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III 船絵馬
 
16 船絵馬(宝暦11年・1761)
 この絵馬は、尾立地区の通称観音谷の観音堂に保存されている。観音堂は、海から小路を入った集落の奥の山際に建立されている。奉納者は、「倉橋尾立浦木屋与重郎」で裏面に「安芸国安芸郡倉橋島尾立浦木屋与重郎 南無大慈悲観世音菩薩奉献之 宝暦十一歳巳三月廿日 奉掛之」と墨書されている。さらに「右献主与重郎 仁左衛門 其同人弟与三治 其子与重郎 其養子恵助五代目主五十八才之歳年号 明治三庚午七月七日改之尤及破損所調之」と記されており、宝暦11年に奉納され、明治3年に破損した個所を修理したことが分かる。
 
 
17 船絵馬(天保11年・1840)
 この絵馬も同様に尾立地区の観音堂に保存されているものである。背景の日ノ出、住吉神社の社殿・鳥居・太鼓橋、奉納年月日・奉納者を書く欄の設定など様式化が進んだものである。左向きの弁財船で、船尾に「元伊勢丸」と幟があり、奉納者である「芸州倉橋元屋好兵衛」の伊勢丸であることが分かる。乗組員は5人で、船首側から航海長役の「楫取(カジトリ・カンドリ)」、副航海長役の「片表(カタオモテ)」、操舵手にあたる「楫子(カジコ)」、水夫役の「親仁(オヤジ)」、船長の「船頭(センドウ)」であろう。
 
 
18 船絵馬(嘉永7年・1854)
 この絵馬も尾立観音堂の絵馬である。船主は「松本屋源兵衛」で、持ち船の「永福丸」を描いている。左向きで、背景の住吉神社は、天保11年の「伊勢丸」とともに様式化が進んだ様子がわかる。
 
 
19 船絵馬(文久3年・1863)
 同じく尾立観音堂の絵馬で、船主「本屋伊兵衛」の持ち船「伊勢丸」を描いたものである。左向きので、背景には日ノ出と島影で、住吉神社は描かれてない。垣立(カキダツ)の部分に、米俵らしきものを描いている。この船はイサバと呼ばれ、江戸時代後期に干鰯・海藻など五十集物(イサバモノ)を運んだものである。商品流通の発達に伴い、米などの商品も運んだ。
 
 
20 船絵馬(明治6年・1873)
 同じく尾立観音堂に保存されている。梅田泰助の住吉丸を描いている。背景は日ノ出はあるが、江戸時代後期のように住吉神社を描いた様式化されたものではなく、手前の島は笹子島、岬の向こうは室尾小島と考えられ、尾立湾に入港する「住吉丸」を描いていると考えられる。







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