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タイ王国(Kingdom of Thailand)
(1)一般事情
1. 面積:51万4,000km2
2. 人口:6,181万人(2001年)
3. 首都:バンコク
4. 人種:大多数がタイ族。その他、華僑、マレー族、山岳少数民族等
5. 言語:タイ語
6. 宗教:仏教95%、イスラム教4%
7. 略史:タイ王国の基礎は13世紀のスコータイ王朝より築かれ、その後アユタヤ王朝(14〜18世紀)、トンブリー王朝(1767〜1782)を経て、現在のチャックリー王朝(1782〜)に至る。1932年立憲革命。
8. 政治体制・内政
1)政体:立憲君主制
2)元首:プーミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ9世王)(1946年6月即位、在位57年)
3)議会:上院200名、下院500名の二院制(両院とも民選)
4)政府:首相名タクシン・シナワット
5)内政:タイでは1932年の立憲革命以降、軍部主導の政治が続いていたが、1992年の軍と民主化勢力との衝突(5月事件)以降、軍部は政治関与を控え、民主的な政権交代手続が定着している。97年に成立した新憲法に従って、2001年1月に下院選挙が行われ、タイ愛国党の圧勝によりタクシン政権が成立した。タクシン政権は、首相の強力なリーダーシップと下院における連立与党(タイ愛国党、タイ国民党、国家発展党)の安定多数(500議席中366議席)を背景に、数々の経済改革政策を推進している。
9. 外交基本方針:
 タイは伝統的に柔軟な全方位外交を維持しつつ、ASEAN諸国との連携と日本、米国、中国といった主要国との協調を外交の基本方針としている。タクシン政権は近隣諸国との関係の強化、各国との自由貿易協定(Free Trade Agreement=FTA)締結を目指す活発な経済外交、アジア協力対話(Asia Cooperation Dialogue: ACD)の提唱等、地域において積極的なイニシアティブを打ち出している。
10.経済指標
1)主要産業:2000年のGDPにおいて非農業部門の割合は約9割であり、そのうち工業部門が33.4%を占める。農業は就業人口の約4割を占めている。
2)GDP: 1,146億米ドル(2001年)
3)一人当たりGDP: 1,818米ドル(2001年)
4)経済成長率:5.2%(2002年)
5)物価上昇率:1.6%(2001年)
6)失業率:3.3%(2001年)
7)総貿易額:
(1)輸出:653億米ドル(2001年)
(2)輸入:618億米ドル(2001年)
8)主要貿易品目(2001年):
(1)輸出:コンピューター・同部品、IC、自動車、衣料、冷凍エビ、宝石、コメ
(2)輸入:機械・同部品、電子機器・同部品、原油、化学製品、IC基盤、鉄鋼
9)主要貿易相手国(2001年):
(1)輸出:米国、日本、シンガポール、香港、中国、マレイシア
(2)輸入:日本、米国、中国、マレイシア、台湾、シンガポール
10)通貨:バーツ
11)為替レート:1米ドル=約41バーツ(03年9月現在)
12)経済概況:
 タイは、80年代後半から日本を始め外国投資を梃子に急速な経済発展を遂げたが、その一方で経常収支赤字が膨張し、不動産セクターを中心にバブル経済が現出した。その後、バブル破壊に伴い不良債権が増大し、経済の悪化を背景にバーツ切り下げの圧力が高まり、97年7月、為替を変動相場制に移行するとバーツが大幅に下落し、経済危機が発生した。タイ政府は、IMF及び我が国を始めとする国際社会の支援を受け、不良債権処理など構造改革を含む経済再建に努力した。タイ政府の財政政策を含む景気対策、好調な輸出などにより低迷を続けていた経済は回復基調に転じた。2001年2月に発足したタクシン政権は、従来の輸出主導に加えて国内需要も経済の牽引力とすることを訴え、農村や中小企業の振興策を打ち出している。タクシン政権の内需拡大政策の奏功と見られる個人消費の活性化等により、最近は経済の回復傾向が見られ、2002年の経済成長率は、5.2%と経済危機後最も高い数字を記録した。
11. 二国間経済関係
 1980年代後半以降、日本は円高を背景に積極的にタイに進出した。現在タイ進出日系企業は1,160社を越え、タイの経済成長に貢献している。1997年7月に顕在化した通貨経済危機に関し、我が国は大規模な資金的・人的協力を実施した。
 
表1-(1)対日貿易額
(単位:億円)
  1999年 2000年 2001年 2002年
対日貿易貿易額 輸入 10,082 11,423 12,605 13,146
輸出 12,848 14,694 14,425 16,486
出典)財務省貿易統計
貿易主要品目(2001年)
輸出:魚介類、事務用機器、音響映像機器、肉類、半導体等電子部品
輸入:半導体等電子部品、鉄鋼、自動車部品
12. 貿易概況
 タイは国土面積約51万3,115km2(日本の約1.35倍)、人口は6,231万人(2001年末)で立憲君主国であり、国民は大多数がタイ族で、その他華僑、マレー族、山岳少数民族である。使用言語はタイ語、宗教は仏教徒が95%を占めるが、イスラム教徒が約4%居住する。タイでは1932年以来軍部主導の政治体制が続いていたが、1992年以降、軍部は政治関与を控え、民主的な政権交代が定着している。1997年新憲法が成立し、2001年1月に行われた選挙で、タイ愛国党のタクシン政権が成立し、首相の強力なリーダーシップの下数々の経済改革を行っている。一方、外交面では伝統的に全方位外交を維持しつつ、ASEAN諸国との連携と日本、米国、中国といった主要国との強調を基本としており、近隣諸国との関係の強化、各国との自由貿易協定締結(Free Trade Agreement: FTA)の締結を目指し活発な経済外交を行い、アジア協力対話(Asia Cooperation Dialogue: ACD)の提唱を行う等、積極的なイニシアティブを打ち出している。
 2000年のGNPにおいて非農業部門の割合が約90%(工業部門が33.4%を占める)とGNPに占める農業の地位は低下しているが就業人口の約4割は農業である。
 
表1-(2)国内総生産(GDP)
一人当たりGDP 1,840米ドル(2001年)
実質GDP成長率(%) 1999年 2000年 2001年
4.4 4.6 1.8
 
 タイでは、1985年以降輸出が好調に推移し、1988年から1995年にかけて毎年8%を超える経済成長率を示していたが、1996年に入り輸出の伸び悩みや経常収支赤字の拡大から高度成長に陰りが見え、深刻な不動産不況を招き、金融機関の倒産・不良債権の拡大などが顕在化した。1997年7月、為替制度の実質的変動相場制移行を契機に、通貨バーツが大幅に下落し、経済危機が発生した。タイ政府はIMF及び国際社会の支援を得て、IMFとの合意に基づく財政金融引締め及び民営化等経済の再建を進めた。その結果、為替レートの安定、経常収支の好転等一定の改善は見られたが、実体経済は悪化を続け、1998年の経済成長はマイナス10.4%に落ち込み、失業者の増大、貧困者等への社会的影響が懸念された。これに対し、タイ政府はIMFとも協議のうえ、3度に渡る景気刺激策を打ち出し、景気の下支えを行うとともに、民間債務リストラ等により不良債権の処理に努めた結果、1999年に入ってタイ経済は好調な輸出、財政支出に支えられ回復基調に入った。
 しかしながら、2001年の輸出は、米国をはじめとする世界経済の低迷などから、最大品目である集積回路(IC)などエレクトロニクス関連製品が大きく減少し、前年比61%減となった。この影響で、同年のタイ経済は大きく減速した。又、外国直接投資も2001年は件数では24.4%減、金額では1.4%減と案件の小型化の傾向が続いた。日本との貿易も縮小傾向を示している。
 
表1-(3)貿易の収支
  1999年 2000年 2001年
貿易収支(米ドル) 92億7,200万 54億6,600万 25億2,500万
経常収支(米ドル) 124億6,600万 93億2,800万 62億1,100万
外貨準備高(米ドル・年末) 340億6,300万 320億1,600万 323億5,500万
対外債務残高(米ドル・年末) 951億 797億 671億
為替レート(対米ドル) 44.43バーツ(2001年平均)
出典)JETRO貿易投資白書2002年(タイ中央銀行及びIMF)
 
 2001年の輸出は、米国をはじめとする世界経済の低迷などから、前年比61%減の653億7,600万ドルとなった。特に輸出の約2割を占める米国向け輸出は、IT関連製品の需要低迷に加え2001年9月の米国同時多発テロ事件で米国の消費意欲が冷え込んだことなどから、10.7%減の132億7,750万ドルとなった。







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