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■八面、六面、四面の太鼓■
 夏・商・周三代の王朝以降、太鼓の種類は次第に増え、用途もより広くなった。『礼記』「明堂位」に、「夏后(かこう)氏の鼓足(こそく)(太鼓に足のあるもの)、殷の楹鼓(えいこ)(胴の中央に柱を貫き立てた太鼓)、周の懸鼓」とある。置いた状態から、「三代」のもっとも代表的な太鼓を三つに分けている。
 「鼓足」は太鼓が有脚の骨組み〈ないし床〉に固定されているものである(図(3))。「楹鼓」はすなわち「建鼓(けんこ)」で、座つきの長い柱を胴に貫き通して立てた太鼓で、先秦代から歴代の宮廷の楽隊では、これを太鼓の象徴とした(図(4)a・b・c)。「懸鼓」は太鼓を木の梁ないし枠に掛けたものである(図(5))。『周礼』「地官、鼓人」に、「鼓人は六鼓、四金の音声を教えることを掌る。以て声楽を節し、以て軍旅(部隊)を和し、以て田役(でんえき)(狩や役務)を正す。教えるに鼓を以てし、而して(しこうして)その声の用を辨える(わきまえる)」とある。「六鼓」とは、雷鼓・霊鼓・路鼓・鼓(ふんこ)(軍中で用いた太鼓)・鼓(こうこ)(人民を力役につかせるときに用いた太鼓)・晋鼓であり、その区分は、使用上の機能的な意味もあれば、数量的な違いもあった。
 たとえば、「雷鼓を以て神祀に鼓つ(うつ)」とある雷鼓は、天神を祭る太鼓であり、「霊鼓を以て社祭に鼓つ」とある霊鼓は、先祖祭の太鼓であり、「晋鼓を以て軍事に鼓つ」とある晋鼓は、征戦の太鼓である。しかし雷鼓や霊鼓、路鼓にはどんな違いがあるのだろうか。後漢末の学者鄭玄(じょうげん)(一二七〜二〇〇)の解釈によると、雷鼓は八面の太鼓であり、霊鼓は六面の太鼓であり、路鼓は四面の太鼓である。だが、「八面」「六面」とは、四本あるいは三本の支えのある両面太鼓であるのか、それをも八本あるいは六本の支えのある単面太鼓であるのか。知るよしがない。北宋の陳暘(ちんよう)の『楽書』に雷鼓の線描画(図(6))があり、参考となる。
 漢・唐の代に、中国は対外交流を拡大し、域外の楽器がつぎつぎと入ってきた。ことに唐代には、太鼓だけでも羯鼓(かっこ)(五胡のうち羯族が用いた両面打ちの太鼓)、毛員鼓、都懸鼓、鶏婁(けいろう)鼓、答(とうろう)鼓(図(7)a・b)などがあり、さらに宮廷、民間、寺廟などの生活に用いられた本土の太鼓を加えれば、数十種類を下らない。同時に、太鼓の社会生活における役割も顕著となった。資料によると、唐の長安城内には八百基の太鼓が配置され、時刻や警戒を告げたという。毎日の朝夕、八百基の太鼓が一斉に打ち鳴らされ、街中に響きわたるさまはさぞかしであったろう(図(8)a)。日常生活のリズムを規制しつつ、平和に栄える王朝の威厳をひきたててもいた。
 
図(3)湖北省重陽の木の胴に似せた「銅鼓」
 
図(4)a 
湖北省随県の曽候乙墓出土の「建鼓」
 
図(4)b 漢の画像石の「建鼓を打つ図」
 
図(4)c 清の宮廷の建鼓
 
図(5)
湖北省江陵の楚墓出土の懸鼓の
一種「虎座鳥架鼓」







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