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6. 総合安全評価のためのデータベース
 
 これまで、総合安全評価に必要なデータベースの収集、効果的なデータベースの使用法につき検討してきた。ここではそれらの概略を示す。
 
 総合安全評価に必要なデータを、海難種類、安全評価の作業毎に表6.1.1に示す。
 以下、同表に記述されたデータについて説明する。
6.1.1 ハザード発生頻度推定に有効なデータ
(1)衝突危険発生頻度推定に有効なデータ
 運航実態に関するデータ、すなわち、狭水路および設定航路においてはゲートライン通過船舶の時系列、広汎な海域においては航跡データがあれば対象海域における衝突危険発生頻度を推定することが可能である。この種のデータとしては以下のものがある。下記にデータの種類と現在入手しているデータの概要を示す。
(a)ゲートライン通過船舶数の時系列
(1)東京湾浦賀航路ゲートライン通過船舶数の時系列
 東京商船大学は、浦賀航路を横切るゲートラインを設定し、そのゲートラインを通過する船舶の大きさ別の隻数を1時間毎に計測したデータを冊子の形で保持している。
 海上技術安全研究所は、現在そのような計測データとして平成3年9月3日12:00−9月4日12:00までのデータを入手した。(東京湾船舶航行調査報告、平成4年3月)
(2)日本の海上交通安全法により設定されたすべての航路におけるゲートライン通過船舶数の統計
 海上保安庁は、海上交通安全法により設定された日本のすべての航路におけるゲートライン通過船舶数の計測データの統計を冊子の形で保持している。(通航船舶実態調査報告書)
 海上技術安全研究所は、現在そのような計測データとして1973年〜1978年にかけての通航船舶実態調査報告書を入手している。
(b)航行船舶の航跡データ
 日本海洋科学は諸団体の依頼により、日本の輻輳海域におけるレーダ観測に基づく航跡データを保持している。海上技術安全研究所は依頼主の同意を得て、現在2つの海域における航跡データを電子データの形で入手した。航跡データには、x,y座標値、時刻、GT等が記されている。
(1)東京湾の航跡データ(平成元年10月30日−11月1日)
(2)明石海峡の航跡データ(平成2年10月30日−11月1日)
(2)乗揚危険発生頻度推定に有効なデータ
 航跡データおよび海岸線、水深データがあれば対象海域における乗揚危険発生頻度を推定することが可能である。それらのデータは海上保安庁水路部が適時計測して保持しており、日本水路協会がそれらのデータを販売している。海上技術安全研究所は東京湾および大阪湾、瀬戸内海、関門の水深データを日本水路協会から入手した。なお、海岸線のデータは上記の航跡データに付随しているものを使用した。
 水深データには、計測点の緯経度、深さ等が記されている。
(3)転覆、浸水、沈没
 転覆等に至るハザードとして、波が乾舷を越えて甲板をたたくことがある。その発生頻度は波浪データベースを利用して求めることができる。海上技術安全研究所は北太平洋における波浪データベースを保持しており、海上技術安全研究所のホームページで公開している。
(4)火災・爆発
 火災・爆発に至るハザードとして、可燃物あるいは爆発物の近くに火源が存在することがある。居室ではタバコあるいはストーブの不始末等により火災が発生しているが、そうしたハザードがどれほど発生しているかは現在のところ適当な資料は存在しない。インシデント報告が整備されれば有用なハザードデータとなると思われる。
(5)検査データベース
 機関等の機器の検査データベースが国土交通省、小型船舶検査機構等に存在する。これらは衝突等の海難につながるハザードの発生頻度の推定に直接使用することはできないが、機関故障等の海難につながるハザードの発生頻度を推定するための有用な資料である。
 
表6.1.1 総合安全評価に有効なデータ
 
6.1.2 リスク解析に有効なデータ
(1)事故発生頻度、1件当りの死者数推定に有効なデータ
(a)事故件数、死者数を特定するデータ
 この目的に使用されるのが海難データベースである。重要なことは、ある特性の船舶のリスク、ある海域を航行する船舶のリスク等の種々のリスク解析に資するためには個船のデータベースが必要である。しかし、リスクマトリクスの作成等、あるカテゴリーの船舶における合計事故件数、死者数があれば良い場合もあり、このような場合は所定の細かさの統計で良い。
 以下に、事故件数、死者数を特定する際に有効なデータについて記述する。
(1)LRFP海難データベース
 事故を起こした100GT以上の船舶をデータベース化しているもので世界的に使用されているものが、LRFP(Lloyd's Register Fairplay)海難データベースである。このデータベースは以前、LMIS(Lloyd's Maritime Information Service)海難データベースと呼ばれていたものである。海上技術安全研究所ではLMIS海難データベースを1978年以降2001年まで保持していた。しかしLMIS社の解散に伴い、LMIS海難データベースはLRFP社とLMIU社(Lloyd's Marine Intelligence Unit)社に引き継がれたが、これまでのLMIS海難データベースの項目を継続できるのはLRFP社であるため、2002年度からはLRFP社の海難データベースを導入している。
 代理店によると、現在LRFP海難データベースのソースは、米国コーストガード、各国船級協会、現地代理店、保険会社/代理店、船主、サルベージ会社等である。また、LRFP海難データベースはコード化されていて統計解析等種々の解析に便利である。LMIU海難データベースのソースは、Lloyd's Agentsと各国の海上保安庁およびSearch and Rescue organizationということである。また、LMIU海難データベースは項目数が少なくかつテキストで解析には不向きであるが、速報性に優れている。
(2)海難調査票データ
 日本の海上保安庁は関与した事故の各々につき票形式の記述を作成し、電子化して保持している。このデータは部内限りであり使用することはできない。
(3)海難理事所データ
 海難理事所は海上保安庁とは別個に事故船舶の個船データをデータベース化している。このデータも基本的には部内限りであり使用困難である。
(4)要救助海難統計
 海難調査票に基づき統計解析をした結果を掲載している文書である。
(5)海難統計年報
 海難理事所データに基づき統計解析をした結果を掲載している文書である。
(b)母集団の特定に有効なデータ
 (a)の海難データだけでは発生頻度は求められない。そのためには母集団のデータが必要である。海難データと同様に、種々のリスク解析を実施するためには個船データが必要であるが、大括りの解析には統計データで良い場合がある。
 以下に、事故件数、死者数を特定する際に有効なデータについて記述する。
(1)LRFP船舶データ
 これまでに建造された100GT以上の船舶の要目をデータベース化している。
(2)船舶明細書データ
 日本海運集会所は、毎年20GT以上の日本籍船舶の個船データをデータベース化し、販売している。内容は書籍と一致している。海上技術安全研究所には、1989年以降のデータベースが存在する。
(3)World Fleet Statistics
 LRFP社は毎年船種、大きさ、国別に船舶を集計して統計表にし販売している。海上技術安全研究所では1978年〜2002年のものがあり、毎年更新予定である。
(4)小型船舶統計集
 日本小型船舶検査機構(JCI)が毎年まとめている20GT未満の船舶の統計集である。日本籍船舶で220GT未満の母集団を特定するために必要である。
(5)漁船統計および漁船保険統計
 漁船のデータは、(2)、(4)のデータに散見されるが、全体がまとまったものとして漁船統計および漁船保険統計がある。実際に運航している1000GT未満の漁船の母集団の特定には漁船保険統計が使用されるべきである。1000GT以上は漁船統計で拾うしかないが、その数は極めて少ない。
 
(2)イベントツリーの作成に有効なデータ
(a)事故の記述
 新たなRCOの導入など実績が無い場合は、ハザードの発生から事故発生、事故発生から最終状態にいたるまでの事態の推移をイベントツリーで記述することは、その場合のリスクを推定する際に有効である。以下にイベントツリーの作成に有効なデータについて記述する。
(1)海難審判庁裁決録データ
 海難審判庁は海難理事所へ報告のあった海難の中で重大なものを選び海難審判にかけており、審判結果を書籍あるいはインターネット上のホームページで公表している。海上技術安全研究所は海難審判庁から平成2年以降のデータを電子データとして譲り受け、保持している。
(2)Lloyd's List
 これはdailyの新聞であり、LRFP海難データにある事故の記述を補完する記述を得ることが可能であるが、掲載されている海難事故の数はそれほど多くない。この中には海難の記述だけでなく海事関連の種々のニュースが掲載されている。LLP(Lloyd's List Publishing)が出版している。
(3)Lloyd's Casualty Report
 Lloyd's ListにあるCasualtyの記述を抜き出し週毎にまとめたものである。海難以外のCasualtyの報告もある。LMIUが出版している。
 なお、LLPとLMIUは親会社が同じInformaである。
(b)事故に至らなかった危険な事態の記述
 この種の記述は、いわゆるインシデント報告と総称される。基本的には事業所毎にまとめられているため、公表困難である。しかし、ヒューマンエラーを特定するためには必要なデータである。IMOでもこの種の記述の重要性を認め、1999年採択の総会決議A.884(21)「海難及び海上インシデントの調査のためのコードの改正」において、海難及び海上インシデントに寄与するヒューマンファクターについての系統的調査のための実務的指針を盛り込むことが明記された。その決議に基づき公表可能なインシデント報告が系統的に得られることを期待したい。現在は活用可能なインシデント報告は存在しない状況である。
 
(3)イベントツリーの定量化に有効なデータ
(a)人間信頼性データ
 人間信頼性データとして、THERP等に使用されているものがあるが、それらは原子力プラントにおけるヒューマンエラーの値であるため、船舶の分野においてそのまま使用できるわけではない。船舶の分野に特有の人間信頼性データを系統的に得る必要がある。
(b)意見調査データ
 これまでに海難のイベントツリーの定量化のために数百人の専門家にアンケートを行い回答を得ている。それらのデータについてはこれまでの報告書を参照されたい。
 
 公開可能なデータはWEB上でのデータ公開を行なうことができ、WEB上で質問をし、答えを得るという方法で必要なデータを取得するシステムを構築することができる。
 その例として、海難審判庁裁決録を許可を得て認証されたユーザに公開するシステムを作成した。
 裁決録データベースでは、研究上必要な条件設定による柔軟な検索機能と、必要事項を迅速に読みとるための閲覧支援機能を提供することでデータの共有を図り、かつデータの管理を一元化していくことにする。RR-S7では、その実現方法として、広く普及しているウェブブラウザをユーザインターフェースとし、インターネット経由でデータアクセスを提供する方法を選択した。これにより、ユーザにとっては特別なソフトウエア等を導入することなく閲覧することが可能となる。
 サービスを提供する計算機(サーバ)側では、ウェブサービスを提供するウェブサーバの他に、データアクセスのための仕組みが必要となる。データアクセスの方法としては、データがテキストであることから汎用の全文検索エンジン等を利用する方法と、データベース管理システムを用いて独自の接続プログラムを用意する方法が考えられる。いずれの場合にも閲覧支援等のデータ処理部分には独自プログラムによるデータ処理が必要となることから、ここではデータベース管理システムを用いる方法を採用した。全体的な動作の機構は図3.1.1に示すようになっており、ユーザからの検索要求(クエリ)をウェブサーバが受け付け、接続用プログラムを経由してデータベースサーバにデータを要求し、得られた結果を閲覧支援等の必要に応じて表示用に加工してユーザ側に送信することとなる。そのようなデータベースシステムの全体構成を図6.2.1に示す
 
図6.2.1 裁決録データベースシステムの全体構成
(拡大画面:82KB)
 
 
 表2.1より、RR-S7およびその前身であるRR49における調査研究はかなりの成果を上げたことがわかる。ここでは主な成果の活用について簡単に触れるとともに、今後の課題を示す。
 
 主要な海難すべて、および、
ハザード発生→事故発生防止→事故発生→災害拡大防止→避難・退船→捜索・救助
の全ての過程を網羅し、関係者が合意できる包括的イベントツリーを作成することは、RCOの導入およびそれに基づくリスク低減の定量化を透明化し、安全基準の有効性を効果的に説明するために重要である。本委員会では500GT未満の貨物船に対象を絞って、人命、環境に重大な影響を及ぼす主要海難(衝突、乗揚、転覆・浸水・沈没)につきハザード発生から事故発生に至る過程をイベントツリーで表現した。火災に関しては漁船の機関室火災において火災発生から災害拡大防止に至る過程をイベントツリーで表現した。これらは海難全過程の包括的イベントツリー作成のための最初のステップと評価されよう。対象船舶は500GT未満であるが、このカテゴリーの船舶数はかなり多いため、得られたイベントツリーは今後RCOの策定および安全基準の審議等に使用されることにより日本の船舶の安全向上に役立つと思われる。
 しかし、専門家意見に基づくイベントツリーの定量化は不確実さが大きいため、不確実さを減少させる方策が必要である。
 
 船舶の安全評価に役立つ種々のデータベースを導入した。その結果現在ほとんどの船種、大きさの船舶で大部分の海難のリスク解析が可能となっている。これらはすでに、救命胴衣の着用義務化等、さらにIMOにおけるバルクキャリアの安全性に関する審議等に活用された。今後も船舶のFSAに有効な各種のデータベースの拡充を実施していくことにより、リスク評価の高精度化、安全基準策定等に寄与することが可能であろう。
 また、ウエブでの海難審判庁裁決録の関係者への公開システムも作成し、海上技術安全研究所の外部からのデータベースの使用が可能になった。しかし、大部分のデータベースは版権があり公開できないため、外部からの依頼を受けて海上技術安全研究所がリスク評価を実施することになろう。
 
 船舶の総合安全評価の実効性向上のために今後必要とされる主な事項を以下に示す。
(1)包括的イベントツリーの開発
 現在のイベントツリーを全ての船種、大きさの船舶に適用可能にするとともに、海難の全過程を網羅するものに拡充することが必要である。そのためにインシデントデータの収集、専門家による吟味等が必要とされる。
(2)イベントツリーの分岐確率の精度向上
 インシデントデータ、人間信頼性データの収集等を通して、イベントツリーの分岐における条件付確率の精度向上を図る必要がある。
(3)船舶分野の人間信頼性データの収集
 現在得られている人間信頼性データはプラント等の監視、操作関連のものが大部分であるため、操船等の船舶分野のヒューマンエラーを収集する必要がある。
(4)FSAガイドラインの見直し
 現時点のFSAガイドラインに従うFSA評価に基づき、IMOではバルクキャリアに関する基準の改正を実施した。しかし、リスク評価基準の設定、RCOの組合せのリスク低減効果の評価、不確実さの考慮等、幾つかの問題点が明確になっているため、FSAガイドラインをこれまでのFSA実施経験に基づきより実効的なものに改訂することが必要である。
(5)費用便益評価方法の確立
 現在、FSAによる費用便益評価においてGCAF、NCAF等の指標値が用いられているが、利害関係者が合意可能な指標値を策定する必要がある。また、それらの指標値には不確実さがあるため、合意形成のためには、不確実さ解析を実施してそれらの指標値による順位付けに係わる恣意性を排除する方策を検討することが必要である。
 
 
 5年間に亘り、船舶の総合的安全評価に関する調査研究を実施し、FSAについて上記のような成果を得ると共にFSAを実施して行く上で多くの課題が残されていることも明らかになった。今後、FSAを活用するためのデータの整備や事故における人的要因に関する研究を継続して実施していくことが重要である。







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