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「平野」
香川 若草はじめ 選
走ってころび笑顔ポロッと出た平野 鳥取 鹿野中二 木村かがり
 
平野からおもちゃの兵たい走らせる 新潟 五泉小三 山倉誠也
 
何もない平野のような一人部屋 鳥取 鹿野中二 原田建太
 
戦争はよそうよ平野泣いている 千葉 小六 渡邉真美
 
どんぐりがころころ平野にお引っこし 香川 丸亀市立城東小六 塩田有起
 
自転車でのはらをはしるぼくのゆめ 鳥取 鹿野小四 高原佑太
 
平野にも小さな命生きている 鳥取 鹿野小五 橋本紫央
 
平野からむしの合唱はじまった 鳥取 鹿野中一 中原 豊
 
平野はねけずったわけじゃないんだな 鳥取 鹿野中一 山下沙耶香
 
平野の草さらさらゆれてミュージカル 岩手 西根町立寺田小 伊藤日香里
 
平野をね上から見たらパズルみたい 鳥取 鹿野小五 佐々木かおり
 
平野ではおもわず走るなぜだろう 香川 綾南町立昭和小六 田中航太
 
ポイ捨ては止めろ平野が泣いている 山口 大内中二 古川雄大
 
走りたいころがりたいな大平野 石川 小四 浜本凱登
 
日本一ひろい平野におとし穴 埼玉 千代田小二 岩田大輝
 
人生は平野ばかりじゃありません 鳥取 鹿野小五 椿 梨沙
 
大声でさけぶと平野こだまする 東京 小五 吉田真歩
 
お昼寝ができそう美しい平野 鳥取 鹿野中二 植田真由美
 
越後平野をかける僕らは風小僧 新潟 五泉小六 山倉有馬
 
秀句
平野には命のやどる音がある 鳥取 鹿野中二 仲川ちふみ
 
この平野心の中の秘密基地 福岡 福島高校定時制 古里美沙
 
平野には戦争ごっこ似合わない 鳥取 鹿野中二 野藤 恵
 
選者吟
黒板に描いた平野で育つ麦 香川 若草はじめ
 
選評
 平野というイメージは人をワクワクさせる何かがある。その何かが夢であり願望であろうと思われる。子供の頃の夏の草いきれ、冬の枯草の匂い、心の合った友と作った秘密の基地。歩けばバッタやキリギリスがキチキチと羽根を鳴らして跳んだ思い出、戦争を嫌う純真さ、大人達がつい忘れそうなメルヘンタッチの風景を見事に描き出してくれた作品に心より拍手を贈るものである。
若草はじめ
 
講演
「我が国文化と青少年教育」(概要)
文化庁文化部長 寺脇 研氏
 ご紹介いただきました寺脇でございます。本日はこの記念すべき香川大会にお招きいただきまして、誠にありがとうございます。
 今年からジュニアの部門も開かれるということで、今、小学校では六年生になると俳句を学ぶようになっており、確かに国語として鑑賞するのは、俳句は悪くないと思う。去年から学校も五日制にして、土曜、日曜は子供たちが、それこそ川柳をやるとか、大人が生涯学習といって色々なことをしているのに、子供はとにかく学校に行って、学校の勉強だけしていなさいというのもおかしな話で、やはり子供も色々スポーツとか・・・。
 
こども心の今昔
 
 我々の子供のころは野山で遊んだりしたが、今は平日、学校の生活の中でなかなかそんな余裕もない。昔は、すぐ裏に山がありましたが、今は、すぐ裏に山はないから、やっぱり都会の子供は土曜、日曜、休みの日にちょっと郊外に出かけようということになる。スポーツや文化活動や、あるいは外でおもいっきり遊ぶという余裕をとっていいじゃないか。もちろん土曜、日曜に勉強してもらわなきゃいけないけれど、一日中勉強することはないので、朝の涼しいうちに二時間位ちゃんと勉強をしたら、後は外でしっかり遊ぶということを考えていこうじゃないか。
 学校の方も、今までは杓子定規の勉強ばかりしていないか。私も含めて、大体今日は私よりご年配の方が多いと思います。私は今、五十才ですが、そこから上の世代、我々は学校といっても楽しかった。昭和三十年代位までの学校というのは、授業といったって、雪が降ってきたら、「ああ、今日は雪が降ってきたからもう授業はやめて、雪合戦に行こうじゃないか」とか、裏山が色づいてきたから、「今日の授業は裏山にみんなで行って山を見ようじゃないか」みたいなことを言っていたのが、小学校だった。
 もちろん我々の頃だって、掛け算の九九もやったし、色々難しいこともやった。自然に親しみ、色々なことをやる。そして、その中で学校のいわゆる勉強というか、教科書に書いてある、本に書いてある勉強だけじゃなしに、実際に世の中ってこう変わっていく。雪が降ってくるのは、理論によれば、空気中の水分が寒気によって凝固しておりてくるとかいうけれども、おりてくるときの雪の降りようというのは、こうなんだということを実際に見て、その中で、実体験に基づいて、こういう時にはこうしなきゃいけないということを考える。
 例えば、今の子供たちは道徳がなっていないとか言うけど、少なくとも昭和三十年代位までは、学校でお年寄りを大切にしようと言ったら、地域にはお年寄りがいて、ちゃんとそのお年寄りの世話をしたり、あるいはお年寄りと一緒に遊んだりする余裕があった。お年寄りというのはやっぱり賢いな、長い年数生きておられるから本当にいろんなことを知っているな、しかし、この頃ちょっと元気がないから手を引いてあげたりしないというのが分かるわけだが、ただ教科書でお年寄りを大切にしようと言っても、これは単なる頭で考えているだけの話であって、実際に結びつかない。
 だから、昔の学校というのは、そういう頭にたたき込むことだけでなく、自分で実感して、色々考えたりするようなこともあった。ところが、これが昭和四十年代、五十年代、六十年代、そして平成となってくるにつれて、どんどん世知辛くなってきて、雪が降ってきたからといって、学校をやめて雪合戦でもしようものなら、「算数の時間はどうしてくれるんだ!」とか言われて、先生がつるし上げられる。
 
仕事と生涯学習
 
 私は五十歳だから、今、死ねば、それは別に、現役で仕事にあくせくしているうちに死ねるわけで、別に趣味なんかなくたっていいかもしれない。でも、これから人生八十年、九十年、百年と生きていくときに、何かそういうものを持っていなきゃいけない。生涯学習というのは、結局どういうことかと言うと、長い人生そんなに急いでどこへ行く。もうちょっとゆっくりやっていってもいいじゃないか、ということです。
 子供たちの勉強もまたしかりで、昔は人生五十年、中学校で終わって就職する方が多かった。集団就職して、頑張れば夜間高校へ行くけれど、仕事がきつくてなかなか行けなかった。大人になって高校に行く、大学に行くなんていうことも無理だろうと思えば、十五歳までに、英語も勉強しなきゃいけない、数学も勉強もしなきゃいけない、日本の歴史も勉強しておかないと、もう後はないぞと思うから、小中学校でがんがんやっていたわけだが、今はほとんど全ての子供が高校に行く。大学だって大体希望すれば行ける。
 しかも、何歳になっても、もう一回高校の勉強をしようと思ったら、誰でも入れる。もう一回大学の勉強をしようと思ったら入れる時代になれば、小さいころから勉強、勉強だけではなしに、むしろ問題なのは、生涯学習ということを言い出したときのテーマ、みんな生きがいって何なの、働いているときは一生懸命働いているけど、働いた後どうなるだろう―です。







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