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4. 港川・長毛の繁栄と石切
 
 港川から長毛にかけて、粟石という名前で親しまれている石灰岩が産出します。粟石は石垣や豚小屋などの建築資材として使われてきました。明治中頃から石切が一つの産業になると、沖縄中、特に離島から多くの人が港川・長毛地域に移住してきました。石切の仕事をする人はイシアナーと呼ばれていました。戦後間もない昭和26年頃に調査をしたアメリカ人地理学者グラッケンによると、昭和15年以前には300〜500人くらいのイシアナーがいたといいます。港川の漁民の間でも、冬季や漁に出れない日には石切の仕事をする者が少なくありませんでした。
 戦前から戦後しばらくの間まで、山原船が入港し、粟石を運ぶ馬車が日常的に行き交い、イモや魚を売るマチグヮー(市場)ができ、料亭、散髪屋、歯医者、商店、銭湯が建ち、雄樋川の向こう岸の堀川には映画館と芝居小屋があり、商業地として活気がありました。昭和30年頃には、バスターミナルができ、島尻東部の交通の一つの拠点でもありました。
 
現在の港川バス停近くにあったバスターミナル
(写真提供:長嶺豊氏)
 
戦前の石切場
(写真提供:渡慶次トミ氏)
 
戦後の石切場







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