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V-ii 百貨店のような劇場
 
(27)絵本筋書に掲載された中央亭の広告
(山口昌男蔵)
 
 「帝国劇場案内」を見て驚かされることの一つに、食堂・喫茶室・売店におけるサービスのバラエティさがある。洋食から蕎麦・鮨・弁当、アイスクリームから汁粉・菓子、茶・一般飲料から酒類、小間物化粧品から煙草・おもちゃ・絵はがきまで、ありとあらゆる品が扱われている。まるで百貨店のように各種の店が競うように店を並べているのである。これらを巡るだけでも観客は他の劇場にはない楽しみを満喫できたに違いない。喫煙場所もロビーとは区別して室として設けられていた。制服に身を整えた男女の接客係に案内される観客はまるで高級ホテル気分を味わったに違いない。
 特等、一、二等席については、観劇の一〇日前から座席番号入りの切符を発売し、電話ないし書面で申し込んだ人に対しては、東京市内であれば制服を着たメッセンジャーボーイが無料配達するというのも、三越の配達自転車(一九〇三年)に通じるサービスである。鉄道による観客の拡大を狙って、新聞広告を打ったり横浜にも切符売場を設け、積極的に宣伝・切符販売を行っていくという考え方もサービス業に習ったものだった。座席番号を教えてくれれば、急用が生じた場合でも電話を取り次いでくれるというもの重宝されたに違いない。
 昼間のマチネは、買い物ついでの家庭婦人やこどもに倍増する楽しみの機会を与えてくれたことだろう。劇場を成人男子だけのものとせず、家族みんなが団欒できる新しい娯楽の場とするために、三席用から最大九席用まで五種一六のボックス席を用意したことも意味がある。これとは別に二階の最も舞台に近いところにコリント風のオーダーで飾られた貴賓席も持っていた。つまり、外国貴賓を招いて国の体面を作るという使命を有していたが、一方では家族と連れだって観劇や社交を行う欧米文化の生活様式を取り入れ、そこに新時代の家族像を重ね合わせていたという思いが感じられる。
 こうした理想的ともいえる家族像や生活様式をイメージさせた客席やロビー・食堂などにおけるサービスの豊富さは、それまでの劇場とは比較にならない圧倒的な影響力を持って迎えられ、観劇様式を変貌させる契機となったのである。
 
V-iii 創造者たる劇場
 サービス面だけでなく、創造的な意欲を全面的に打ち出していたことも重要である。歌舞伎を核としながらも、世界と互して舞台文化を創り出すために、伝統に捕らわれない演劇、音楽に力を入れたばかりでなく、オペラにも果敢に挑んだことは良く知られたところだ。
 まず一九〇八年九月、外遊帰りの川上貞奴を長として帝国女優養成所を設立、翌年にはそれを帝国劇場構内に移し、附属技芸学校として引き継ぎ、早くも開場半年前には第一期卒業生一一名を送り出している。それは女性だけの舞台を作ろうということでなく、男女の俳優がそれぞれの役を自然に演じるということを目的に設立されたもので、歌舞音曲から英語、作法まで広く学ぶ授業内容によって「新時代の女優」育成を目指した。後に、宝塚少女歌劇の発想を小林一三に刺激させる存在だった。附属洋楽部も、それと時期をほぼ同じくしてヨーロッパ人指導の元に一五名で発足している。それは管弦楽部と改称され、オペラが解散になっても続き、関東大震災まで健在であった。
 こうして開場以前から準備を行う姿勢は、上演組織だけでなく新しい脚本をも求めた。開場に当たって劇場主催の懸賞募集を掛け、それをオープン公演最初の演目とした。翻訳劇にも積極的だったし、新しい人材育成にも意を注いでいた。文芸協会・芸術座・自由劇場などと歩契約もしくは貸し劇場として新劇を上演していた。こうした一連の劇場活動に、劇場は娯楽であると同時に創造の場でもあるという自負と意気込みが染み出ている。今日の多目的ホールとは雲泥の差を感じさせる。
 新天地を切り開いて行く精神は、舞台美術の分野にも刺激を与え、背景部に洋画家を採用したことは画期的であった。それまでは公演がなく舞台が空いている時に製作していたのを、帝国劇場ではわざわざ独立した製作場を設けた。しかも、欧米に倣って背景画室を大道具室と別に計画している。絵具は在来の泥絵具だったが、背景画を今までのように土間に寝かせて描くというのでなく、立て掛けて描くという手法が採られるようになった。洋画家の採用は、その後我が国の舞台美術を大きく前進させることに繋がって行く。
 こうした改良運動などを経て、新派・新國劇などが生まれただけでなく、舞台を幅広い芸術・娯楽の場に発展させる契機となった。やがて新劇と呼ばれる演劇が開花したし、そればかりでなく大衆演劇・演芸・レヴューなど、従来にない分野の催しが盛んになり、劇場文化躍進の原動力となった。
 
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帝劇舞台正面。オーケストラボックスが備っている
(江戸東京博物館蔵)







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