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IV プロセニアム劇場の誕生
IV-i 歌舞伎劇場とプロセニアム劇場
 平面図では歌舞伎座の舞台が圧倒的に広い。それに比べたら、帝国劇場の舞台の大きさは、面積にして約六五パーセントで、廻り舞台寸法も歌舞伎座の外九間・内七間の蛇の目廻しに対して、帝国劇場は八間と小振りだ。歌舞伎座の格段の広さは、雑然となりがちな舞台で能率よい公演や作業を保証するものだったことは間違いない。しかし、そこには大道具や小道具・各種の備品類が置かれ、時にそれらを製作する作業場ともなる。融通性があるともいえるが、道具類が舞台と同一空間内に置かれることの問題を欧米の火災で知った横河は、舞台として実際に使える領域を狭めてでも安全を確保する方を選んだ。基本設計段階の図面には、そうした区画されていない計画案が描かれている。
 
(20)帝国劇場舞台正面
(高畠華宵大正ロマン館蔵)
 
 一方、圧倒的に帝国劇場が勝っているのは、舞台床からすのこまでの高さである。帝国劇場においては、舞台間口高さ約二四尺(7.3m)に対してすのこまでの高さが九間余/五五尺(16.7m)と開口高さの約二・三倍を確保している。一方、歌舞伎座は舞台開口高さよりも僅かに高いだけで、およそフライタワーという概念がない。洋風のファサードや客席内のシャンデリアは、劇場機能とは無縁の表現だったという訳である。
 では、帝国劇場の舞台は狭かったのか?舞台開口の寸法や奥行きなどを現代の計画的な目で評価すると、これが実に基本に忠実な舞台であることに気付く。まず、プロセニアムの間口幅がいい。現在の同規模多目的ホールでは、オーケストラコンサートを考えてさらに広く高い間口として、舞台側で開口を調節するように考えることが多い。しかし、演劇では七間程度が多いことからいって、高さを含め一つの目安になるプロポーションである。これに袖幕を入れて通路スペースをとると、ぴったりこの舞台が出来上がる。高さも間口 + α の幕をそのまま吊り込める寸法で、基本通りの計画といえる。
 
IV-ii 舞台技術発展の足掛かり
 舞台上部に高い空間を持つことは、新技術の導入なくしては達成できないものだった。すなわち、行程一五メートル以上の吊物機構、遠くからでも照明を確保できるスポットライトと調光制御の機械が必要だった。三階席を持った歌舞伎座でさえ舞台から水引までの高さが一七尺(5.15m)でしかなく、それ以上の高性能の吊物や照明は未経験の領域だった。そのため、当時ヨーロッパでも最新鋭の技術をドイツから輸入している。隣接する吊物同士がぶつからない安定して昇降するゲーバー社製の吊物機構、AEG社製の舞台照明配電盤や照明器具、ジーメンス社製の調光器など海外製品が多数設備されていた。廻り舞台も人力に頼らずに速度調節ができる一二馬力の電動式としたり、最新式の宙乗り用設備を備えるなど、我が国にない新技術を積極的に導入している。
 
(21)歌舞伎座一階平面図と縦断面図
 
(22)帝劇縦断面図・正面(左)屋上に翁像が立つ
 
 公演用のこうした電源は全て蓄電池方式で行っていた。当時、丸の内一帯は直流による配電で、昼間の内に蓄電し、公演に際してはこれを切り替えて供給したという。わざわざ切り替え式としたのは、消費量が増大する夜間の停電を恐れたもので、まだ供給ができなかった電力事情を物語っている。
 新しい技術を使った毎日の公演では、思わぬ故障やトラブルがあり、予想もできない出来事があったに違いない。また、昼夜違う公演が入り交じっての舞台では、技術者たちがどんなに苦労したことか想像以上のものがある。しかし、こうした最新技術の導入と厳しい舞台運営を経験したことが、その後我が国の劇場技術を格段に進歩させた。それらのメンテナンスと製品技術の応用から、劇場分野の新しい産業と人材を育てたことは大変意義深い。







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