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インド(India)
(1)一般事情
(1)人口:10億2,702万人(2001年3月/インド政府)
(2)面積:328万7,263km2(インド政府)
(3)1人当たりGDP: 466米ドル(2001年/IMF)
 
  1999年 2000年 2001年
(4)実質GDP成長率(%) 6.1 4.0 5.4
(5)貿易収支(US$) △178億4,100万 △143億7,000万 △94億8,200万
(6)経常収支(US$) △46億9,800万 △25億7,900万 △7億2,600万
(7)外貨準備高(US$) 380億3,600万 422億8,100万 541億600万
(8)対外債務残高(US$) 983億 996億 1,000億
(9)為替レート(対1US$) 43.055ルピー 44.942ルピー 47.186ルピー
出典)JETRO投資貿易白書2002年(インド政府、IMF、インド準備銀行(RBI))
 
1. 内政
1)1999年10月以降バジパイ相を首班とする「国民民主連合」(NDAが政権を担当、NDAは、「インド人党」(BJP)(181議席)を中心に15政党からなる連立政党。下院545議席中連立与党とその友党で311議席を確保している。
2)2002年2月、国内4州で州議会選挙が行われ、3州においてBJP及びその友党が政権を喪失。
3)2002年2月末から3月にかけ、グジャラート州において、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との宗派間対立により1,000人近い死者が発生。この背景には、「ラーマ生誕寺」建設問題(注:ヒンドゥー教の「ラーマ」神の生誕地を祀る寺院の建設を巡って、建設を主張するヒンドゥー主義団体と、これに反対する勢力との間で激しい論争が続いている)が影響。本件の責任問題をめぐって、NDA内でのBJPの求心力が低下している。
4)但し、野党の結束力が弱く、NDAに代わり得る政権樹立の見通しが立たないこともあり、当面NDAは保たれ、バジパイ首相は困難をはらむ政局をしのいでいる。2002年7月には、2004年の次期総選挙等を視野に入れた、主要閣僚の交代をともなう内閣改造を実施。同月、A.P.J.アブドゥル・カラーム大統領が、第12代インド大統領に就任。
5)2002年9月16日から10月8日にかけ、パキスタンとの間で帰属が争われているジャンムー・カシミール州の州議会選挙が実施され、州政府与党が後退した。
2. 経済
1)1991年以来インドは経済改革への取り組みを本格化。その結果、1990年代中盤に3年連続で7%を超えるGDP成長率を達成した。
 インドのITソフト輸出額は、1988年の輸出額を基準とした場合、2001年までに約80倍の伸びと言う飛躍的な増加を記録した。
2)NDA政権は、経済の安定化、財政再建(税制改革、歳出削減)、構造調整(産業政策改革、貿易・為替政策改革、金融改革等)を推進。
3)しかし、このような努力にもかかわらず、最近のインド経済のGDP成長率は逓減傾向にあり、2000年度には4パーセント(2002年1月発表速報値)まで低下(なお、2002年6月発表の01年度成長見通しは、5.4パーセントまで改善見込み)。歳入不足に由来する財政赤字、鉱工業部門の不振による景気後退、世界経済の低迷による輸出の鈍化、及び恒常化した輸入超過が招く貿易赤字という困難な問題も抱える。ただし、外貨準備は約625億ドル(2002年9月現在)であり、安定的に増加している。
3. 外交及び印米関係
1)旧ソ連崩壊後、インドは西側諸国との関係強化に努力、1998年5月の核実験後、米国をはじめ主要国との関係が悪化したが、その後、関係を改善。国際社会において主要な役割を果たす地位の獲得に向け一層の外交努力を継続している。
2)特に、米国との間で、政治的・軍事的聴力関係を急速に拡大、米国における同時多発テロ後、インドは米国に対し最大限の協力を行うとの立場を表明。2001年10月のシン外相米国訪問及びパウエル国務長官インド訪問、11月のバジパイ首相米国訪問、2002年1月のパウエル国務長官インド訪問等、様々なレベルで活発な要人が往来。6月には、インド・パキスタン関係の緊張緩和働きかけのため、アーミテージ国務副長官、ラムズフェルド国防長官が相次いでインドを訪問。7月には、パウエル国務長官も訪問。9月には、バジパイ首相、シンハ外相が米国を訪問し、印米首脳会談が行われた。
3)伝統的な友好国であるロシアとも緊密な関係を維持、2001年5月のイワノフ外相インド訪問、6月のシン外相ロシア訪問、10月のクレバノフ第一副首相インド訪問、11月のバジパイ首相ロシア訪問が行われた。また、2002年2月には、イワノフ外相、クレバノフ第一副首相がインドを訪問。6月、カザフスタンでのアジア信頼醸成会議で、バジパイ首相がプーチン大統領と会談。
4)1960年代に戦火を交え、インドの核実験により冷却化した中国との関係も、2000年4月のナラヤナン大統領の中国訪問、2001年1月の李鵬中国全人代委員長のインド訪問により改善。2002年1月には朱錯基中国首相がインドを訪問し、3月にはシン外相が中国を訪問。アジア信頼醸成会議で、バジパイ首相が江沢民国家主席と会談。
5)ASEANを含むアジア諸国との関係強化にも努力。2002年11月には、カンボディアで初のインド・ASEAN首脳会議が開催された。メガワティ・インドネシア大統領のインド訪問や、バジパイ首相のシンガポール、カンボディア訪問(いずれも2002年4月)等、首脳レベルで活発な要人往来。
4. 日印関係
(1)基本認識と基本政策
1)人口(世界第2位)、国土(世界第7位:ロシアを除く欧州全域とほぼ同様)とも極めて大きく、国際社会における大きな発言力と南アジアにおける大きな影響力。
2)民主主義、市場経済といった共通の価値観・システムを共有。
3)アジア太平洋の経済成長の一大センター。IT分野の飛躍的発展もあり、国際経済上の存在感が増大。
4)日本のシーレーンの安全確保に重要。
5)伝統的な二国間友好協力関係に加え、グローバル・パートナーとして、21世紀において政治、安全保障、経済、文化、地球規模問題等広範な分野での多面的な対話と協力関係の確立を目指す。
(出典)外務省ホームページ
5. 貿易概況
 2001年度(2001年4月〜2002年3月)のインドの貿易は主要相手国の経済不振を受け、輸出がわずかに減少した。輸入は国際原油価格の下落で石油関連輸入が減少したが、非石油関連輸入の増加により、微増となった。また世界的なIT不況の影響を受け、高成長を続けてきたソフトウエア輸出の伸び率も鈍化し、インドのソフトウエア企業の海外での資金調達も大幅に減少した。通商政策面では、世界的に自由貿易協定(FTA)の動きが活発化するなか、インドもとりわけASEAN諸国との関係強化に取り組んでいる。
 2001年度の貿易(通関ベース)は、輸出が前年度比1.0%減の441億8,500万ドル、輸入は同0.4%増の508億500万ドルであった。貿易赤宇は66億2,000万ドルに増加した。輸出(2001年4月〜2002年1月、以下同様)は、輸出総額の約2割を占める米国向けが前年同期比9.9%減とマイナスに転じた影響が大きい。また、EU向けも2.9%減、日本向けも16.2%減と大きく減少し、主要国の経済不振が影響を及ぼした。しかし、インドのGDPに占める輸出の比率は約1割にすぎないため、外需の影響は相対的に小さいのが実態である。







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