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600年の伝統 那覇ハーリー

 事業名 爬龍船の建造
 団体名 琉球水難救済会 注目度注目度2


那覇ハーリーの変遷
 
 那覇ハーリーは明治十二年(一八七九年)の廃藩置県で中断されたが、明治三十八年(一九〇五年)の日露戦争の戦勝祝賀行事として泊の有志が中心になって泊港周辺で古式豊に勇壮なハーリーを行い、さらに大正四年(一九一五年)大正天皇御即位奉祝のとき、泊村新屋敷青年団が企画した「泊地バーリー」が那覇市の大通りに出現し、沿道を埋め尽くした観衆を魅了した。
 爬龍船の建造は大正十一年だったといわれているが、昭和三年、旧暦五月四日に開催を最後に泊ハーリーは中断され、また木造の爬龍船は腐朽してしまったようである。
 戦後は琉球大学の開校式(昭和二十六年)に仲本興正、佐久本興詮ら三十四人がクリ舟に泊の幟を掲げ首里城の龍潭池で「泊ハーリー」を催したが、それは競漕ではなくセレモニー的なものだった。昭和二十九年(一九五四年)泊港の開港式、昭和三十五年の那覇市制五十周年記念の民族芸能パレードやその他の行事に「泊地バーリー」が参加、「泊ハーリー歌」やこぎ手の技能保存をどうにか図っていた。
 私はこうした祖先伝来のかけがえのない文化遺産・ハーリーを本格的に復活すべく、かつてないほど情熱を燃やした。昭和四十七年六月、那覇市上之屋の沖縄県中小企業団体中央会のホールに泊関係者を中心に有志を率先して集め、ハーリーの復活について協議した。その結果、「泊爬龍船保存会」を結成し、初代会長は外間政恒氏、副会長・渡名喜守定氏、そして実行委員長に私、理事は三十余人が選ばれ就任した。
 ハーリーを復活させるためには、まず爬龍船三隻を建造しなければならずその資金調達に協議が集中した。漁業用のくり舟(サバニ)ではなく中国に昔から伝わる実物大の爬龍船を再現するのが私の夢だったのである。しかし、その建造費は県内で調達するのは難しく、再三協議を重ねた結果、「日本船舶振興会(笹川良一会長)に補助金を仰ぐことになった。その折衝役は私と外間会長、渡名喜副会長の三役に一任されたが、幸い渡名喜氏は旧日本海軍の大佐だったので笹川会長とはつながりがあり、大いに期待できた。私たちは泊爬龍船保存会の設立趣意書や予算書を携え、何回も上京し要請活動を繰り返し、やっと笹川会長と会見する日時が決まった。その日、私たちが会長室に通されると、笹川会長はふだん着のまま若い三人の女性に肩などをもませていた。私は一瞬、侮辱を受けたような複雑な思いにかられ外間氏に「帰ろう」と言いかけたが、笹川会長は私たちを見るなり「おお、来たか。で、いくら必要なんだ」と気さくに聞いた。笹川会長は私たちの要請を文書で既に承知していたのである。渡名喜氏がすかさず「三千万円ほどお願いします」と答えると、笹川会長はすぐ担当者を呼び「おい、三千万円出してやれ」と言い付けた。
 笹川会長の「鶴の一声」で爬龍船の建造費が確保でき、昭和四十九年七月、運輸省を通じて二千九百六十万円の補助金が交付され、さらに那覇市の有志から浄財を募り、現在の爬龍船三隻をグラスファイバー硬化剤で建造し、二カ年かけて大願を成就したのである。この間、三十余人いた理事は十八人に減っていた。困難な事業だっただけに気後れがしたのだろうか。また、泊爬龍船保存会は運輸省の認可に伴う助言もあって発展的に解消され、昭和五十年七月二十五日付けで「社団法人那覇爬龍船振興会」に名称を変え、再出発した。
 
戦前、那覇市若狭沖で行われた「那覇ハーリー」。正面後は「マーチュー」と愛称された松尾山(現在の松山町)松林、左に電気会社の煙りが立っている。
 
 爬龍船はこうして建造された、いわばトマインチュ(泊人)が産んだ難産の子であったが、しかし、爬龍船を格納する肝心な建造物がない。「これでは、せっかく苦労して建造した爬龍船は破損してしまい、再建造するのは難しい。どうにかならないものか」と私は思案に暮れた。「ハーリー会館を建設して爬龍船を大切に保管し、ここを拠点にハーリー振興を図らないといかん」と思い立ち、親泊康晴那覇市長や観光協会関係者、経済団体に相談した。しかし、那覇市は会館の建造費を捻出するのは財政的に厳しい、という返事だったし、各界も消極的だった。そこで私は「では、土地を提供してくれ、建物は私がつくるから」と那覇市に提案すると、親泊市長は賛成し現在の敷地を提供する約束をしてくれた。
 そこで私は自分の物件を売却し、約一億円の私財を投入して現在の那覇ハーリー会館を建設、社団法人那覇爬龍船振興会の看板を掲げたのである。一階に爬龍船四隻(一隻は予備)を格納、二階はホールにして舞台を設け、会合や各種催しものが出来るようにした。ここに至って那覇ハーリーは盤石の態勢を確立した。
 昭和五十年に本部町で皇太子殿下・妃殿下(今上天皇)のご臨席を仰ぎ、開催された沖縄国際海洋博覧会には古式による勇壮な那覇ハーリーを世界各国民に披露し、海洋民族としての海事思想を理解させ、同時に海洋少年の育成に寄与した。
 こうして那覇ハーリーは不動の基盤を確立して、那覇市はもとより沖縄県の代表的祭りの一つになった。ハーリー開催の五月三、四、五日の三日間で毎年のべ二十五万人の人出で大にぎわいし、初夏を告げる世界一の伝統的な海の祭典として内外から注目されるようになり、観光立県にも一役かっている。
 
波上祭の夜、呼び物として人気を集めたハーリー電車。(昭和5年の波上祭参加記念)。現在の「泊地バーリー」のようなものだった。
 
戦後最初に首里・龍潭池で行われた泊ハーリー(1951年2月 琉大開学記念祝賀ハーリー)
 
社団法人 那覇爬龍船振興会
会長 吉浜 照訓
 
 昨年春以来那覇市の有志によって、古式による爬龍船の再興について、計画が進められていたが、これについて、沖縄開発庁、運輸省においても、大いに賛同され、種々懇篤な指導を與えられてきました。
 沖縄の爬龍船行事は中国に由来し、察度王の時代、南京の国土監に留学した数名の官生等によって、伝来されたということが通説でありますが、これが西暦一三九二年から一四〇五年の間と考えられるので、今から五七〇年乃至五八〇年前の古い歴史をもっているわけであります。
 中国においては、戦国時代(西暦紀元前四〇三年より二二二年の百八十二年間をいう)に、楚の国に西暦紀元前三四三年より二七七年頃に、屈原という中国文学史上最も偉大な愛国詩人がありましたが、屈原は、高潔で徳高く、時流に迎合することを好まず、遂にざん言にあい、楚の国を追われました。然し、屈原は、俗塵に染むを忌み、己の志の成らざるを憂い、旧五月五日江南の泪羅(洞庭湖畔缶州と長沙の中間泪羅江に望む)の深淵に身を投じて水死し、魚腹に葬られたのであります。
 これを世人が慕い悲しみ、屈原の霊を慰めるために龍船を浮かべ、やがて爬龍船競漕の行事が行われたのが、その起原となったのであります。そして、屈原を魚腹に葬られないよう、竹筒に米をつめて江中に投じて、魚群を追い払うことが、中国の粽子(ちまき)の始まりとなったといわれております。
 屈原の投身の日は旧五月五日で、この日が端午の節句とされ、これが日本に伝わり、沖縄では、その前日の旧五月四日が爬龍船行事の日となって、所謂「ユッカの日」といわれております。
 この爬龍船の行事は、一面祭事を伴い、豊見城村の祝女は、豊見城で祭壇をもうけて祈願を行い、爬龍船の漕手等も豊見城に登って拝礼を行い、また国王の行幸を仰いで、その聖寿万歳を祈願したのでありますが、五七〇年乃至五八〇年の古い伝統をもった爬龍船行事は、琉球王国の一大年中行事となって大いに人心を作興しました。因に、爬龍船競漕は泊村、那覇四町、久米村の三隻をもって行われ、現在那覇市の中心部になっている泊村は、琉球を表し、那覇四町は日本を表し、久米村は中国を表して行われました。斯くて、歴代王朝が如何にこれを重んじたかは、旧五月五日即ち爬龍船競漕のすんだ翌日、泊村では、爬龍船の漕手等とその関係者五十余人が、係り役人に先導されて崇元寺の国廟に至り、四拝の礼を行い龍頭と龍尾を奉納したという記録もあります。
 国家行事としての爬龍船競漕は廃藩と共に消滅しましたが、わずかに、日露戦役後の戦勝祝賀に爬龍船競漕が行われたことがあり、これが最後の行事になりました。海洋民族の誇りを持つ沖縄県民の魂と夢を抱かせたこの行事が、長く中絶するに至ったことは、全く遺憾であります。
 近く、沖縄国際海洋博覧会が開催されることを契機に、その開期中の有力行事として、また、観光事業の起爆剤とすることを期し、他面海事思想の普及涵養を志すと共に青少年の育生のために、この行事の史実と経験に通暁した人士の現存しておる現在、われわれは、古い伝統ある国宝的或いは国技的な爬龍船競漕の行事を再興し、これを永遠に保存することを期しております。
 この計画に対し、沖縄開発庁、運輸省が懇篤な指導を與えられておるが、直接の監督官庁の運輸省からは、既に七月二十五日付で、社団法人那覇爬龍船振興会として許可されており、同時に財団法人日本船舶振興会から三隻の爬龍船の建造費、艇庫の建造費並びに備品費等二、九六〇万円也の援助金が交付されることになって、誠に、感銘深いものがあり、感謝に堪えません。今後、県、市及び各方面の援助と協力を仰ぐ次第であります。
 因に、古式による爬龍船の構造と基準は、左の通りで、その建造は、従来の木造を改めて、化学樹脂によるグラスファイバー硬化剤によることになっております。
昭和四十九年八月一日
 
「那覇ハーリー」テープカット(平成15年5月3日)
 
OTVのインタビュー







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更新日: 2019年12月7日

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