は下から芽生える
 精神の独立を奪うもう一つの例を言えば、スペインのフィリピン支配です。スペイン人もマゼランが長い航海のあと、ミンダナオ島にたどりつくと、白人の常套手段で略奪をします。すると現地の住民が怒って、戦争をしかけます。しかし弓矢や槍と、鉄砲との戦いですから、スペインが勝ってしまう。
 勝ってからやり出すことは、まず「ここはスペイン国の領土である」と宣言します。軍事的に制圧したら、次はすぐに政治的に制圧する。その次に十字架を持ち出して、「これは我々の神である。おまえたちの神はくだらない神である。その証拠に負けたではないか」と、キリスト教の信者になれと言います。
 つまり軍事帝国主義と思想帝国主義はセットであって、思想の最初はキリスト教だったのです。その後、宗教に代わる“新製品”が出て、アメリカ製は自由主義と民主主義と人権です。最近はグローバル・スタンダードですが、とにかくそういう思想を持ち出し、相手を洗脳して、「私が悪うございました」とトルコの女性のようにしてしまうのです。
 やがて時間が経つと、スペイン留学帰りの人がフィリピン国内で威張るようになります。社会的地位が高い人たちがそうなってしまうので、明治、大正、昭和とフィリピンの国会はスペイン語で議論をしていました。
 のちにアメリカが支配する時代になると、男はアメリカへ留学、女はスペイン留学です。そこで国会も昭和になってからはだんだん英語化します。外国から帰ってくると上流階級で、日本とは格段に貧富の差が有ります。上流階級はアメリカ、スペインにかぶれた人ばかりです。
 さて、ここで面白い教訓は、独立精神は一番下の民衆には残っている、ということです。上のほうはすぐかぶれます。かぶれることが、みずからの利益だからです。虎の威を借りて大衆を支配します。
 しかし下のほうは、土着精神、独立精神に溢れておりまして、あのぐらい殺されても殺されても抵抗した民族は少ないのです。スペインもアメリカも、フィリピンでは殺して殺して殺しまくりました。それでも抵抗したという立派な歴史の一面を持っています。
 こんなエピソードを続けて紹介しているのは、独立精神がなくなった人に気がついてもらいたいわけです。外からの圧力がかかってくると、突然、独立精神が芽生えて、花が咲きます。そしてそれは、まずは一番下の民衆から出てくるのです。それから本当に国際活動をしたトップの人からも出てきます。これは自分の立場や収入にとってはマイナスですが、それでも言うのですから大変偉い人です。留学して本国人に負けない知性の持ち主になった人は、それでも差別されるのに反発して独立運動の志士になります。
 ダメなのは「中途半端に上」と「真ん中」です。かぶれてしまって、ヨーロッパ礼賛、アメリカ礼賛で、自国民を洗脳するお手伝いをいたします。







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