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■古代の人びとの文化的解釈■
 中国の各民族の太鼓は、種類が多い。それらのあるものは、機能によって命名され、漢族の戦鼓・堂鼓・書鼓・更鼓や、チベット族の神鼓などがそれであり、いずれも軍事や庁堂〈とくに官府の政事堂を指す〉、説書(音曲を伴う講談)の上演、時刻を告げる、神祭りなどに用いるところからその名がある。さらに太鼓の多くは形と構造にかかわり、漢族の鼓(へんこ)(ひらたい太鼓)・花盆鼓、満族の八角鼓・単鼓、朝鮮族や瑶(ヤオ)族の長鼓、壮(チワン)族の蜂鼓(図(9))、(タイ)族などの象脚鼓、基諾(チノー)族の太陽鼓などがある。またあるものは打ち方にかかわり、漢族の腰鼓・胸鼓・三棒鼓・撥浪鼓(フアーランクー)(でんでん太鼓の類)や、ウイグル族の手鼓〈ウイグル族の間ではダープ(タンバリンの類)という〉、朝鮮族の手鼓などがある。
 ドイツの音楽家フォポステルとサックスは、全世界の楽器に比較的系統的な分類枠組を設けている。そのうち「膜鳴鼓」はさらに三つに分類され、たたいて鳴らすもの、はじいて鳴らすもの、摩擦で鳴らすものに分けている。しかし今日まで、中国には第一類しかみられず、他の二類はない。しかもたたいて鳴らす膜鳴鼓の多くは、直接打ち鳴らす類に属し、わずかに間接的に打ち鳴らすものがあって、いわゆる揺奏鼓がこれで、古代には鼓(とうこ)(振り鼓)と称し、今日俗に「撥浪鼓」という。直接打ち鳴らす太鼓のうち、フォポステルとサックスの分類体系を参考とし、同時に中国の民族の習慣を考慮して、現代の中国の太鼓を分けると、鍋状の太鼓の斜腰鼓、管状の太鼓の直腰鼓、桶形の太鼓の粗腰鼓、双円錐形の太鼓の高斜腰鼓、框形の太鼓の無腰鼓、砂時計形の太鼓の細腰鼓の六種類である。そして以上の種類のうち、さらに長・短の粗腰鼓、単・双面の直腰鼓と細腰鼓の三種がもっとも一般的で前者は主に漢族地区でみられる堂鼓・戦鼓であり、後二者は少数民族地区で多くみられ、基諾族の「塞土(サイトウー)」や、朝鮮族・瑶族の「長鼓」、蒙古族の「ダーマールー」などである。
 
図(9)蜂鼓
 
図(10)北京の智化寺の鼓楼
 
図(11)a チベットに伝わる仏教の「神鼓」
 
図(11)b ラマ教寺院の「ダーマールー」
 
 後漢末の応劭(おうしょう)は『風俗通義』のなかで、「鼓は郭(おおい)(物の外周、皮)なり、春分の音なり、万物皆皮甲を郭て出ずる。故にこれを鼓と謂う(いう)」とある。『易経』「繋辞上」に「之れを鼓するに雷霆(らいてい)(雷のとどろき)を以てし」とある。これは古代の人びとが太鼓についてなした最古の文化的解釈である。それはむらむらと湧き起こる生気を象徴し、かつ自然界の雷鳴に対する人の返答を代表し、ついには「天人合一」の哲学的理想を体現してもいる。それゆえ、古代から今日まで、歴史的な祝典のみならず、普通の祝日にも、中国の人びとは、「銅鑼・太鼓を打ち鳴らす」という、もっとも便利かつ効果的なこの方法を選んで、自らの歓びの情を表わした。こうして豊かな民族的特徴をもった行動様式の一つとなった。もちろん、太鼓の社会文化的機能はこれにとどまらない。
 政治上では、前に述べたように、歴代の朝廷は、楽隊の四方の建鼓に立つ、ということがほとんど封建権力の象徴のようになっていた。しかも、鼓人や鼓史を定めて、太鼓に関する事務に責を負わすことは周代に始まる。したがって「鐘鼓は秦宮に満つ」とは、おそらく実際の記録であろう。また一方では、伝えによるとすでに尭帝の時代に、「敢諫(かんかん)の鼓」があり、太鼓を用いて人民が帝王の言行を監督することがあった。いわゆる「寡人(王侯)を教うるに以て道く(みちびく)者は、鼓を撃つなり」〈唐の白居易編『白氏六帖事類集』「鼓」〉とある。この方法の影響は大きかった。秦以降の各朝廷では、中央から地方に至るまで、官府の役所の門前に大きな太鼓が置かれ、人民は不当な扱いや不満があれば太鼓を打って、役人がその意見を上に取り次いだ。宋代には専門の官署も設けられ、「鼓司」「登聞鼓院」(略して鼓院といった〉といい、太鼓の地位の高いことがうかがい知れる。しかし、古来はたしてどれほどの人があえて天子を諫めたであろうか。けっして多くはなかったであろう。太鼓はそのなかにあって、象徴的機能しかはたしていなかったのである。







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